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木は死なない命でしょうか。
日本語を勉強中の中国人です。人の一生は四季に似ているような気がします。意外がなければ、春夏秋を経て冬で死を迎えます。 しかし、周りの木を見たら、不思議な感じがします。年中ずっと緑のままの木もあれば、冬を越えて春になると、また芽吹く木もあります。ふと思ったのですが、天災人禍(天然の災害と人為的な災禍)に遭わなかったら、自然界の中では、木は死なない命でしょうか。羨ましいです。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。
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我是NO7。 謝謝nin2修改我的中文句子、我非常高興。 >でも、木の死ぬ原因がまだよくわかりません。参考URLは外部要素しか教えてくれませんでした。 内部要素的一個原因応該是細胞的寿命。什ma決定細胞的寿命? 端粒(テロメア、telomere)決定細胞的寿命。 http://www.bjkp.gov.cn/gkjqy/smkx/k30416-02.htm http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%AF%E7%B2%92 一般来説、生物通過細胞分裂才能保持生命。不過細胞不能分裂無限次数。端粒限制最多分裂次数。結果細胞有寿命。sui1然対端粒的研究、現在関注動物(特別是人類)、対植物的知識還不太清楚、我覚得植物細胞也有寿命。 nin2也許覚得即使植物寿命是有限、也植物総体的寿命可能是無限。因為、如果新細胞和古老細胞継続替換、理論上植物総体的寿命可能是無限。這様想法是合理的。但是、太楽観。実際上継続新旧細胞的替換、維持植物総体構造越来越難。為什ma? 因為新細胞産生時候、古老細胞還在那里、新細胞不得不産生在古老細胞的外辺。這様、植物総体越来越大、越来越重。結果、到植物的所有部分継続施給養分、越来越難。 >「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」とはどういう意味でしょうか。よく理解できません。 我覚得、「正在枯死」的意思不是「已経枯死」的意思。是不是? 下面是我的想法。 一般、植物枯死前、開花、受粉、産生種子。這個過程可以説是”完美的方法孕育其他新的生命”的。 >「根子」は何でしょうか。根ですか。 是、日文的「根」的意思。用中文、日文的「根」、zenme説? >木は自分の体の一部分から新しい命を生み出すとはどういうことでしょうか 植物有”根茎”。従”根茎”可能産生新的芽。新的芽不久産生新的枝。這様植物、即使没有産生種子、也能産生新的植物。 http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E8%8C%8E 植物也可能通過”挿枝(挿し木)”的方法、産生新的枝。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%BF%E3%81%97%E6%9C%A8 ”挿枝”是用植物的一部分産生新植物個体的方法。比如、先切断植物的枝、然后将這個被切断的枝、挿在土壌中、不久従這個枝会産生新的植物個体。 >新しい命を生み出すことができれば、その木はまだ生きている証拠でしょう。死んでいないのではないでしょうか。 植物的話、”父母和子女関係”的定義比較難。比如、如果従”根茎”産生新枝的話、這個新枝是”子女”、還是 ”父母的一部分”? 或者、産生這個新枝后、父母植物枯死的話、這個新枝依然”父母的一部分”、還是「子女」? 又問、如果通過”挿枝”方法、産生新植物個体的話、這個新植物個体是”子女”、還是 ”父母的一部分”? >木が自然に死んだ瞬間をご覧になったことがありますか。急に倒れるのでしょうか。 有hen3多次、看過。即使樹木枯死、ta1還維持其構造。所以不倒ta1。在日本、有hen3多木造房子。這些木材sui然都是枯死的樹木、還是堅牢的。 最后、在nin2的日文中、我発見有一点児不自然的表現、想在這里表示。 >木も自然に死ぬ【ものは】、今まで考えたことがありません。 【ものは】---> 【ものとは】有者【ものであるとは】 >「根子」【は】何でしょうか。 【は】--->【とは】 如果我的中文不自然的話、請修改、我非常高興。
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- kobarero
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我是NO24。 謝謝nin2修改我的中文、還有、謝謝nin2提供的有些新問題。 >中国語の単語を一つ教えていただきたいのですが nin2問我什ma的中文詞? 「老油条」的中文詞ma? 也許nin2不是将「日本語」写錯了「中国語」ma ? >「箸にも棒にも掛からない奴」のことを「老油条」(古い油条)と言います。 我感覚没有正確地相当yu1「老油条」的日文詞、不過、意思比較近的是: 「なまけもの」 樹lan3 「ぼんくら」 http://gogen-allguide.com/ho/bonkura.html 「たわけもの」 http://gogen-allguide.com/ta/tawakemono.html 「でくのぼう」 http://gogen-allguide.com/te/dekunobou.html >「油条」という食べ物はご存知でしょうか。 我去中国的時候、喫過了。hen3好喫。 >ウィキは中国から直接には入れないので、 nin2是現在在中国住的ma? 我以為nin2是在日本住的。 因為nin2的日語非常自然、所以我覚得nin2応該在日本毎天用日語生活。 >矛盾にポプラをたたえる名文『白楊礼賛』がありました。 這個詩hen3好。我喜歓「那就是白楊樹、西北極普通的一種樹、然爾実在不是平凡的一種樹」的押韻的部分。在這里的「西北極」是「中国的西北辺際」的意思ma? 「中国的西北辺」譲我想像新疆北部。不過、我想像白楊大概是在中国的東北三省地方成長。不是ma? 我在下面網頁上聴到矛盾的「白楊礼賛」。hen3shu1服。 http://www.podlook.com/item/371043 >ポプラにも綿毛があることを「どんな男らしい男でも優しい一面がある」と理解するつもりです^^。 「白楊礼賛」中有「ta1没有婆娑的姿態」的部分。我第一次知道了「婆娑」這個詞。在日本没有這個詞、但、有「娑婆」這個詞。nin2知道日語「娑婆」的意思ma? 「白楊礼賛」中還有「頑固的倒退的人去賛美那貴族化的楠」的部分。一般在中国「楠樹」算不得人愛的樹木ma? 在日本、人也愛楠。nin2知道「楠学問」和「梅の木学問」這些日語詞ma? 「楠学問」(くすのきがくもん):楠樹是成長的時間非常長。但、一旦成長后非常大、非常結実。和此一様、如果人想学得hen3好、学得hen3高、需要費hen3長的時間才能学好。這様的学法是叫zuo4「楠学問」。 「梅の木学問」(うめのきがくもん):梅樹是成長的時間比較短。但、成長后、ta1不太大、不太結実。和此一様、如果人不費充分的時間学習、学不好、学的内容比較軽。這様的学法是叫zuo4「梅の木学問」。 在下面網頁倒数第3行有「楠学問」和「梅の木学問」的説明。最底的照片也表達「楠樹」的雄姿。 http://www.wood.co.jp/essay/kikara/7kusu.htm >「水杉」はご存知でしょうか。 是日語的「メタセコイア」。在下面網頁上、点襲最底的「球果と雄花」項目、nin2可以看到「水杉」的花。看到這個網頁的説明、我発現了「水杉」是在中国的四川省第一次発現了。 http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/gymnospermae/taxodiaceae/metasekoia/metasecoia.htm >参考ページは読めませんので、http://wpedia.search.goo.ne.jp/でもう一度お願いします。 在下面網頁有百合花的照片、不過、na3個是花弁、na3個是花萼、是不太清楚。 http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sukasiyuri.html >一番美しいと思うのは海のそばで、遠いところに行った恋人の帰りをずっと待っている女性が、そのまま椰子の木になってしまった伝説だと思います。 hen3有意思。在中国、等候的也不是男的、是女的。 >日本語の「ココヤシ」は「ココ(ポルトガル語)+ヤシ(中国語)」のように聞こえます。 nin2説的是正確的。 >「ココナット」とも言いますか。 日語的「ココヤシ」是椰子樹。日語的「ココナッツ」是椰子樹的果実。「ココナッツ」有時候叫zuo4「ココナツ」、意思是一様的。nin2he1過椰子果汁ma? 我去香港的時候he1過。hen3好喫。不過、可惜的是在日本hen3少看。 >「鏡像状態」の意味を調べてもよくわかりません。簡単な言葉で簡単に説明していただけませんか。 具体説、単卵双胞胎的一方有右転旋毛、一方有左転旋毛、在者、一方是左pie3子、一方是右pie3子。這様的関係是「鏡像状態」的。 >「奉献」を「捧げる」、「奉仕」に言い返したらお分かりになるようになりましたか。 「奉献」和「索取」的意思、我dong3了。謝謝。我想一下、這些詞用日語zen3me説。我感覚中文的「索取」比日語的「搾取」比較近、中文的「奉献」比日語的「無償の奉仕」比較近。 ============================================== 下面是為nin2写自然的日文的参考 ============================================== >せっかくウィキで探して【いただいた】内容はぜんぶ読めません。 せっかくウィキで探して【いただいても】内容はぜんぶ読めません。 在現代日語上、一般、「せっかく」這個詞和「ても」「のに」等一起用。 >次のサイトから【間接に】はウィキに入れます 次のサイトから【間接的に】はウィキに入れます >山に登っていた時、まつぼっくりが服についてくることが【ある】ような気がします。 山に登っていた時、まつぼっくりが服についてくることが【あった】ような気がします。 >今年の冬【で】初めて知った木で、幹が真っ直ぐで高いです。 今年の冬【に】初めて知った木で、幹が真っ直ぐで高いです。 >砂漠で【】駱駝という動物しかイメージできませんが、 砂漠で【は】駱駝という動物しかイメージできませんが、 >そのまま椰子の木になってしまった【】伝説だ【】と思います。 そのまま椰子の木になってしまった【という】伝説だ【った】と思います。 >次のページで「coconut」の由来【を紹介しました】。 次のページで「coconut」の由来【が紹介されています】。 実際上、介紹「coconut的由来」的是nin2指示的網頁。 >「奉献」を「捧げる」、「奉仕」に【言い返し】たらお分かりに【なるように】なりましたか。 「奉献」を「捧げる」、「奉仕」に【言い換え】たらお分かりに【】なりましたか。 「言い返す」是「回嘴」的意思。 >何をもらえるのか【】考えることさえも【】ないで捧げます 何をもらえるのか【を】考えることさえも【し】ないで捧げます >自然は「奉献>索取」で、美しい地球を作っています。人間だけは「索取>奉献」で、いつか地球を殺してしまう恐れがあります。 「奉献>索取」和「索取>奉献」的非常好、用縮短表現表達関鍵的論点。 >人間には「欲望」というものがある【】と関係があるかもしれません。 人間には「欲望」というものがある【こと】と関係があるかもしれません。 >『不都合な真実』はまだ見たことがありません。【心がけます】。 『不都合な真実』はまだ見たことがありません。【機会があったら、見てみたいと思います】。 如果、nin2想用「心がけます」這様説法、「心に留めておきます」比較好。
