敗退を重ねたのは、
1.1916年のブルシロフ攻勢でヴォルニアとガルシアを奪還した際、軍に甚大な損害を被った事。
2.食料、武器、弾薬等、補給が不足していた事。
3.1916年、ルーマニア軍が連合軍として参戦したが、敗退続きで援護の必要が生じ、かなりの援軍を送らなくてはならず、戦線が拡大した事。
4.国内情勢が不穏だった事。
等があげられます。
根本的な理由はロシアが社会と工業の近代化に立ち遅れていた事でしょう。軍の基盤は社会と経済の上に成り立ちます。その立ち遅れは大きな弱点でした。その結果、武器の質は劣り、補給は滞り、兵士達は訓練不足のまま前線に派遣される事になったのです。
また、戦争前から国内の情勢が不穏だったのも問題でした。遅れた農業技術と運営方式で食料生産は上がらず、無理な工業化の推進と巨額な軍事費を得るため、何度も税を上げた結果、反乱や暴動、ストライキが多発していたのです。戦争が始まる前は、毎年、軍が反乱を鎮圧する為に何度も出動しています。戦争前の1913年だけで国家反逆罪で逮捕された人数は10万人以上にのぼります。こうした事が原因となって前線はおろか国内でも物資や食料が不足し、そして長引く戦争がとどめとなり、革命に到ったのです。革命が起こる前から既にロシアは弱体していたと言えるでしょう。そして革命がとどめをさしたのです。
お礼
やはり、総合的な国力、国内問題が戦争遂行に重大な支障となったようです。よく分かりました。