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第一次大戦緒戦のロシア戦線の評価
1914年の大戦発生当初から、ロシアはドイツに敗北し劣勢になり(ドイツは西部戦線で進撃を止められ持久戦になり)という風潮がまかり通っているのですが、実際にはオーストリア戦線では優勢だったのです。この歴史を概観として扱わないのはなぜかなと、つくづく手落ちではないかと思ってしまうのですが、どうしてこういう筋書きがまかり通るようになってしまったのでしょうか。
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- ss79
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確かに緒戦での対オーストリア戦ではロシア軍の進出は顕著でしたが、これはオーストリア軍の拙劣な戦争準備に助けられたもので、緒戦の勝利にもかかわらず ロシア軍の内部不統一の為相互に牽制して勝利を拡大、確実なものにするのに失敗しました。 その後ロシア国内の政情不安(大規模な徴兵拒否など)、軍隊内の士気低下、対ドイツ戦線の敗北などにより戦争継続が困難に陥り、単独講和をこうに至ったのです。 対トルコ戦線でもトルコ軍の善戦に阻まれ持久戦になりました。 結局緒戦の優勢は敵失に助けられただけで敗北したのですから歴史に埋もれたのでしょう。 日露戦争で緒戦旅順の防衛戦で勝利したけれど結局開城に追い込まれたのににています。
- yatiyochan
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No.2氏の回答の補足になるかと思いますが、 (1) ロシア陸軍の進攻を食い止めることができなかった原因が、シュリーフェンの西部戦線を主攻とし、対露作戦は二次的だったというドイツ軍側にあったとされる事。 (2) そこで、ドイツ軍が本腰を入れてヒンデンブルグ、ルーデンドルフを配した結果、東部プロイセンのタンネンベルグで典型的な殲滅戦勝利を収めたことにより戦史上高い評価を得たこと。 (3) いっぽうロシア軍は、サムソノフとレンネンカンプの個人的な不和に基づく連繋の拙さなどで声価を落としたこと。 (4) さらに15年にはドイツ軍がポーランドをほぼ占領し、以後ロシア軍は決戦を挑むことなくジリ貧になって後退を重ねたことで大戦の戦局に影響をあたえることがなかった事。 などの点の累積から、ロシア陸軍の緒戦の快進撃が戦史において過小評価されてしまったのだと思います。
お礼
ドイツの対ロシア戦が、初期の不備を補ってからずっと優勢を保ったという点はあるのですが、オーストリアに対しては要塞を孤立させたり、とにかく進撃を15年までは続けているのです。それが史的な概観に出てこないのは何か納得できないでいます。
- ss79
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第一次世界大戦での東部戦線ではロシア軍は当初対ドイツ、対オーストリアとも優勢に進撃していました。 しかし戦線を立て直し、ヒンデンブルクとルーデンドルフが指揮と参謀につくとタンネンベルヒで主力兵力を殲滅されて、以後守勢となり持久戦になりました。 ご質問の趣旨にそわないかもしれませんが。
お礼
タンネンベルク戦まではドイツ領で進撃していますが タンネンベルク戦のあとも、オーストリアに対してはロシアは進撃しています。確か翌年くらいまで優勢を保っていますよね。
- junra
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ドイツのポーランド以西の機甲師団による進行のほうが話が大きいためではないでしょうは? 戦車を使用しての機甲師団はドイツが始めたことですし、今までの戦闘をがらりと変えてるはずですが。 勘違いがありましたら申し訳有りません。
お礼
第一次大戦についてなんです。
お礼
そうだったのですか。 オーストリアの準備が整っていなかったのは知りませんでした。 しかし大局的にみればそうなのですが、概括から外してしまうのはどうかという感想を持っています。タンネンベルクの時期ロシアの敗北とともにオーストリアも敗北していたのですから。 旅順戦においても、日本軍の苦戦という形が概括としてでていますから。