お礼
⇒「、」のところはずっと添削していません。「、」と「,」の違いはご存知でしょうか。「、」は普通単語の並列の時しか使わないのに対して「,」は日本語の「、」の使い方に似ています。 >【也許nin2不是将「日本語」写錯了「中国語」ma ?】 ⇒【也許nin2把「日本語」写成了「中国語」ba。】 ⇒【nin2是不是将「日本語」写成了「中国語」ne ?】 >喫過【了】 ⇒【】 >nin2【是現在在中国住的】ma? ⇒【現在是住在中国】(はい、そうです。) >我以為nin2【是在日本住的】。 ⇒【住在日本】 >【這個詩】hen3好。 ⇒【這篇散文】(『白楊礼賛』は散文なので) >「中国的西北辺」譲我【想像】新疆北部。不過、我【想像】白楊大概是在中国的東北三省地方【成長】。不是ma? ⇒【想到】、【覚得】、【生長】 >一般在中国「楠樹」算不得【人愛】的樹木ma? ⇒【人men喜愛】か【人見人愛】か【人人喜愛】 >在日本、【人】也愛楠。 ⇒【人men】 >楠樹【是】成長的時間非常長。 ⇒【】 >【和此一様】 ⇒【yu2此一様】(文語)か【和zhe4個一様】(口語) >梅樹【是】成長的時間比較短。 ⇒【】 >学的内容比較【軽】 ⇒【浅】 >【最底】的照片也【表達】「楠樹」的雄姿。 ⇒【最底下】、【可看出】 >【点襲】【最底】的「球果と雄花」項目、 ⇒【点撃】、【最底下】 >我発現【了】「水杉」是在中国的四川省【第一次発現了】。 ⇒【】、【被第一次発現的】 >【是】不太清楚。 ⇒【】 >nin2he1過【椰子果汁】ma? ⇒【椰子汁】 >不過、可惜的是在日本hen3少看。 ⇒【看到】 >【在者】 ⇒【再者】 >我感覚中文的「索取」【比】日語的「搾取」比較【近】、中文的「奉献」【比】日語的「無償の奉仕」比較【近】。 ⇒【和】、【接近】、【和】、【接近】 >【下面是為nin2写自然的日文的参考】 ⇒【下面是為nin2写的自然的日文。供nin2参考】(供nin2参考=ご参考までに) >在現代日語【上】 ⇒【中】 >介紹「coconut的由来」的是nin2【指示】的網頁。 ⇒【給出】 >「奉献>索取」和「索取>奉献」的【】非常好、用【縮短表現表達】関鍵的論点。 ⇒【表達方法】、【凝縮的語言表達出】 >如果、nin2想用「心がけます」【這様説法】 ⇒【這様的説法】
補足
ご回答とご添削に心より厚くお礼申し上げます。「楠学問」と「梅の木学問」は新鮮な表現です。「メタセコイア」の写真はすごく助かりました。これからも見てみます。「鏡像状態」はなんとなくわかりました。ココナッツの汁はおいしいですね。私も好きです。ココナッツの上に太いストローを差し込んでそのまま飲みました。ちなみに、アーモンドの汁は飲めますか。美容にいいです^^。いろいろ新しい知識を勉強できて大変嬉しいです。また、機会があったら、kobareroさんと一緒に勉強したいです。本当にありがとうございました。kobareroさんの中国語はとても上手だと思います。王之渙の『登鸛鵲楼』の中の一句「欲窮千里目,更上一層楼」をお贈りします。がんばってください。応援しています。 1. >nin2問我什ma的中文詞? 「中国語の単語を一つ教えていただきたいのですが」は「中国語の単語を一つ教えさせていただきますが」の間違いです。意味はすっかり変わりましたね。「老油条」に近い日本語の言い方は勉強になりました。自嘲の時に使ってみます。 2. >在這里的「西北極」是「中国的西北辺際」的意思ma? 「中国的西北辺」譲我想像新疆北部。不過、我想像白楊大概是在中国的東北三省地方成長。不是ma? 「西北極/普通」ではなく、「西北/極普通」のような区切りです。「極」は「ごく。きわめて。とても」という意味です。「西北」は普通「shan3西、甘粛、寧夏、青海、新疆」を指します。 3. >一般在中国「楠樹」算不得人愛的樹木ma? 中国人も楠が好きです。楠はいい薫りがあり、高級の材木として家具や宮殿に幅広く使われています。どちらかというと、木の貴族でおしゃれな、高貴な感じがします。でも、素朴さは黄砂に覆われる険しい環境の中で生長しているポプラに及ばないかもしれません。挙げられた写真の中の楠の木は大きなブロッコリーのように見えますね^^。
- kobarero
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我是NO23。 謝謝nin2修改我的中文、又、謝謝nin2告訴我nin2調査的就柳絮的知識。這些知識我hen2有興趣。 >落ちる姿を観察してみます。だいたい何月ぐらい見られるのでしょうか。 松樹的種子是、叫松塔児(日文称zuo4”まつぼっくり”)的松果里成長的。這個松塔児年軽時候結実地関閉、所以従那里種子不能na2出来。我覚得一般夏天以后、松塔児充分成熟、自然打開、種子容易出来。下面是松塔児的照片。 http://yunphoto.net/zh/photobase/yp1094.html http://www.photolibrary.jp/img1/35_645.html http://blog.so-net.ne.jp/tabijiisan/2006-08-30 下面、nin2也看到”まつぼっくり”這個日語詞的由来。這hen3有意思。nin2看。 http://gogen-allguide.com/ma/matsubokkuri.html >柳は毛虫のような「柔ti2花序」 用日文好像叫作「尾状花序」似的。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8A%E3%82%AE http://bjjxzwy.bjedu.gov.cn/new_page_15.htm >もしかして雄花が咲く柳には柳絮がないということでしょうか。 因為只有雌花才能産生種子、爾只有種子才能帯綿毛(nin2写的絨毛)、所以雄花没有柳絮、只有雌花才有柳絮。在下面網頁的日記中10月21日(土)部分有這様的説明。 http://ymiyagi.cool.ne.jp/diary/d200010.htm >四選一の選択問題なので、Cではないかと思います。 我也覚得正解是C。 >「柳絮」が舞い上がるシーンはご覧になったことがありますか。雪に似ているでしょうか。 我也没看過。但、因為我小時候我家付近有白楊(日文:ポプラ)林陰道、爾那ke1白楊也撒像綿毛一様的種子、所以我感覚「柳絮」恐pa4是像綿毛似的。sui1然白楊和柳不一様、但白楊和柳都属yu2植物分類上同一的「科」。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%97%E3%83%A9 >「すずかけ」のたとえは美しいと思います。花は白いのですね。 我毎年春天看的是白色的。不過、調査一点児后、我覚得那些白色的部分也許是葉子或者花萼的一部分、花可能是在別的地方。因為、下面的照片有”這是懸鈴木的花”的説明。sui1然我以為這是懸鈴木的果実、ta1可能是懸鈴木的花。這個問題、我還不太清楚、后来我再会調査一下。 http://www.shinjukugyoen.go.jp/news/news4_2006/n06_4_13b.html 実際上、花萼是非常容易混xiao2。在下面的百合花弁中的三枚不是正確的花弁、爾是花萼的。nin2知道ma? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BC >映画や絵で砂漠の中のたった一本の木のシーンを時々見かけます。その木はどのように来たのでしょうか。架空でしょうか。 関yu2原因可能考慮到下面的幾個項目。 1.有「風媒花」的樹木能由風将其種子搬運到遠方的地方。 2.有些動物(包括鳥)或者人喫樹木的果実后到遠方的地方将種子排出体外。 3.有些樹木的果実或種子有「刺」。由yu2這些「刺」、那些種子容易付着動物、被搬運到遠方的地方。 http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/8-3.html 4.在那里元来有hen3多樹木繁殖、不過、由像自然環境的変化等某些理由、其他的樹木都枯死了。 >ものすごく硬い皮の実がある木の自らの繁殖は難しいでしょうか。実の皮が硬くて種はなかなか外に出られないでしょう。 nin2提出了hen3有意思的問題。我調査后才発現了hen有意思的事情。有硬皮的果実的話、一般有「発芽孔(日文:発芽穴)」。通過這些発芽孔、新芽容易成長。比如、椰子果実的話、像下面網頁表達一様、有3個発芽孔。関yu3椰子的這些3個発芽孔、還有一句hen3有意思的故事。在果実上的這些3個発芽孔、看起来、是hen3像hou2子(日文:猿)的lian3(日文:顔)。就是、両個孔是両個眼瞳、一個孔是嘴。所以、古時候的葡萄牙人将椰子果実叫zuo4”Coconut Palm”。”Coco”是用葡萄牙語意味hou2子。日文也叫zuo4”ココヤシ”。在中国、「ココヤシ」zen3me叫na? http://www.rakuten.co.jp/gardensk/430279/437980/456883/ http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/special/041216/ 在日本本来没有椰子樹繁殖、椰子果実是只有乗海流従遠方海外才漂流到日本的。所以、椰子果実、対古時代的日本人来説、是一個対海外的一種憧憬的象征。的確、日本的明治時代的一個文学者島崎藤村作了一幅関yu2椰子果実的詩。后来、一譜楽曲也作了。下面是這曲楽曲。 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/yashi.html >単卵双子とは結合性双生児のことでしょうか。 結合性双胞胎一般是単卵双胎。不過、単卵双胎不一定是結合性双胞胎。意思是這様的。単卵双胎的受精卵、看受精后什ma時候開始細胞分裂、以后的成長状態不一様。如果受精卵受精后十天以内開始細胞分裂的話、能有両個胎盤、各単卵双胎是分別成長。没有問題。如果受精卵受精后十天以后開始細胞分裂的話、可能只有一個胎盤、各単卵双胎是在鏡像状態上成長。有点児問題。如果受精卵受精后十三天以后開始細胞分裂的話、可能長大結合性双胞胎。 http://www.tamagoya.ne.jp/potechi/2002/20020630.htm >双卵双子とは私たちは普段見た普通の双子のことでしょうか 我men一般看到的双胞胎、有的是双卵双胞胎、有的是単卵双胞胎。 >黄身の二つのタマゴはどちらでしょうか。黄身の二つのタマゴが雛になったら、結合性双生児になるのでしょうか。 