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関係代名詞の非制限的用法は、どのくらい使われているか。
googleで検索すると "He who" の検索結果 約 1,540,000 件 "father who" の検索結果 約 1,350,000 件 "husband who" の検索結果 約 1,270,000 件 のようになり、その中には、カンマが関係詞の前に入っていない例も数多く見られます。 また、自分が教員をやっていた時、ALTに聞くと、カンマを入れる入れないについて、ほとんど意識していないと言う答えをする方が結構多くいました。 英文法として関係代名詞の制限用法と非制限用法の区別は確立しているとは思いますが、現実問題として、かなりあいまいな状況になっているのではないでしょうか。
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Gです。こんにちは!! まず、カンマは表記であり発音をするものではない、と言う重大な事に気がついてください。 つまり、フィーリングを伝える方法の基本は「しゃべる事」と言う事から制限用法と非制限用法の違いを出すのはカンマではない、と言う絶対なる表現ルールなのです。 お分かりでしょうか。 tooの前にカンマをおくという学校文法はどうなったでしょうか。 今では使わない人のほうが多いでしょう。 なぜだと思いますか? カンマの価値を認めないからなのです。 先月私が2日間缶詰にあった事を知っていますね。 いま、カンマの使用法は英語表現内で一番大きな「家内騒動」を起こしているのです。 制限用法と非制限用法に戻りますね。 確かに書かれた場合カンマがあるのとないのと大きな違いを「見る」事が出来ますね。 実際に目で見れるのです。 では、この二つの表現方法を使った文章を話した時に、どうやってカンマを見ずに判断すると日本の文法学者さんは言うのでしょうか。 アメリカ人でこの違いを「耳で区別」出来ないビジネスマンはまずいないでしょう。 カンマがあるかないのかを目で見なくても判断できる、と言う事だとお分かりですね。 全く「tooの前にカンマが必要なのか必要でないのか」の逆とも言えることですね。 しかし逆ではなく同じ事なのです。 なくても全く同じだ、だからおかなくてもいい、とすることと、カンマがあってもなくてもどうせカンマは発音しないのだから「発声方法から」の「存在のフィーリングを感じる、と言う事は同じ事である、というわけです。 しかし、これには弊害と言うものがあります。 それは、書く時には「カンマがなくても発声で違いを感じる」フィーリングをどうやって表現するんだ!!と言う事になるわけです。 日本語と同じに、耳から覚えた表現と目から書くルールを習うという事のギャップがここに出てきてしまうわけです。 よって、多くのアメリカ人がこのカンマの使用法と言うものに一貫性を伴うルール的なものが失ってきてしまっているのです。 これは、アメリカだけでなくイギリスでも起こっています。 よって、ビジネス英語だけでも、この一貫性を保つように努力しているわけです。 それが、二日間の缶詰だったのです。 高度な表現方法には必ず高度なりに相手にも伝わらなくてはならないものが必要なわけです。 自分だけの表現方法にこだわっていても相手の理解許容範囲に入っていなければ「言葉としての役割をしない」わけです。 日本の学校英語教育で私が使えない英語を教えてどうする?といっている事と非常に似ているわけです。 (ですから私は、単に馬鹿の一つ覚えみたいに日本の英語教育を批判しているわけではない、といっているわけです) そして、それが、私の言う、日本人の全てが、日本に39年住んでいようと、日本語を使いこなしているわけでも、説明できるわけでも、教える事ができるわけでもない、そして、全く同じ事がアメリカでもイギリスでも、そのまた全ての国で起こっている事なのです。 アメリカ人は文法に疎い、と言っても、それはあくまでも学校文法の普及性と比べての事であって、日本自体の状況を全く無視したコメントなわけです。 私からしてみれば、日本人の日本語は国語の学校文法から見たらとんでもない日本語をしゃべっている、というわけです。 そして、それが悪いとは全く言っていなく、むしろ、どちらの学校文法のほうがまずい、とまで言っているわけです。 と言う事で、「カンマを入れる入れないについて、ほとんど意識していない」と言うコメントには二重の意味合いが出てくるわけです。 