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物事の表層で満足する人と深層(真相)が知りたい人

物事の理屈を強く求める人といらない人はどう違うのでしょう。 例えばファーストフードの店で、客の並ばせ方を銀行のようにしない。 それは『何故』かと問いたい人と、じゃあそういうつもりで並ぼうとしか考えない人。 オークションでいろいろ不正が行われて、主催者のルールどおりでは対応できないので面倒な事態が起こっていることについて、 『なぜ人間は「足る」を知らないのか?主催者の方針通りしたがっていれば問題ないのにまだ自分が得しようとするのは何故』 と問う人と、 「そういう状況なんだから自衛して損しないように」 としか考えない人と。 つまり、「説明」がほしい人といらない人の差はどこから来るのでしょうか。またそれぞれのタイプの人間性はどういう傾向にありますか。

みんなの回答

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.3

不合理なことでも、皆がやっているから自分もやるという「集団主義」と、不合理なことなら、皆がやっていても自分はやらないという「個人主義」の違いだと思います。

noname#41852
質問者

お礼

みながやっているからというのは一種の思考停止です。 どう不合理で、正しくはこうでということを考えて迎合しないのは 個人主義以前の正しいし誠意です。

noname#117439
noname#117439
回答No.2

ご質問の内容だと、自分だけが納得できる理由を考える人と、誰もが納得できる理由を自分の価値観にしている人の違いを知りたい様に思われます。 自分だけ満足できる理由をこしらえる人は自己中心的性格が強く社会人失格です。 この話題を客観的に捉えるのなら哲学の話だと思います。 ご自分の悩みとして整理したいのならメンタルヘルスです。

noname#41852
質問者

お礼

自分だけが納得できると言う事はすなわちぜんぜん突き詰めていないと言うことです。どうしても普遍的コンセンサスにいたるには、突き詰めが必要ですね。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

できる人はやる。できない人は理屈をこねる。

noname#41852
質問者

お礼

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