鶏不是哺乳類、没有胎盤、成長過程和人不一様。也許鶏的話没有結合性双生児。我不太清楚、要再調査一下。 >私は木の「奉献>もらう」、人間の「もらう>奉献」のように感じています。木の「奉献」によって、地球の命が伸びつづけることができます。 「奉献」這個詞在日本人日常生活上hen3稀少用、所以、我不一定清楚nin2説的意思。我覚得nin2説的「奉献」是和日文的「恵み」、恐pa4就是中文的「恩恵」「施恩」差不多。是不是? 樹木施恩給人類、人類由樹木領受豊富的東西和環境。這様的ma? 日本人表達這様的事情是「自然の恵み」。「自然」包括不但樹木爾且樹木以外的所有的植物、和人類以外的所有的動物、以及像地球、太空等全体環境。関yu2「自然の恵み」在日本最近常常用的関鍵字是「エコロジー」、就是生態学。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC 生態学考慮自然給人類的恩恵、所有的生物之間的互相依存関係、生物和環境的互相作用、担心人類破壊自然的未来。連在市場経済下活動的公司也応該考慮「エコロジー」。所以、ta1men供給的不少産品也和「エコロジー」有関。這様有関「エコロジー」的産品常常叫zuo4「エコ製品」。 http://www.eco-webnet.com/portal/modules/products_search_list/ 和「エコロジー」有関的ling4外一個hen3有意思的想法是「ガイア理論」。就是「地球是一個生命」的看法。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%A2%E7%90%86%E8%AB%96 http://www.mainichi-msn.co.jp/yougo/archive/news/2006/11/20061129ddm010040140000c.html nin2看過前美国副総統アル・ゴア的電影「不都合な真実」ma? 這也和「エコロジー」以及「ガイア」有関。 http://www.futsugou.jp/ ============================================== 下面是為nin2写自然的日文的参考 ============================================== >宿題はまた遅れて【いました】。 宿題はまた遅れて【しまいました】。 >だいたい何月【ぐらい】見られるのでしょうか。 だいたい何月【ぐらいに】見られるのでしょうか。 (或者)「だいたい何月【頃に】見られるのでしょうか。」比較好。 >たぶん柳の綿のような【感じの何か】と思いました。 たぶん柳の綿のような【ものではないか】と思いました。 >柳絮は柳の花ではなく、【柳の種と種の上の絨毛】だそうです。 「柳絮は柳の花ではなく、【綿毛の生えている柳の種】だそうです。」是比較容易了解。 >一つの花に雄蕊と雌蕊の【どちら】しかない 一つの花に雄蕊と雌蕊の【どちらか(或者)どちらか一方】しかない >一つの植物に雄花と雌花の【どちら】しかない 一つの植物に雄花と雌花の【どちらか(或者)どちらか一方】しかない >昆虫を【引き】ます 昆虫を【引き付け】ます >昆虫が受粉【してあげる】 昆虫が受粉【を助けます】 >こんな「花序」に雌と雄に分け、熟したらまる一つ脱落します。 這個句子我意思看不dong3。可以換句話説ma? >【雌の花序の中の実は二つの部分に割れたら、実の中の白い絨毛がついている種は風によって外に舞ってきます。】 【雌の花序の中の実は二つに割れ、中から綿毛の付いた種が風に吹かれて外に舞い出てきます。】 >次のページに【出た】二番目のワード文書にあります。 次のページに【出ている(或者)表示されている】二番目のワード文書にあります。 >【四選一の選択問題】なので、Cではないかと思います。 【四択問題】なので、Cではないかと思います。 >日本の学校は自然を愛する心を子ども【の】幼い時からすごく力を 日本の学校は自然を愛する心を子ども【が】幼い時からすごく力を >日本語を勉強してよかったと思った【一つのこと】は 日本語を勉強してよかったと思った【ことの一つ】は >入り口のところで【少し植え付けられ】ています。 入り口のところで【何本か植えられ】ています。 >今度行った時に【気をつけます】。 今度行った時に【気をつけて見てみます】。 只有【気をつけます】意味”因為上次我不注意、下次我応該注意”。 >その木は【どのように来た】のでしょうか。 その木は【どこから来た】のでしょうか。 >【架空】でしょうか。 【架空の話(或者)人工的なもの】でしょうか。 >【また、ものすごく硬い皮の実がある木の自らの繁殖は難しいでしょうか。】 【また、ものすごく硬い皮の実を持つ木は、自ら繁殖するのが難しくないでしょうか。】 (或者)【また、ものすごく硬い皮の実を持つ木は、自ら繁殖するのが難しいのではないでしょうか。】 >あるいは、実が地面にあたった瞬間、運がとてもよく割れたら、種は中から出るでしょうか。 sui2然nin2写的句子充分能了解、我感覚下面是比較自然的。 「あるいは、実が地面にあたった瞬間に、たまたま運よく実が割れて、種が中から出て来るかも知れません。 >双卵双子とは私たち【は】普段見【た】普通の双子のことでしょうか。 双卵双子とは私たち【が】普段見【る】普通の双子のことでしょうか。 >黄身【の】二つの 黄身【が】二つの (或者)「黄身【が】二つ【ある】」 >木と枝、母親と子どもは【結合性双生児との比較は違うような】気がします。 木と枝、母親と子どもは【結合性双生児と比較することはできないような】気がします。 >木と枝、母親と子どもは【いずれにしても】従属関係の親子のような気がします。 木と枝、母親と子どもは【いずれも】従属関係の親子のような気がします。 >おそらく脳も心臓も別々【】ある【】でしょう。 おそらく脳も心臓も別々【に】ある【の】でしょう。 >地球が死ぬのは、人間の「もらう」によって、地球の命を絶つの【と】、地球の自らの老化【と】、別の星が地球にぶつかる【の】どれか【】と思います。 地球が死ぬのは、人間の「もらう」によって、地球の命を絶つの【か】、地球の自らの老化【か】、別の星が地球にぶつかる【のかの】どれか【だ】と思います。
お礼
10. >各単卵双胎是在鏡像状態上成長。 単卵双子と結合性双生児との関係、双子はどのような細胞から分裂したのかはわかりました。鶏と人とは比べ物にならないのですね。「鏡像状態」の意味を調べてもよくわかりません。簡単な言葉で簡単に説明していただけませんか。 11. 「奉献」と「索取」は中国語でよく使います。中日辞典によると、「奉献」は「献上する。差し上げる」で、「索取」は「請求する、取り立てる」という意味です。「奉献」を「捧げる」、「奉仕」に言い返したらお分かりになるようになりましたか。何をもらえるのか考えることさえもないで捧げます。「恩恵」、「施恩」はどうも偉そうにやってあげるように感じています。そのような感じが全くなくて、たとえば、恋をする時、精一杯捧げてあげたいという気持ちは「奉献」だと思います。相手のために、自分の命までも捧げることができるなら、それが「愛」になると、私はこれで「好き」と「愛している」の違いを判断しています。「索取」のシーンというと、「~をくれ! ~をくれ!」と要求している人のことを思い浮かべてみてください。自然ももちろん「索取」をすると思いますが、人間ほど欲張りをしません。自然は「奉献>索取」で、美しい地球を作っています。人間だけは「索取>奉献」で、いつか地球を殺してしまう恐れがあります。人間には「欲望」というものがあると関係があるかもしれません。「エコロジー」と「ガイア理論」のご紹介ありがとうございました。『不都合な真実』はまだ見たことがありません。心がけます。 * >謝謝nin2修改我的中文、【又】、謝謝nin2告訴我nin2【調査】的【就】柳絮的知識。 ⇒【還有】、【査】、【関yu2】。「調査」はどうも殺人事件などの重大の場面に多用されるような気がします^^。 >【有】「風媒花」的樹木能由風将其種子【搬運】到遠方【的地方】。 ⇒【】、【帯】、【】 >還有一【句】hen3有意思的故事。 ⇒【個】 >”Coco”是【用葡萄牙語意味hou2子】。 ⇒【葡萄牙語hou2子的意思】 >【的確】、日本的明治時代的一個文学者島崎藤村作了一【幅】関yu2椰子果実的詩。 ⇒【】、【首】 >后来、【一譜楽曲也作了】。 ⇒【被譜了曲】。 >可能【長大】結合性双胞胎。 ⇒【長成】 >「奉献」這個詞在日本人日常生活上【hen3稀少用】。 ⇒【極少用】
補足
ご回答とご添削に心より感謝いたします。まず、中国語の単語を一つ教えていただきたいのですが、中国では、「箸にも棒にも掛からない奴」のことを「老油条」(古い油条)と言います。「油条」という食べ物はご存知でしょうか。 http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/50209/%CC%FD%BE%F2/detail.html?mode=0 http://photocdn.sohu.com/20050830/Img240312524.jpg 長時間揚げられた油条は硬くてどうにもならないのでそう言われています。たとえば、返事の遅れてばかりいる私はずばり「不交作業的老油条」(宿題を出さない老油条)になっていると思います(^^;)。申し訳ありません。 1. ウィキは中国から直接には入れないので、せっかくウィキで探していただいた内容はぜんぶ読めません。次のサイトから間接にはウィキに入れますので、お手数をおかけしますが、今度からは次のサイトでよろしくお願いします。 http://wpedia.search.goo.ne.jp/ 2. 山に登っていた時、まつぼっくりが服についてくることがあるような気がします。今年の夏で、種が落ちる時のプロペラ姿を気をつけて見てみます。 3. 「柔ti2花序」はだいたいわかりました。二番目の漢字の読み方はkobareroさんのおかげで知りました。雌花しか種を生まないのは「天経地義」(絶対に正しい道理。しごく当たり前のこと)のことですね;;;;;。柳の故郷で柳絮を見るのは今年の二番目の楽しみです。 4. ポプラでも、綿毛があるのですね。ちょっとイメージはずれでした。ポプラというと、矛盾という作家から影響を受け、男性の代表的な木だと思っています。矛盾にポプラをたたえる名文『白楊礼賛』がありました。ポプラは中国の北のほうではよく見かける木だそうです。「木の中の男らしい男」、「真っ直ぐな幹、真っ直ぐな枝、全ての枝は上に向かって成長する」などの表現が好きです。高くて真っ直ぐなポプラは頭に強く焼き付けられました。ポプラにも綿毛があることを「どんな男らしい男でも優しい一面がある」と理解するつもりです^^。 http://www.ct-education.com/art/mingzuo/md/200601/5016.html 5. 幹が真っ直ぐで高い木はこちらでめったに目にしないような気がします。「水杉」はご存知でしょうか。最近この木にはまっています。今年の冬で初めて知った木で、幹が真っ直ぐで高いです。幹に手で触ってみたら、なんだかそんなに硬くないような感じがします。