つまり、しゃべる時にはカンマをいわないわけだしそれを意識して言うべきかななんて考えない、ということ、カンマがついていても言葉にははっきり意識してポーズなどの発声方法を使っているわけではない、ただフィーリングからその違いをちゃんと出している、と言う事なのですね。 これは文法と同じように、カンマがあってカンマがあるようにしゃべるのではなく、何かのフィーリングを出す為に(非制限用法)しゃべる時に区別をしているのを「何とか記号を使って表現しよう」としたいフィーリングがあったからこそ、「じゃ、カンマを使おうじゃないか」といつの間にか定着したわけです。 そして、tooのようにMr & Mrsのように、A.S.A.P.ではなくASAPでいいじゃん、とカンマやピリオドのh使用度が減ってきたわけです。 (いつもの、日本ではよく省略された、といわれてしまっている「必要のないものは捨てちゃえ!」の精神です) と言う事は、このALTはそれだけ表記ルールを知らない、ということであって、声による表現方法を知らないという事ではない、と言う事なのです。 そして、ビジネス業界では「まずい!」とされるわけです。 つまり、彼の英語力は足りない「部分がある」と言う事になるわけでうす。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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- birdflew
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私はれっきとした表現力豊かと認められたビジネスマンではありませんが、日本でALTをやっていました。アメリカでこれほどgood Englishを教えようとする参考書が多い、またセミナーなどがある背景には一つ単純な理由があるのです。 それは、アメリカは移民国家なので基軸言語がなく、言葉が簡単に乱れることを是正しようとの動きがあるからです。 真剣にやっても近い将来アメリカの標準言語はスペイン語になりそうですし、ちょっと淋しいですね。
お礼
ありがとうございます。 非常に自然な日本語を使われるのですね。 近い将来、公用語としてスペイン語と中国語が認められて行くだろうと言われていると聞いたことがあります。 ありがとうございました。
- Ganbatteruyo
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Gです。 シカゴスタイルサイトとは4番さんがご紹介したサイトです。 better writing styleと言うようなキーワードを使って検索してみてください。 日本語に関してこれだけ(見つかるサイトの量と質が)しっかり母国語を大切にしている国なんだろうか、と考えさせられるものがあるのが分かると思います。 そして、使えるサイトをご自分に合わせて使ってみてください。 文法「的」な事が書かれているように一見見えるかもしれませんが、より分かりやすい、と言うフィーリングを大切にしたサイトが多いのにも気がつくと思います。 例としては、http://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Manual_of_Style にはいい説明だけでなくリンクもいい物をリンクさせていますので、使いでのあるものだと思いますよ。 学校文法がなぜ一般会話の為のものではないとうたっていながらビジネスにも通用しないスタイルが根強く教えられているのですね。 「読み書きが重点視されている」と言いながら生徒のほとんどがその読み書きができない、と言う矛盾によく似ているわけです。 このサイトが言っているような事をもっと詳しくしたセミナーで缶詰になっていた、と言う事なんです。 牢屋に入っていたわけではありません。 <g>
お礼
ありがとうございました。 御礼が遅くなりすいませんでした。 ご紹介いただいたサイト、できるだけ時間をとり、勉強していきたいと思います。 重ねてありがとうございました。
- Ganbatteruyo
