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昔の「講」にたいする人々の意識

民間信仰であるさまざまな「講」がありますが、現在では人々の意識は、儀式的なものという認識が多数だと思います。しかし、たとえば江戸時代などはどうだったのでしょうか。本気で神頼みをしていたとか、利益を信じていたとかだったのでしょうか。あるいはどれくらいまで上れば、一般人は純粋な信仰としての認識で行われていたのでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • suicyo
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回答No.1

一口に「講」と言っても、その性格は各様だと思うので‥ 純然な「信徒組織」としての講もあれば、宗教色の薄い互助組織に 特化し、集落とかの自治組織と一体となったようなものまで、ピン キリではないかと。 以下、私の田舎のことで一般的ではないのかもしれませんが‥ 私の田舎の集落(漁村)にも「御嶽講」と「大峰講」が20年程前ま でありました。 「大峰講」は青年団の活動と一体のもので、大人になる為の通過儀 礼のようなものでした。大峰山に行って「のぞき」をしないと、一 人前の男とは認められない、ということです。これを書くにあたり、 念のために祖父に確認したのですが、講の維持ができなくなって青 年団活動に吸収された訳ではなく、昔から「わかいしぐみ」(若い師? 士?組)とか言って、若者による自治組織のような存在だったようで す。年長者による世話人会があって若者を指導する訳ですが、参加 した経験で言うと、宗教的な行事はあるものの、どちらかと言うと 根性試しと異文化体験とでも言うような、そんな感触を持ちました。 「御嶽講」の方は、毎年家族の誰か一人はお山に登る、というよう な運用でした。こちらも組(町内会)の活動と一体のようなものでし た。(孤立した集落ということもあってか、お宮さんもお寺さんも みな、地域ぐるみでした) 東京の方では「富士講」も普及していたようですが、現在はどうな っているんでしょうね。富士山登山だけではなく、富士塚の存在も あり、個人的に興味深いです。 江戸時代には伊勢講(お伊勢まいり)が有名で、西日本には「こんぴ ら講」もあったようです。落語とかを聞いている限りでは、庶民が 一生に一度、自分の番になるのを楽しみにしていて、ほとんど物見 遊山のような感じがしますが、実態はどうだったんでしょうね。 ただ、個人の信仰心から自由意志で加入するというより、お宮さん の氏子組織とか長屋のコミュニティとかと連動して、やはり地域ぐ るみとかの活動ではなかったかと思います。であるならば、純粋な 信仰的行為だけとは言いがたいのではないかと思います。まあ、講 が始まるきっかけは、宗教者による布教活動が大であったとは思い ますが。 信仰ということであれば、地域ぐるみではない形で今でも続けてお られる方々の方が、むしろ信仰的なのではないかと思います。

noname#41852
質問者

お礼

20年前と言うとつい最近まで存在していたんですね。やはり宗教性というよりも地域性行事性という性格のほうが大きかったと言う事ですか。私東京ですけど、結構富士塚はありますね。ひっそりと埋もれているだけという感じですけど、もう信仰する人もいないのではにかと思われます。 地域ぐるみないということになると「講」と言う事でないかもしれないですね。

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