夏になるとどういう格好なのかも楽しみにしていますが、「水杉」の冬の姿が好きです。日本の方に日本語の名前を聞いたら、「杉に似ているが、杉ではない。葉が落ちるから」と言っていました。このサイトでは「メタセコイヤ」という言い方を目にしました。メタセコイヤは「水杉」のことでしょうか。 6. 家の近くのプラタナスはすでに若葉が生えました。プラタナスの花は赤なのか白なのか、どういうような形をしているのか、今年の三番目の楽しみです。 7. >実際上、花萼是非常容易混xiao2。在下面的百合花弁中的三枚不是正確的花弁、爾是花萼的。nin2知道ma?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BC ゆりの三つの花弁は本当の花弁ではないことは知りませんでした。面白いです。参考ページは読めませんので、http://wpedia.search.goo.ne.jp/でもう一度お願いします。 8. 砂漠の中のたった一本の木の由来を解説していただき助かりました。風というただの乗り物もあるのはすっかり忘れてしまいました。砂漠で駱駝という動物しかイメージできませんが、ほかの動物の出没(人も含め)も可能なのですね。 9. 島崎藤村の詩はいいですね。発芽穴の話も面白いです。ご紹介ありがとうございます。中国では椰子に関する伝説がたくさんありますが、一番美しいと思うのは海のそばで、遠いところに行った恋人の帰りをずっと待っている女性が、そのまま椰子の木になってしまった伝説だと思います。日差しが強いので、椰子の木の葉は彼女の麦藁帽子になりました。 次のページで「coconut」の由来を紹介しました。http://bbs.360edu.net/dispbbs.asp?boardID=29&ID=30634&page=1 cocoの原産地はマレーシアかインドだそうです。15世紀、ポルトガル人の冒険者が漂流してきた椰子を見た時、cocoで呼んだそうです。cocoはポルトガル語で「おどけた顔、仮想お化け」の意味だそうです。(私はポルトガル語はぜんぜんわかりません。)16世紀、英語はその言い方を借りました。椰子の実は固い果実なので、英語で「coco+nut→coconut」になったようです。 日本語の「ココヤシ」は「ココ(ポルトガル語)+ヤシ(中国語)」のように聞こえます。「ココナット」とも言いますか。現在中国では、普通椰子の木を「椰子樹(ye1 zi shu4)」と呼び、椰子の実を「椰子(ye1 zi)」と呼ぶように思います。
- kobarero
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我是NO19。 nin幇助我学中文、非常感謝。 >松の花を見たことがないような気がします。 在下面的網頁上、nin2可以看松花。松花比桜花不太鮮明、所以、人家容易放過。 http://sonobe.s5.xrea.com/design/pinetree.html >松の実とはリスがよく収集するあれでしょうか。 在下面的網頁上、nin2可以看松果実。我第一次喫的松果実是従中国進口的。 http://www.oishi-mise.com/matunomi.htm http://cgi.ebay.com.cn/ws/eBayISAPI.dll?ViewItem&item=260084558356&ih=016&category=94773 関yu2松的種子、我小時候常々用ta1玩児玩児。因為松的種子落下的時候像螺旋jiang3転動。hen3有興趣。 http://www.urap.org/forum/ashi/science/mapled/maple.htm >柳の花と実は見たことがないような気がします。 在下面的網頁上、nin2可以看柳花。従最後第3的照片是柳花的。 http://homepage2.nifty.com/shiromidori/rest1.htm 説到柳花、譲我想柳絮起来了、爾不少日本人聴柳絮這個詞、一定想中国起来。 http://pengzipk.hp.infoseek.co.jp/04/liuxu.htm http://www.asahi.com/world/china/manpo/050511.html 但、有人説柳絮不是柳花的、有人説柳絮是柳花的。像在下面的議論、中国人也好像有一様的疑問。下面的議論、対我的中文水平来説、太難。所以、如果nin2可以dong3的話、請告訴我結論。 http://zhidao.baidu.com/question/6624084.html?fr=qrl3 >桜木は花が散ったら、実はあるでしょうか。 在下面的網頁上、nin2可以看桜花樹的果実。 http://hachisakura.hp.infoseek.co.jp/2005mishou/2005mishou.html 在下面的網頁上、nin2可以看小学生従桜花種子zen3me培育桜花樹的樹苗。 http://www.fureai-net.tv/kuchiooya/6nen/oozakura.htm >ネットで調べたらプラタナスは花が咲くとわかりました。これから気をつけるようにします。 プラタナス、日本人又叫zuo4「すずかけ(鈴掛)」。我聴説中国人也叫zuo4「懸鈴木」。意思是一様的。我家付近有街道懸鈴木。毎年初夏開白色的花。hen3漂liang。 >この木は一年中緑で、葉の形はかんらんのようで、大きさは小さいですが、かんらんよりやや大きいです。 「かんらん」是「橄欖」的ma? 我不知道nin2看過的花是什me。但、因為橄欖花是希la4的国花、nin2看過的樹木也応該有花。 http://www.96116.net/special/syh/yuanlinyuanyi/minghuamingyuan/2006/4/49042.shtml >大変恥ずかしいですが、すべての木は花が咲き、実を作るのでしょうか。 如果樹木不産生花、果実、種子的話、nin2zen3me能想像樹木的繁殖。在那里的樹木、原来従na3里来的? 人家将樹苗運到那里植的ma? nama、在人跡han3見的深山、樹木到底従na3里来的? >種はどこにあるでしょうか。花粉の中にありますか。私は実の中にあるゴマのような粒だと思いました;;;;;。 像nin2覚得的一様、種子成長在果実里。sui1然不是樹木、芝麻的種子、就是所謂「芝麻」、是在芝麻的果実中成長的。樹木的種子也是通過一様的方式在果実里成長的。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%9E >木の一生の使命は何だと思われますか。 樹木提供其他的生物為保持生命必需的物質和環境。其他的生物也提供樹木其需要的物質和環境。這様樹木和其他的生物之間有共存共栄的関係。還可以説、「地球是一個hen3大的生命」。這個生命在自己的体内里組織包括樹木的所有的植物、和包括人類的所有的動物。這様在地球上我men所有的生物是互相依存、互相無上宝貴的関係。 >「単卵双胎児」とは双子のことでしょうか。 双胎児分為、単卵双胎児和双卵双胎児。単卵双胎児是従只有一個受精卵成長的双胎児。双卵双胎児是従両個受精卵分別成長的双胎児。所以、単卵双胎児双方用完全一様的遺伝基因。不過、双卵双胎児双方互相有不一様的遺伝基因。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E7%94%9F%E5%85%90#.E4.B8.80.E5.8D.B5.E6.80.A7.E5.8F.8C.E7.94.9F.E5.85.90 http://120.ylsw.net/Question/2006-8-17/857004.htm >「両個人」は誰のことを指すでしょうか。 両個人、我意味的是単卵双胎児的双方。 >問題1と同じだとおっしゃる理由は何でしょうか。 在問題1,2,3、4上有一貫性的問題。就是、「生命的両個部分、如果互相結実地結合的話、是一個生命。但、后来、ta1分離的話、成為両個別的生命」是正確的ma? 比如、結合双胎児的話(関yu2結合双胎児、如果nin2不太清楚的話、可以参考下面的網頁)、「最初ta1men的身体結実地結合的話是一個生命、分離后、才成為両個生命」是正確的ma? 我覚得是不正確的。因為即使ta1men的身体的一部分還結実地連結、ta1men有両個別的人格、所以可以説ta1man是別的生命。nin2 zen3me想? http://anima.x51.org/x/siamesetwins/chang_eng_banker.php 関yu2単卵双胎児的話、単卵双胎児的双方原来従一個細胞成長的、后来分離了。所以、這個問題、対我来説、和問題1,2,3一様的問題。 最后、譲我幇助nin2学自然的日語。 >無知【の】自分が見えて 無知【な】自分が見えて >木に葉が【咲く】 木に葉が【付く或者育つ】(「咲く」這個動詞是只有為花用的) >冬のプラタナスを遠くから眺めたら、枝にコーヒー豆のように【かかっています】 「かかっている」的主語是什me? 是「法国梧桐」的果実ma? 如果対的話、下面是比較自然的。 冬のプラタナスを遠くから眺めたら、(プラタナスの実は)枝にコーヒー豆のように【付いているのが見えます】 >【なぜプラタナスはそんな果物と一緒に生活しているのかとばかみたいに思ったことがあります。】 什ma是「ばかみたい」的ma? 「法国梧桐」是「ばかみたい」、還是、nin2的想法是「ばかみたい」? 如果「法国梧桐」是「ばかみたい」的話、下面是比較自然的。 【プラタナスがそんな果物と一緒に生活しているのはばかみたいだと思ったことがあります。】 如果nin2的想法是「ばかみたい」的話、下面是比較自然的。 【なぜプラタナスはそんな果物と一緒に生活しているのかと、ばかみたいな疑問を持ったことがあります。】 >無知【の】私は気づいていなかっただけです 無知【な】私は気づいていなかっただけです >種はどこにある【】でしょうか。 種はどこにある【の】でしょうか。 >「周りの目に見える措置としては」這句句子我不太清楚。意思是「作為対(樹木的)周囲的措置」的ma? 如果対的話、「(木の)周りの目に付くところに対する措置(処置)としては」是比較自然的。 >切れた枝そのものは木の一部分【だけだと】思います。 切れた枝そのものは木の一部分【だと】思います。<或者> 切れた枝そのものは木の一部分【に過ぎないと】思います >「両個人」は誰のことを指す【】でしょうか 「両個人」は誰のことを指す【の】でしょうか >私は人の遺伝基因のこと【が】ぜんぜんわかりません 私は人の遺伝基因のこと【は】ぜんぜんわかりません
お礼
