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第一次大戦のロシア

第一次大戦のロシアは緒戦こそかなりの勝利を収めました(一般的にタンネンベルクで敗退したから早くに脱落して言ったというのは誤りで、南部のオーストリアに対してはかなりの占領地域を獲得している)しかしそれ以降は2006年の巨人軍のように急速に弱くなって敗退を重ねることになります。これはなぜなのでしょうか。あるいは本当は敗退しておらず、英仏と同じくやや後退して持久しているのでしょうか。革命運動が起こってから急速に弱くなったのでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.3

敗退を重ねたのは、 1.1916年のブルシロフ攻勢でヴォルニアとガルシアを奪還した際、軍に甚大な損害を被った事。 2.食料、武器、弾薬等、補給が不足していた事。 3.1916年、ルーマニア軍が連合軍として参戦したが、敗退続きで援護の必要が生じ、かなりの援軍を送らなくてはならず、戦線が拡大した事。 4.国内情勢が不穏だった事。 等があげられます。 根本的な理由はロシアが社会と工業の近代化に立ち遅れていた事でしょう。軍の基盤は社会と経済の上に成り立ちます。その立ち遅れは大きな弱点でした。その結果、武器の質は劣り、補給は滞り、兵士達は訓練不足のまま前線に派遣される事になったのです。 また、戦争前から国内の情勢が不穏だったのも問題でした。遅れた農業技術と運営方式で食料生産は上がらず、無理な工業化の推進と巨額な軍事費を得るため、何度も税を上げた結果、反乱や暴動、ストライキが多発していたのです。戦争が始まる前は、毎年、軍が反乱を鎮圧する為に何度も出動しています。戦争前の1913年だけで国家反逆罪で逮捕された人数は10万人以上にのぼります。こうした事が原因となって前線はおろか国内でも物資や食料が不足し、そして長引く戦争がとどめとなり、革命に到ったのです。革命が起こる前から既にロシアは弱体していたと言えるでしょう。そして革命がとどめをさしたのです。

noname#32495
質問者

お礼

やはり、総合的な国力、国内問題が戦争遂行に重大な支障となったようです。よく分かりました。

その他の回答 (3)

  • sudacyu
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回答No.4

 戦術的要素は多くありますが、根本的にはNo1のかたの指摘のように、一国の本当の戦力というものは、戦争が長期化したときに顕著に現れます。  特に第一次世界大戦以後は総力戦の形になり、その国の経済力そのものが戦争の結果をはっきり左右するようになりました。  第二次世界大戦以後でも、長期に渡るベトナム戦争(ニクソンショックと呼ばれる緊急ドル防衛策を発動)・ソ連のアフガニスタン介入(10年間アフガニスタンで戦い続けた結果、ソ連が崩壊する直接的原因を作った。)現在のアメリカのアフガニスタン・イラク駐留(アメリカ政府の財政は、戦争費用で大赤字)など、超大国が中小国に侵攻した場合でも、長期化すれば経済に重大な影響をもたらし、国内の戦争反対の世論が大きくなります。

noname#32495
質問者

お礼

国力は戦術レヴェルを超えて重要な事です。よく分かりました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

補足として 有能な指揮官による軍事的成功はありました↓ http://ww1.m78.com/honbun/brusilov%20offensive.html 日本から武器を輸入した話など、逆に生産力の不足を示してもいるでしょう。 ドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマン、ブルガリアと、ドイツに味方した全ての国と戦わねばならなかった点も大きいと思います。

noname#32495
質問者

お礼

一国で戦う相手は結構多かったのですよね。ブロシロフは有名です。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.1

第一次世界大戦は、史上空前の総力戦でした。 総力戦の特徴の一つは、国の生産力が戦力を左右する点です。 産業が未熟だったロシアは、初期の備蓄を使い果たした後、軍の弱体化が進みました。真偽は不明ですが、靴を支給されず裸足で戦った兵がいたとの話すらあるほど。 革命運動が力を得たのも、食料・物資の不足が原因です。

noname#32495
質問者

お礼

やはり国内情勢生産体制の不備は相当だったようですね。よくわかりました。

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