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Gです。 tooの二つの使い方、と言う言い方をされていましたが、逆を言えば、カンマの使い方なのです。 私にはこのカンマの使い方と言う解釈・フィーリングのほうを選びますし、tooの使い方と言うせばめられた理解に時間をとるより、カンマをどのようにしてフィーリング表現にうまく使うかを知る、方がもっと重要だと思うからなのです。 I too like the way she plays piano. I, too, like the way she plays piano. どうですか、カンマがあるからこそ、tooがきれいに孤立し(見た目にもフィーリング的にも)ているわけです。 これは、tooの使い方に限った事ではなく、フィーリングをどう表現したら分かりやすくなるか、クリアーになるか、と言う部分でもあるわけです。 ですから、有名な<?>シカゴのスタイルサイトでも、どちらを使おうと表現自体に問題がある、とするわけです。 (カンマをつけるかつけないかだけではフィーリングはちゃんと伝わらないのです) つまり、表現方法を変えろ、と言う事なのですね。 文字による表現の難しさがここにも現れてくるわけです。 なぜれっきとした表現力豊かと認められたビジネスマンが二日間も感ず目になってこの点をクリアーにしようと英語力を磨く事にになったのかはお分かりだと思います。 「カンマの家庭内騒動」はこれからも少なくとも5年は一貫性を持つフィーリング定義を作りながらビジネス文書では定められていくと思います。 ちゃんとした「正しい」英語表現をうたい文句にした学校文法は、今まで言ってきたように、崩れ去る事になり、既に起こっているtooの前と後の用法と同じように学校文法に頼れなくなってくるか、大きな改革が起こらざるを得なくなるわけです。 最近のシカゴスタイルサイトも大きな変動を起こしています。 共通したフィーリング表現を基にしたスタイルと言う英語の一分野も大きく変動していると言う事なのです。 学校英語と違い、「実践に基づいた」ビジネス表現が非常に敏速に反応しているところは学校英語が学ばなくてはならない事だともいえるわけです。 受動態Passive voiceに関しての毛嫌いは既に定着していますね。昔のビジネス的表現がなくなってきているわけです。 参考になれば本当にうれしいです。
お礼
ありがとうございます。 御礼が遅くなり申し訳ありません。 「文字による表現の難しさ」はいつも感じます。 >なぜれっきとした表現力豊かと認められたビジネスマンが二日間も感ず目になってこの点をクリアーにしようと英語力を磨く事にになったのかはお分かりだと思います。 「カンマの家庭内騒動」はこれからも少なくとも5年は一貫性を持つフィーリング定義を作りながらビジネス文書では定められていくと思います。 ちゃんとした「正しい」英語表現をうたい文句にした学校文法は、今まで言ってきたように、崩れ去る事になり、既に起こっているtooの前と後の用法と同じように学校文法に頼れなくなってくるか、大きな改革が起こらざるを得なくなるわけです。 すいません。二日間缶詰になられたということを自分は全く知らないのですが、何が起こったのですか。もしよければ、次の回答で教えていただければうれしく思います。 学校文法が実社会に遅れているというのは、ある意味、よく感じます。大きな改革が起これば良いですね。 それから、シカゴスタイルサイトというのも、自分はよく分からないのですが、できたら、どういうものか教えて頂けないでしょうか。 重ねて、回答をいただき、感謝しています。
- birdflew
- ベストアンサー率10% (10/92)
曖昧になっている事は事実だと思います。 たぶん、カンマがあってもなくても、それほどその文脈の意味合いが変わらないため、文法のルールではなく、いわゆる個人のwriting styleによるものであると考えられます。 一方、そのスタイルについて、書物をするプロの編集者とかは、いくつかの参考書に頼る事も事実です。 ひとつの例として、Chicago Manual of Styleをご紹介しましょう。そのオンライン版からの抜粋は、ここにあります。tooの前にカンマが必要か否かについてです。 http://www.chicagomanualofstyle.org/CMS_FAQ/Commas/Commas15.html 悪く言えば、日本でのALTをやっておられる外国人の方は、大学卒でありながら、特にwritten Englishの専門家でもないので、このレベルの用法については、あまりあてにしない方が良いかも知れませんね。 ちょっと古めかしいところもありますが、William Strunk Jr.のThe Elements of Styleは一つの文法とスタイルの標準にもなり得る参考書であります。やはり「餅は餅屋」の価値を感じ取れるものであります。英英辞書を使うなら、文法書も現地のものに勝るものはないでしょう。
お礼