博物館で結合性双生児の標本をチラッと見たことがあります。二人の背中がくっ付いていて怖いです。そのまま大きくなって生きる結合性双生児もいるのですね。まるで神話みたいです。 木と枝、母親と子どもは結合性双生児との比較は違うような気がします。木と枝、母親と子どもはいずれにしても【従属関係】の親子のような気がします。でも、結合性双生児は【対等関係】の兄弟の感じがします。 なんだか結合性双生児は二つの心のある一つの命のような気がします。参考URLの中の兄弟は一人が亡くなったら、三時間後もう一人もすぐ亡くなりましたね。分離されていないので、彼らの間の絆は相当強いでしょう。結合性双生児は分離手術をしてもらったら二つの命になると思います。でも、結合性双生児は人間としては、二人だと思います。物事を考える時、独立的に考えることができるからです。おそらく脳も心臓も別々あるでしょう。落書きで申し訳ありません。 8. 「地球自体が一つ大きな命である」という考え方が気に入りました。大変参考になりました。私は木の「奉献>もらう」、人間の「もらう>奉献」のように感じています。木の「奉献」によって、地球の命が伸びつづけることができます。木は地球の命を絶ちません。地球が死ぬのは、人間の「もらう」によって、地球の命を絶つのと、地球の自らの老化と、別の星が地球にぶつかるのどれかと思います。 >松花【比桜花不太鮮明】、所以、【人家容易放過】。 ⇒【没有桜花明顕】、【一般人容易錯過】。 >因為松的種子落下的時候【像螺旋jiang3転動】。【hen3有興趣】。 ⇒【像螺旋jiang3一様転動】、【hen3有意思】。 >【従最後第3的照片】是柳花的。 ⇒【倒数第3張照片】 >説到柳花、譲我【想柳絮起来了】、爾不少日本人【聴柳絮這個詞、一定想中国起来】。 ⇒【想起柳絮来了】、【一聴到柳絮這個詞、一定会想起中国来】。 >但、有人説柳絮不是柳花【的】、有人説柳絮是柳花【的】。 ⇒【】、【】 >【人家】将樹苗運到那里【植】的ma? ⇒【人】、【種】 >互相無上【宝貴】的関係。 ⇒【珍貴】 >【双胎児】 ⇒【双胞胎】 * >「周りの目に見える措置としては」這句句子我不太清楚。 ⇒「私の周りで自分の目で見える措置としては」(在我身辺看得到的措施里)の意味です。もう一度ご指摘いただければ幸いです。
補足
宿題はまた遅れていました。申し訳ありません。丁寧なご回答とご添削に心より感謝いたします。 1. 松の花のURLは残念ながら開けませんでした。でも、ほかのところで見られました。さすが松の花です。面白い形をしていますね。松の実は中華でもよく使いますが、「松」という字にぜんぜん気づきませんでした。勉強になりました。松の種の遊び方は面白いですね! 落ちる姿を観察してみます。だいたい何月ぐらい見られるのでしょうか。 2. 「柳絮」の「絮」は綿のような感じがする漢字なので、たぶん柳の綿のような感じの何かと思いました。参考ページを読みました。自分でもいろいろ調べてみました。柳絮は柳の花ではなく、柳の種と種の上の絨毛だそうです。 柳は花があり、「単性花」(一つの花に雄蕊と雌蕊のどちらしかない)です。また、柳は「雌雄異株」(一つの植物に雄花と雌花のどちらしかない)の植物です。柳の花は鮮やかではありませんが、花蜜をたくさん生産する「蜜腺」があるので、昆虫を引きます。ですから、柳の花は虫媒花です(昆虫が受粉してあげる)。 柳絮は柳の花ではなく、柳の種と種の上の絨毛です。柳は毛虫のような「柔○花序」(二番目の漢字は日本語にない。上は「くさかんむり」で、下は「夷」)です。こんな「花序」に雌と雄に分け、熟したらまる一つ脱落します。(←このことはよくわかりません。)雌の花序の中の実は二つの部分に割れたら、実の中の白い絨毛がついている種は風によって外に舞ってきます。もしかして雄花が咲く柳には柳絮がないということでしょうか。 次のような練習問題も見つけました。 ・春がもうすぐ過ぎる時、空に柳絮が舞い上がる。この柳絮とは( )。 A.柳の花 B.柳の繊維 C.絨毛に包まれる柳の種 D.柳の排出した廃物 中国語版は、次のページに出た二番目のワード文書にあります。その中の76番の質問を日本語に訳してみました。答えはありませんが、四選一の選択問題なので、Cではないかと思います。 http://www.google.com/search?q=%E6%9F%B3%E7%B5%AE%E6%98%AF%E4%BB%80%E4%B9%88&hl=zh-CN&lr=&nxpt=20.53367574851567677710 中国の古代で急に降り出した雪を見て年配の人は若い子に「白雪紛紛何所似」(ひらひら舞い上がっている雪は何に似ているのであろう)という質問を出したという物語があります。一人の若い子は「撒塩空中差可擬」(塩を空中に撒いたのに似ているであろう)と答え、もう一人は「未若柳絮因風起」(柳絮が風に舞い散るというのには及ばない)と答えました。私は柳絮を見たことがありませんが、たぶんたんぽぽが飛んでいる時のシーンに似ているかと想像してみました。「柳絮」が舞い上がるシーンはご覧になったことがありますか。雪に似ているでしょうか。 3. 桜の実をURLで初めて拝見しました。日本の学校は自然を愛する心を子どもの幼い時からすごく力を入れていますね。日本語を勉強してよかったと思った一つのことは自然を以前よりもっと愛するようになったことです。英語も何年も勉強していますが、そんな感銘を受けていません。私の昔の高校は日本の高校からいただいた桜の木が入り口のところで少し植え付けられています。今度行った時に気をつけます。 4. 「懸鈴木」はどうも専門用語っぽい言い方です。私ならそれを聞いたら、「懸鈴木って何?」と聞きたくなります。でも、「すずかけ」のたとえは美しいと思います。花は白いのですね。 5. 「かんらん」は「橄欖」という漢字ですが、「橄欖」のような形をしている葉のことを言っていました。一年中緑です。また調べてみます。 6. >如果樹木不産生花、果実、種子的話、nin2zen3me能想像樹木的繁殖。在那里的樹木、原来従na3里来的? 人家将樹苗運到那里植的ma? nama、在人跡han3見的深山、樹木到底従na3里来的? なるほど^^。木の種が土に落ちてはじめて新しい木が生まれるのですね。人煙のない山の中の木はどのように繁殖されるのかわかりました。 映画や絵で砂漠の中のたった一本の木のシーンを時々見かけます。その木はどのように来たのでしょうか。架空でしょうか。 また、ものすごく硬い皮の実がある木の自らの繁殖は難しいでしょうか。実の皮が硬くて種はなかなか外に出られないでしょう。実が腐って初めて、種は実から出るでしょうか。あるいは、実が地面にあたった瞬間、運がとてもよく割れたら、種は中から出るでしょうか。 7. 双子には「単卵」と「双卵」があるのを初めて知りました。中国語の参考ページも読みましたが、よくわかりません;;;;;。単卵双子とは結合性双生児のことでしょうか。双卵双子とは私たちは普段見た普通の双子のことでしょうか。黄身の二つのタマゴはどちらでしょうか。黄身の二つのタマゴが雛になったら、結合性双生児になるのでしょうか。
- hakobulu
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#21です。ご返事ありがとうございました。 1、 >私という人になるまで、どれぐらいの人がいたのか、また彼らの中で一番最初のその人の前は何なのか知りたくなりました。 :人類永遠の謎ですね。 おそらく、科学と哲学が合体しなければ解明できない問題だろうという印象を持っています。 2、 >『「生まれ変わり」となると、膨大な量の同一元素が再結集される必要があります』とはどういう意味でしょうか。 :前世というものの「生まれ変わり」があるとすれば、後世の人の顔かたちは違っても、色々な記憶が一致している必要があるでしょう。 同じ記憶を持つためには、前世の人の記憶に関係する部位の元素が全て後世の人と全く同じ組み合わせで再現される必要がある。 (なので不可能)という意味です。 3、 >人が人を思う心は人が死ん【でも】、まだ続いているでしょうか。 >AがBを思う心はAが死ん【でも】、まだ続いているか :これは考え方によって違ってくると思います。 たとえば、神というものは存在しませんが、神がいると信じる人の心には間違いなく神は存在しているとも言えるでしょう。 Aが死んだ後で、Aが「Bを思うという行為」をすることは科学的にはできません。 しかし、「AがBを思う」ということは、Bが自分の心で「Aは私のことを思っている」と認識することによって初めて意味を持ちます。 (極端なことを言えば、空港ですれ違ったAがBに対して好意を持ったとしても、そのことをBが一生全く知らなければ、 「AがBに好意を持った」という事実はBにとって何の意味も持ちません。) 「Aは私のことを思っている(思っていた)」という事実は、Bの記憶として永遠に残すことが可能でしょう。 そして思い出すたびに、Bの心にはAが蘇ることになります。 生きている時であっても、Aの精神(=心)は、BがAの心を感じて受け止めてこそ意味を持つものです。 BがAを思い続けている(Aの心を感じて受け止めている)うちは、 「AがBを思う心はAが死んでも、(Bの心の中で)まだ続いている」と言えるのではないか、と私は思います。 「心の思い」の重要性を知る人は、そのように思うことが可能でしょう。 それに何ら意味を見出せない人にとっては、無意味な考え方と感じるかもしれませんね。 ただ、これはあくまで私の感覚的な考え方にすぎません。 精神も心も、その実体は最先端科学においても未だ解明されていません。 「>精神はどうなるでしょうか」という問いに厳密な回答を出すことは私には到底不可能な事です。 4、 確かに、「回光返照」と「枯木逢春」では意味が違いますね。 「枯木逢春」には春の希望と光が感じられます。 しかし、春がくればやがて冬に至るのもまた厳粛な事実であろう、とへそ曲がりな私は思うわけです。 頑固者の上にへそ曲がりになってしまったようです。(--);;;
お礼
ご回答ありがとうございました。「永遠の謎」と言われる問題に興味を持っています。科学者と哲学者の頭がほしいです(><)。前世・後世は私の妄想ですね。膨大な量の同一元素の意味はわかりました。【でも】に添削していただきありがとうございます。hakobuluさんの感覚的な考え方が気に入りました。春がくればやがて冬に至るのも確かに厳粛な事実ですが、「If winter comes, can spring be far behind?」(イギリスの詩人、Shelley)という考え方もあるでしょう。へその部分が曲がらない人はこの世にいるのでしょうか。ハンカチをもう一度使ってください(^-^)。
- hakobulu
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#16です。ご返事ありがとうございました。 1、 a.>なぜ木を見た時ものすごく懐かしい感じがするのでしょうか。 :確かに人は木を見ると懐かしい感じを受けますね。 全くの推測になりますが、木は人類にとっての兄姉ではないでしょうか。 どちらも地球の子供という考え方です。 人類発生以来のDNAのほんの一部が脈々と受け継がれ、そのことを(無意識の記憶として)覚えているので懐かしい感じがするのかもしれません。 b.>前世の何かが死んで、元素に分解されて、再度の組み合わせによって、偶然に今世の人という生き物になりました。 :そうですね。 分解された元素は何らかの意味でこの世界に還元されているはずです。 ひとつひとつの元素に固有の名前が刻まれていれば、 awayuki_chさんの体を構成している元素に、 杜甫や楊貴妃の元素だったものが混じっていることがわかるかもしれませんね。(^_^) 杜甫の肉体を構成していた元素を吸い上げて成長した動植物をawayuki_chさんの祖先が食べていれば、その可能性もあるのではないでしょうか。 ただ、肉体の一部を構成する物質的元素の一つぐらいはあり得るでしょうが、 「生まれ変わり」となると、膨大な量の同一元素が再結集される必要がありますから、これは限りなくゼロに近い、というより「ゼロの確率」と言ってよいと思います。 「前世・来世」というのは想像力の中だけの世界ですね。 「前世・来世」は概念としては面白いと思いますが、やはり論理の可能性放棄につながるような気がします。 2、 a.>枯れ木は死んだと言い切った理由がよくわかりません。 :私も詳しくは知らないのですが、新陳代謝を行なう力が途絶えた時点で樹木の死が始まるのではないかと思われます。 倒れていなくても、栄養を取り込むことが不可能になれば新しい細胞を作ることができなくなりますから、いずれは死んだ状態になるのでしょう。 その状態でもすぐに倒れるわけではないでしょうが、いずれは微生物などによって元素に分解されると思います。 b.>「天災人禍に遭わなかったら、自然界の中では、木は死なない命」は、天災人禍によって木は死ぬと認めたと思います。 :awayuki_chさんは木の強い味方ですね。(^_^) 太陽の寿命は後50億年、地球の寿命は後30億年だそうです。 太陽も地球もいつかは死ぬ、と言えますが、人間の命に比べたら永遠の寿命と言っても間違いではないのかもしれません。 c.中国語に「枯木逢春」(枯れ木に花が咲く。寿命を延ばす機会にめぐりあう)という言葉があります。 :「ろうそく」は消える直前に激しい炎を上げて燃えあがり、その後消えます。 最後の命を奮い立たせる、ということは生命あるものの摂理として理解できるような気もします。 d.>「枯れてなお数100年をもたち続けるという」と書かれていますが、その木は死んでいない、ものすごく強い命が残っていると私は思います。 :そうですね。 たとえ生きていてもawayuki_chさんが見向きもしなければ、その木は死んでいるも同然です。 枯れていても、awayuki_chさんに力強い印象を与え続けている間は、その木は永遠の命を保ち続けていると言えるでしょう。 参考URLは、私もよく理解できないところが結構あります。
お礼
ご回答ありがとうございました。木は人類にとっての兄姉という考え方は参考になりました。特に、風が木の葉に吹いてきた時、懐かしさはより一層氾濫します。「前世・来世」は一瞬ひらめいたものですが、やはり論理の可能性放棄につながるんですね。「新陳代謝を行なう力が途絶えた時点で樹木の死が始まる」、「枯れ木はいずれは微生物などによって元素に分解される」などの考え方は参考にさせていただきます。 >たとえ生きていてもawayuki_chさんが見向きもしなければ、その木は死んでいるも同然です。枯れていても、awayuki_chさんに力強い印象を与え続けている間は、その木は永遠の命を保ち続けていると言えるでしょう。 hakobuluさんから大変いい言葉と考え方をいただきました。ありがとうございます。
補足
>awayuki_chさんの体を構成している元素に、 杜甫や楊貴妃の元素だったものが混じっていることがわかるかもしれませんね。(^_^) あっ、おいしい元素たちですね(*^-^*)。人間に「鼻」と「口」があるのを忘れてしまいました。「鼻」と「口」によって、元素は私たちの体に自由に入ることができますね。 私という人になるまで、どれぐらいの人がいたのか、また彼らの中で一番最初のその人の前は何なのか知りたくなりました。人は猿から進化するのだとよく言われています。彼らの中で一番最初のその人の前はたぶん猿だと思います。その猿にも祖先がいたはずです。その猿らの中で一番最初のその猿の前は何なのかも知りたくなりました。でも、残念ですが、実際は祖母のお母さんのことまでしか知りません。 >分解された元素は何らかの意味でこの世界に還元されているはずです。 そう思えば、私たちの周りに目に見えない元素はいっぱい飛んでいますね。人が死んだら、元素たちはばらばらになってまたいろいろな違うものの構成になるようです。前回は一つのものだけになるという考え方は偏っています。 いろいろなものになるのを選ばないで、元素の身であちこちで自由に飛ぶのも楽しいかもしれません。でも、そんな甘いことはないですね。選択権は元素には持たないはずです。 >ただ、肉体の一部を構成する物質的元素の一つぐらいはあり得るでしょうが、 「生まれ変わり」となると、膨大な量の同一元素が再結集される必要がありますから、これは限りなくゼロに近い、というより「ゼロの確率」と言ってよいと思います。 『「生まれ変わり」となると、膨大な量の同一元素が再結集される必要があります』とはどういう意味でしょうか。 >太陽の寿命は後50億年、地球の寿命は後30億年だそうです。 物質はいつか終わるようですね。精神はどうなるでしょうか。精神もいつか終わる日を迎えるのでしょうか。人が人を思う心は人が死んだら、まだ続いているでしょうか。理解し辛くてごめんなさい。たとえば、A、B二人がいるとします。「AがBを思う心はAが死んだら、まだ続いているか」という意味です。 >「ろうそく」は消える直前に激しい炎を上げて燃えあがり、その後消えます。 最後の命を奮い立たせる、ということは生命あるものの摂理として理解できるような気もします。 中国語はそれを「回光返照」と言います。「夕日の照り返し。人が臨終のとき一時急に精神が興奮すること。または古い事物が滅亡する前、一時栄えることのたとえ」です。でも、「枯木逢春」はどうも滅亡する気配が全くないように思います。「枯木逢春」になってから、ずっとよい方に向かい、光のようなものが感じられました。
- 8942
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no12です。 >大きくなってゆくと自身の体の立体的な大きさに対し、 >表面積の割合が小さくなって行き」の中の >「表面積の割合が小さくなって行き」がよくわかりません。 例えば立方体の形をした樹木があったとして、その木の1辺1だったとします。 その時、表面積は1^2×6=6、その木の体積は1^3=1です。 表面積/体積6/1=6 その樹木が生長して1辺の長さが2になったとしますと、 表面積は2^2×6=24、体積は2^3=8 表面積/体積=24/8=3 その樹木が生長して1辺の長さが3になったとしますと、 表面積は3^2×6=54、体積は3^3=27 表面積/体積=54/27=2 その樹木が生長して1辺の長さが4になったとしますと、 表面積は4^2×6=96、体積は4^3=64 表面積/体積=96/64=3/2 その樹木が生長して1辺の長さが6になったとしますと、 表面積は6^2×6=204、体積は6^3=204 表面積/体積=204/204=1 その樹木が生長して1辺の長さが9になったとしますと、 表面積は 9^2×6=486 体積は9^3=729 表面積/体積=486/729=2/3 と、単純に考えればこのように成長に伴い単位体積当たりにに割り当てられる表面積の割合は 成長すればするほど小さくなって行きます。 そしていつか自分の生命を維持できほどの 表面積を得る事ができなくなる大きさに達する時が来るのではないでしょうか? もちろん樹木の内部はほとんど死んだ細胞なので、上記の計算を単純に当てはめる事は 出来ないと思いますが、寿命を決めるひとつのファクターだと思います。
お礼
再びありがとうございます。今回はよくわかりました。大変理解しやすく説明していただき心より感謝いたします。大変参考になりました。
- kobarero
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我是NO13。 非常感謝nin2教我自然的中文表現。我hen3高興。 >しかし、木は無限に大きくなる、重くなることはまずないように思います。私たち人間と同じように、木も大人になってある形に留まるのではないでしょうか。 nin2説的是”実際上”正確的。譲我付加一下。 人類由hen3多細胞組成。樹木也由hen3多細胞組成。但是、両者的成長結構不一様。人類的話、成人后新細胞経常取代旧細胞。就是、旧細胞消滅。所以、人類身体大小軽重是有限的。不過、樹木的話、成長后新細胞不取代旧細胞。就是、旧細胞残留。所以、樹木身体大小軽重都是理論上無限的。sui1然理論上無限、実際上有限。意思是、由yu2像強風、雪、雷、地震、火災等外圧、樹木的旧部分常常会被破壊、所以実際上樹木的大小軽重是有限的。 >普段見た木の中では、花を咲かない、実が成らない木もあります。 如果nin2知道不産生種子的樹木、請告訴我其名字。我不知道不産生種子的樹木。比如、除了hen3明顕的ping2果、桃子、梅樹、桜花樹、銀杏、葡萄以外、還有、杉、松、楓樹等都産生種子。在春天hen3多人得花粉症、這是杉花粉的。 >一本の木の中の芽と枝は新しい植物とは言えるのでしょうか。それは木自身の成長ではないでしょうか。 nin2説的是正確的。一ke1樹木的芽和枝也是其ke1樹木的一部分。上次我回答的時候、我以為在毎個芽和枝中的所有的細胞、在端粒的限制下、都不能分裂無限多次、所以、樹木也不能持続永遠的生命。然爾、后来、我発現了下面的両個新的事実。 (1)関yu2樹木、只有樹木的一部分才有細胞分裂能力。就是、只有枝和根的頂端以及樹干的周囲、才有細胞分裂能力。其他的部分、都没有細胞分裂能力。比如、樹干的中心没有細胞分裂的能力。所以、樹干的中心一段時間后枯死。只有樹干中心的外辺、才能有細胞分裂的能力。 (2)有的細胞含有停止端粒効果的物質、這個物質的名字是”端粒酵素(端粒mei2)(テロメラーゼ)”。具体地説、関yu2動物、生殖細胞含有端粒酵素、所以、理論上、生殖細胞能分裂無限多次。生殖細胞以外的一般体細胞不含有端粒酵素、所以、体細胞不能分裂無限多次。関yu2樹木、在上面(1)説明的有分裂能力的細胞(称成長細胞)含有端粒酵素。這意味着、理論上、樹木的成長細胞持続永遠的生命。 http://www.biotechworld.cn/content.aspx?id=4014 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%A1%E3%82%A2#.E3.83.86.E3.83.AD.E3.83.A1.E3.83.A9.E3.83.BC.E3.82.BC.E3.81.A8.E3.83.86.E3.83.AD.E3.83.A1.E3.82.A2.E3.81.AE.E8.A4.87.E8.A3.BD 所以、nin2覚得樹木有永遠的生命是理論上hen3可能正確的。不過、”実際上”有問題。因為実際上有像下面的hen3多障ai4。這就是nin2説的”天災人禍”。 (1)強風、地震、洪水、雷、雪等物理上的破壊力。 (2)養分、水分、和太陽光等不十分。 (3)由yu2紫外線等在細胞里的遺伝基因被破壊。 (4)其他化学物質也可能破壊遺伝基因。 我反爾覚得為譲樹木有永遠的生命、最好的方法是在人類的管理下培育樹木。否則、hen3難避開上面的障ai4。 >私は新しい枝は木自身だと思います。新しい枝がなるのは、木は大きくなる、木の一種の成長と言えると思います。枝と葉は木の子どもではないと思います。 nin2説的是正確的。但、関yu2下面的問題nin2zen3me想。我hen3有興趣。 問題1: 差不多所有的樹木、即使其枝被切断后落下土壌、ta1也hen3可能産生新的根和新的枝。這ke1新的小樹木是不是元来的樹木的一部分? 