ありがとうございます。 リンクの文章を読ませていただきました。tooにも二つの意味があるのですね。言われてみると、確かにそうで、認識を新たにしました。 The Elements of Styleはいつか機会があったら、ぜひ読んでみたいと思います。 ありがとうございました。
- fwkk8769
- ベストアンサー率61% (160/259)
以下は、「現実問題」について、The Japan Timesの第一線の記者、伊藤サム氏(次のサイトに写真が載っています)の解説です。(http://homepage1.nifty.com/samito/) 「関係代名詞の非限定用法ではコンマを付けなくてはなりません。しかしネイティブにとってコンマを付けるかどうかは感覚的な判断で、なくても誤解されにくい表現である場合は省いてしまう人がいます。また、コンマ使用は控えめにしたほうが美しい、と主張する人たちもいます。」 ● 全文は次のサイトの質問と回答にあります。 ・(http://club.japantimes.co.jp/blog/qa/index.php?itemid=97#more)のNo.13、 ・(http://club.japantimes.co.jp/blog/qa/index.php?itemid=98#more) のNo.15。
お礼
ありがとうございます。 >新聞記事では、長いセンテンスではおよそ2割のケースで省略が見られます。また、新聞記者ではなく一般のネイティブになりますと、コンマを付けるか付けないかのルールを知らないのが普通(感覚的な判断)なので、もっと恣意的です。 新聞記事でも2割の割合で発生しているのですね。どうりで、結構、ついていない例があると感じるのですね。 ありがとうございました。 それから、ご紹介いただいたサイト、検索機能付で便利ですね。これから自分も使いたいと思います。
- tjhiroko
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こんなページがありました。 http://www.grammartips.homestead.com/nonrestrictivecommas.html 日付からして英語の現在の状況と考えていいと思いますが、これによりますと制限用法と非制限用法との意味の違いは大きく、それを区別するには書き言葉ではカンマが欠かせないということになっていますね。 カンマを入れるか入れないか意識していないネイティブの人がいるということは、日本人でも読点の使い方をうまくできず、その重要性の認識すらない人が非常に多いのと同じと考えられるのではないでしょうか。 ALTといっても、たとえネイティブでも英語のプロかといえば決してそうでもない場合も多い、という話も聞いたことがありますし。
お礼
ありがとうございます。 >カンマを入れるか入れないか意識していないネイティブの人がいるということは、日本人でも読点の使い方をうまくできず、その重要性の認識すらない人が非常に多いのと同じと考えられるのではないでしょうか。 その通りと思います。と言うか、自分自身もかなりいい加減に日本語を書いています。どこで区切るか意識して書くのは、かなり正式な文書を書く場合だけで、そういう場合さえ、読み返してみると、はて?と思うことがたびたびですから、いい加減なものです。 こういった言語一般に関するいい加減さはもっと許容されて、外国語として教えられるときにも、ある程度強調されてもいいと思うのですが、どうでしょうか。 ありがとうございました。
お礼
いつもありがとうございます。 >これは文法と同じように、カンマがあってカンマがあるようにしゃべるのではなく、何かのフィーリングを出す為に(非制限用法)しゃべる時に区別をしているのを「何とか記号を使って表現しよう」としたいフィーリングがあったからこそ、「じゃ、カンマを使おうじゃないか」といつの間にか定着したわけです。 そして、tooのようにMr & Mrsのように、A.S.A.P.ではなくASAPでいいじゃん、とカンマやピリオドのh使用度が減ってきたわけです。 (いつもの、日本ではよく省略された、といわれてしまっている「必要のないものは捨てちゃえ!」の精神です) そうですよね。tooの前のカンマは、日本でもすでにかなり廃れてきています。 もう少し、英語と言う言語が、Gさんのおっしゃるとおり「フィーリング」に支えられたものであるという配慮が日本の英語教育にはあっていいですよね。 しかし、二日間も、缶詰になられていらしゃったとは知りませんでした。先月は非常に忙しく、ほとんど、パソコンに触ることができませんでした。どうぞ、お体を大切に。 重ねてありがとうございました。