問題2: 母親懐孕hai2子的時候、母親和hai2子之間由臍帯連接。這個時候、hai2子是不是母親的一部分? 問題3: 母親和hai2子之間的臍帯被切断后、這個hai2子還是母親的一部分me? 問題4: 人的単卵双胎児出生后、還是、同一人ma? 這個時候両個人的遺伝基因是一様的。情況上、和問題1一様、是不是? >ただ、私はここで自然に成長する一本の木のことを討論したいです。 樹木的枝被切断、原因不一定是人類的行為。雷、雪、大風也可能切断樹木的枝、然后、在土壌中也産生新的根和枝。 >「この木は死んだ!」の判断の基準を教えていただけませんか。 一般、枯死的樹木是没有任何生命的証拠。生命的証拠是長大、経常有水分、産生新芽、産生新枝、産生葉、産生花等。但、像上面我説明、樹木的有部分、有無限多次的細胞分裂能力。如果正在枯死的樹木的hen3小一部分還没枯死的話、我hen3可能忽略。 >中国語に「枯木逢春」(枯れ木に花が咲く。寿命を延ばす機会にめぐりあう)という言葉があります。 如果用最多的注意力看的話、也許可能発現生命的痕跡。所以不応該放棄。在日本有「譲枯木開花的翁翁」的童話。 http://www.gakko.edu.mie-u.ac.jp/comp_ed/2001/sakaniwa/hanasakaziisan.html 最后、譲我幇助nin2学自然的日語。 >すべての木は【枯れた前】、開花、受粉、種を【成す】などの過程を経るのでしょうか。 すべての木は【枯れる前に】、開花、受粉、種を【作る】などの過程を経るのでしょうか。 >普段見た木の中【で】は、花【を】咲かない、 普段見た木の中【に或者で】は、花【が】咲かない、 >「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」と【は】言えるのでしょうか。 「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」と【】言えるのでしょうか。 >一本の木の中の芽と枝は新しい植物と【は】言えるのでしょうか。 一本の木の中の芽と枝は新しい植物と【】言えるのでしょうか。 >新しい枝が【なる】のは、木【は】大きくなる、木の【一種の成長】と言えると思います。 新しい枝が【伸びる】のは、木【が】大きくなる、(あるいは)、木の【成長の一種】と言えると思います。 >新しい枝が【なって】から木が死んだら、 新しい枝が【はえて或者伸びて】から木が死んだら、 >木が死んでも倒れない【と】何度も【お目にかかった】ことがあるとおっしゃいましたね。 木が死んでも倒れない【のを】何度も【見た】ことがあるとおっしゃいましたね。 関yu2【見た】、如果nin2想用敬語的話、用【ご覧になった】。如果nin2用【お目にかかった】的話、那意味着我対枯死的樹木表示敬意的意思。 >倒れないなら、【立てる】力をちゃんと持っており 倒れないなら、【立っている】力をちゃんと持っており 一般地説来、nin2的日文表現非常自然、我hen3難発現不自然的地方。只有看hen3多次、才能発現微小不自然的地方。 ===================================================================================== >nin2也許覚得即使植物寿命是【有限】、【也】植物総体的寿命可能是【無限】。 →nin2也許覚得即使植物寿命是有限的、植物総体的寿命也可能是無限的。 実は、この文の意味はよくわかりません。日本語で意味を書いていただければありがたく思います。 ====================================================================================== 対不起。我写錯了。 >nin2也許覚得即使植物寿命是有限、也植物総体的寿命可能是無限。 応該是---> nin2也許覚得即使植物【的細胞】的寿命有限、植物総体的寿命可能無限。
お礼
添削は字数オーバーになったので、文面の並び方が悪くて申し訳ありません。『はなさかじいさん』の童話はちょっと悲しい感じがしますが、悪人はやはり「悪有悪報」と知って嬉しいです。 >非常感謝nin2教我自然的中文【表現】。 【表現】→【表達】 >nin2説的是【”実際上”正確的】。譲我【付加一下】。 nin2説的是【”実際情況上”的正確】。譲我【再補充幾句】。 >就是、旧細胞【消滅】。 【消滅】→【消亡】 >比如、除了hen3明顕的【ping2果】、【桃子】、梅樹、桜花樹、銀杏、【葡萄】以外、還有、杉、松、楓樹等都産生種子。在春天hen3多人得花粉症、這是【杉花粉的】。 比如、除了hen3明顕的【ping2果樹】、【桃樹】、梅樹、桜花樹、銀杏、【葡萄樹】以外、還有、杉、松、楓樹等都産生種子。在春天hen3多人得花粉症、這是【杉的花粉的原因】。 >這意味着、理論上、樹木的【成長細胞持続永遠的生命】。 這意味着、理論上、樹木的【成長細胞将保持永遠的生命】 >所以、nin2覚得樹木有永遠的生命【是理論上hen3可能正確的」。不過、【”実際上”有問題】。 所以、nin2覚得樹木有永遠的生命【理論上是hen3可能正確的」。不過、【”実際情況上”是有問題的】。 >養分、水分、和太陽光等不【十分】。 【十分】→【充分】 >【母親懐孕hai2子】的時候、 【母親懐孕hai2子】→【母親懐孕】あるいは【母親懐了hai2子】 >人的【単卵双胎児】出生后、還是、同一人ma? 這個時候両個人的遺伝基因是一様的。情況上、和問題1一様、是不是? 【単卵双胎児】は「双子」の意味でしょうか。この文の意味がよくわかりません。「双子」は「双胞胎」と言います。 >但、【像上面我説明】、樹木的【有部分】、 但、【像上面我説明的一様】、樹木的【有些部分】、 >如果用【最多的】注意力看的話、 如果用【最大的】注意力看的話、 >「譲枯木開花的翁翁」 「譲枯木開花的老爺爺」 >一般地説来、nin2的日文【表現】非常自然、我hen3難発現不自然的地方。只有看hen3多次、才能発現【微小】不自然的地方。 【表現】→【表達】、【微小】→【細微】
補足
返事が遅くなり申し訳ありませんでした。丁寧なご回答とご添削に感謝いたします。無知の自分が見えて汗をいっぱいかきました;;;;;。 人の細胞と木の細胞の違いはわかりました。なぜ人と木の大きさと重さがだいたい決まっているのかもわかりました。とても理解しやすく説明していただきありがとうございました。 木の枝と根のトップ及び幹の外側の細胞(成長細胞)しか分裂能力を持っていないのですね。細胞の分裂回数を制限する「テロメア」の敵、成長細胞にある「テロメラーゼ」の知識を教えていただき助かりました。理論上、成長細胞は永遠の命を持つのですね。 >如果nin2知道不産生種子的樹木、請告訴我其名字。 次の話はぜんぶ小学生(いいえ、幼稚園子)の話と聞き流していただければ幸いです。 松の花を見たことがないような気がします。松の実とはリスがよく収集するあれでしょうか。柳の花と実は見たことがないような気がします。桜木は花が散ったら、実はあるでしょうか。 木というと、葉、枝、幹をすぐイメージできます。「木に花が咲く」より、「木に葉が咲く」、「木に実がなる」より、「果樹に実がなる」のような言い方のほうがしっくりくるような気がします。たぶん私の潜在意識の中で、果樹と木は違うものだと思ってしまいました。実どころか、花さえも木とは関係がないと思いました。木に花を見かけても、ただの飾り物で、いつか葉と同じように散ってしまうと思いました。木に実を見かけても、どこから来たのかと不思議に思ったことがあります。木を再認識する必要があると思います。 私のいる町で「法国梧桐」(日本の方はそれを「プラタナス」と呼んでいる)という木は街路樹としてあちこちで見かけます。プラタナスにれいしのような果物がついています。でも、その果物は食べられません。中身は毛だらけです。冬のプラタナスを遠くから眺めたら、枝にコーヒー豆のようにかかっています。なぜプラタナスはそんな果物と一緒に生活しているのかとばかみたいに思ったことがあります。私はプラタナスの花を見たことがありません。でも、それは無知の私は気づいていなかっただけです。ネットで調べたらプラタナスは花が咲くとわかりました。これから気をつけるようにします。 プラタナスのほかに、もう一つの常緑の木もこちらで街路樹としてよく見かけます。名前はわかりません。周りの人に聞いてもわからないと言っていました。この木は一年中緑で、葉の形はかんらんのようで、大きさは小さいですが、かんらんよりやや大きいです。花と実もたぶんあるでしょうが、緑だけ集中するせいか、花と実に気づいたことはありません。これから気をつけるようにします。 大変恥ずかしいですが、すべての木は花が咲き、実を作るのでしょうか。種はどこにあるでしょうか。花粉の中にありますか。私は実の中にあるゴマのような粒だと思いました;;;;;。木の一生の使命は何だと思われますか。 >我反爾覚得為譲樹木有永遠的生命、最好的方法是在人類的管理下培育樹木。否則、hen3難避開上面的障ai4。 そうですね。周りの目に見える措置としては、木の幹は白く塗られるとか(防病虫害)、若い木の隣に石の棒を作って、ひもで木に結ぶとか。木にも寿命があるとわかりました。いずれにしても、木の寿命を延ばすことは人間ができることですね。 >問題1: 差不多所有的樹木、即使其枝被切断后落下土壌、ta1也hen3可能産生新的根和新的枝。這ke1新的小樹木是不是元来的樹木的一部分? 切れた枝そのものは木の一部分だけだと思います。新しい木になったら、元の木の子どもになると思います。新しい命の誕生はやはり子どものように感じました。 >問題2: 母親懐孕hai2子的時候、母親和hai2子之間由臍帯連接。這個時候、hai2子是不是母親的一部分? はい、そう思います。臍帯で繋がっている時の子どもは母親の一部分だと思います。 >問題3: 母親和hai2子之間的臍帯被切断后、這個hai2子還是母親的一部分me? 臍帯を切られたら、その子どもは体に母親の血が流れているただの子どもだと思います。母親の一部分だとは思いません。 >問題4: 人的単卵双胎児出生后、還是、同一人ma? 這個時候両個人的遺伝基因是一様的。情況上、和問題1一様、是不是? 申しわけありませんが、この質問の意味がよくわかりません。「単卵双胎児」とは双子のことでしょうか。「両個人」は誰のことを指すでしょうか。私は人の遺伝基因のことがぜんぜんわかりません。双子の遺伝基因は同じですか。問題1と同じだとおっしゃる理由は何でしょうか。
- HNO3
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科学的に見てしまうと自然界の中では木の命は有限です ほぼ全ての生物に致死遺伝子が含まれています故 でも 周りの木を見て不思議に感じた心 「木の命が永遠」と思う心は捨てたらダメな気がします 大切な何かがその気持ちに入っている気がするです 科学を否定するわけではありませんが 科学的な思考であなたが感じた大切なものを捨てないでください
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。全ての生物に致死遺伝子が含まれているのですね。科学的なご説明は大変参考になりました。木の生命力に素直に感心する気持ちもあれば、大切な何かが木に移入している気持ちもあるかもしれません。心の中で普段目にしている木のように永遠を願っている、あるいは、そう信じたいかもしれません。感じた大切なものを捨てないようにします。本当にありがとうございました。大変助かりました。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
No.9です。 >「榊」という字は日本の方の苗字の中でも見たことがあります。すごい苗字ですね^^。 確か本来は 左が木という字ではなく、示 みたいな字だったらしいです。 この字の意味は神。 つまり 右も左も神 という字なわけです。 恐らくこの家系は普通の家ではなく、祖先を辿ると宗教関連の仕事に従事していた家系だと思われます。 >人間、天災が木を壊さないと、木は死なないものだと思っています。 屋久島にいくと樹齢何百年とかザラにあるそうです。 人間が切り倒さない限り、木は永遠に生きるのかもしれないですね。 酸性雨や伐採のし過ぎによる地すべりなどで、命が消えてしまうのかもしれない。 ただ、これは一種の自然の仕返し という捕らえ方をする人もいます。 自然を馬鹿にして、切って開拓しすぎたツケが、水不足など人間に及んでいる。 日本のほとんどの森林は戦後植林されたものだそうです。 なので自然の木じゃなく人口的に作られた山や森だそうです。 >木を眺めると、安らぎが心に訪れ、すごく懐かしい感じがします。 生命を育む機能がありますからね。 そこからちょっとだけ貰えばよかったのに、根こそぎもらっていったので、自然が人間に復讐しはじめているような気がします。 >流れる景色の中で、廃墟だらけの工事現場のたった二三本の木が生きている姿は、強いインパクトを与えてくれます。人間はなぜこのたった二三本の木を残したのでしょうか。 日本は家やビルを建てるとき、必ずお祓いをしてもらいますよね。 現代でも、方角や鬼門などは避けてビルを建てるらしいです。 どうしても避けられないときは、鬼門になにかを設置して、防御するそうです。 昔、呪術か陰陽かで、切り倒してはいけない木を切り倒したところ、工事の段階でたくさんの死者が出たそうです。 あわてて調べて抜いてはいけない木だったとわかり、元に戻したら、事故がなくなったそうです。 東京のビルとビルの間に「何故?」とぽつんと一角だけ木がそのまま残っているのは、そういう理由だそうです。 最先端の建築をやる場合も、そこだけはちゃんと専門家にみてもらい、神社の神主を招いて、お祓いの儀式をやったあと、工事を始めているそうですね。 迷信としては片付けられほど、実際に何か起こってきたようです。 ただ、私が思うには樹齢何百年でも、いつか水や養分を吸い上げる力が衰えて、養分がいかなくなった部分は朽ち果てると思います。 でも、根元の部分は若枝が生えていたりします。 人間と同じですね。 人間はたかだか100年でこの世を去りますが、人間からすると永遠と思えるほど長い年月を木はいきつづけている。 もはや 永遠といってもいいくらいです。 しかし、ほかの生命体を養っているところが、決定的に人間とは違うところ。 木はもはや神みたいなものかもしれません。
お礼
再びありがとうございます。 「榊」という苗字の方はたぶん祖先を辿ると宗教関連の仕事に従事していた家系なのですね。そうらしいです。大変参考になりました。 高層ビルやコンクリートに囲まれた人たちはかわいそうだと思います。蛇のように木に絡みついた電線や電球は醜いものです。人間は人間の誇りに思った製品によって自然との間に仕切りを作りました。心はそうならないようにしたいです。木を前にして、オリジナルの澄んだ心境に戻ったような気がします。 東京のビルとビルの間にぽつんと一角だけ木がそのまま残っている理由は面白いです。「お祓い」は始めて知りました。自然が人間に与えた処罰、人間に対する復讐だと思っています。 >ただ、私が思うには樹齢何百年でも、いつか水や養分を吸い上げる力が衰えて、養分がいかなくなった部分は朽ち果てると思います。 木も人間と同じように老化してある日死を迎えるものだとわかりました。ただ、倒れていなければ、その木は死んだとは思いません。ご親切に回答していただき本当にありがとうございました。大変参考になりました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#10です。ご返事ありがとうござました。 1、「人や木の一日も四季に似ている」と言って過言ではない」 :一日の生体のリズムが春夏秋冬という四季のリズム、 さらには幼・若・老・死という一生のリズムと殆んど同じ、という意味です。 人が「朝」起きて精神が次第に活動し始め、草木の葉が日光を感じ出すのは「目覚めの春」。 人が「日中」活発に活動し、草木が盛んに光合成を行なって栄養分を作るのは「活動の夏」。 人の活動や草木の光合成が次第に緩やかになる「夕方」は、「静かな秋」。 人が寝、草木が光合成をしなくなる「夜」は、「沈黙の冬」。 大雑把に言うと、このように対比できると思います。 人の一生が朝・昼・晩に譬えられることも多いでしょう。 エディプスコンプレックスで有名なギリシアの伝説「エディプス王」の中にも出てきます。 怪獣スフインクスがエディプスに出した問題で、 「朝は4本足、昼は2本足、晩は3本足で歩く者は何か」というものです。 朝は幼年期(手と足で這う)、昼は青年期(歩く)、夜は老年期(杖を使って歩く)と考えて、エディプスは「人間」という正解を出しました。 2、>人はどのようなに最小単位の元素に分解されますか a.人体の構成元素は29種類あるようです。 私も見たことはありませんが。(^^;) 主要元素は以下のとおりです。 水素(H) :60.3% 酸素(O) :25.5% 炭素(C) :10.5% 窒素(N) : 2.4% リン(P) : 0.1% イオウ(S): 0.1% さらに詳しく調べたければこちらをどうぞ。 http://www.geocities.co.jp/Beautycare-Venus/3423/Body.html b.骨もいずれは元素に分解されると考えて良いと思います。 ミイラは保存状態が非常に良いので長く分解されていないのでしょうが、いずれは元素にかえると思います。 c.下記URLでは、 「一般の樹木は、水ストレス(葉での蒸散にともなう根からの吸水の遅れ)、純生産量(総生産量から呼吸を差し引いた量)の低下や病虫害等によって枯死するが、同じ樹種でも生育環境によって寿命に個体差がある。」と書かれています。 http://elekitel.jp/elekitel/nature/2003/nt_16_mizuki.htm 下記では、世界最長寿の木「ブリッスルコーンパイン」が紹介されています。 4700年というのはすごいですね。 http://www5e.biglobe.ne.jp/~hama-fuj/inyo.htm 3、「人が死ぬということは、肉体と精神の拮抗が完全に崩れるということです。」 「逆に言うと、生きているということは肉体と精神がお互いに拮抗している状態です。」 :人(=個)は、無(=死)の状態から生まれてきます。 そしてある程度は生きますが、やがて再び無(=死)の状態に戻ります。 受精したばかりの卵子は確かに生きてはいますが、限りなく死に近い状態と言えます。 つまり、死へ引き戻す力に対抗して生のエネルギーが必死で頑張っている状態です。 死へ向かおうとする力は、その後も存在し続けます。 フロイトはこれを「死の本能」と名付けました。 死へ向かう力は、根源的な安定に人を導くものです。 なぜなら、死(=無)は、自分が生まれてきた元々の状態だからです。 しかし、人が生まれる、生きる、ということは、この安定を拒否して自分を保存しようとするエネルギーの表象です。 この場合、死へ向かうエネルギーが全て無くなっているわけではありません。 これは、生のエネルギーが死のエネルギーより多い状態で拮抗している、と考えることができます。 面白いページがあったので、気が向いたら目を通してみてください。 http://www.lifence.ac.jp/goto/weblifence/spe/spe6.html いずれにしても、殆んどは一凡人としての私見ですからそのおつもりで受け止めてください。
お礼
再びありがとうございます。「目覚めの春」、「活動の夏」、「静かな秋」、「沈黙の冬」というまとめはすばらしいです。万物に対する適切のように思います。「人や木の一日も四季に似ている」という言い方は理解できるようになりました。「朝は4本足、昼は2本足、晩は3本足で歩く者は何か」は小さい時、なぞなぞの本で読んだことがあります。文字のとなりに絵がついているネタばれのおかげで、答えは「人間」だとすぐわかりました。怪獣スフインクスがエディプスに出した問題なんですね。 参考ページによると、樹木の生きている細胞は、「葉肉細胞、師部、形成層、細根」だとわかりました。 「死の本能」は勉強になりました。3のご説明はありがとうございます。言葉の意味はわかるようになりました。『こころ』の中の先生の話、「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」はまるで私に言ったのだと思います。参考ページの死についての三つのとらえ方も大変参考になりました。いま二人称の死ばかり心配しており、一人称としての私の死はまだ考えたことがありません。まだ修業不足だと思います。いつか悟るできるようにしたいです。参考ページのフロイトの話は私にとって難しいです。「お気に入り」に入れ、ゆっくり読んでみたいと思います。本当にありがとうございました。いろいろ考えさせていただきました。参考ページも大変助かりました。
補足
1. >骨もいずれは元素に分解されると考えて良いと思います。 そうですね。私の考え方は甘かったです。ミイラもいつか分解されるんですね。 前世と来世のようなものはあるでしょうか。なんかあるように思いはじめました。なぜ木を見た時ものすごく懐かしい感じがするのでしょうか。もしかして私の前世と関係があるでしょうか。 人が死んだら、元素に分解されて、いつか再度の組み合わせによって、また何か(物質か生き物)になると不思議に感じております。「来世があれば、あなたは何になりたいか」などの質問はばかばかしいと思っていましたが、来世は本当にあるように思いはじめました。また、人の前世もあったように思いはじめました。前世の何かが死んで、元素に分解されて、再度の組み合わせによって、偶然に今世の人という生き物になりました。人間は両親から命をもらいます。自然界に散らばっている元素は、どのように父親と母親の体に入ったのでしょうか。 2. >一般の樹木は、水ストレス(葉での蒸散にともなう根からの吸水の遅れ)、純生産量(総生産量から呼吸を差し引いた量)の低下や病虫害等によって枯死するが、同じ樹種でも生育環境によって寿命に個体差がある。 水ストレス(葉での蒸散にともなう根からの吸水の遅れ)、純生産量の低下は木自体の問題なので、嬉しくいただきます。 ただ、病虫害は天災人禍に属しますね。「天災人禍に遭わなかったら、自然界の中では、木は死なない命」は、天災人禍によって木は死ぬと認めたと思います。 「倒れて死ぬ」は理解できますが、「枯死する」という考え方がよく理解できません。枯れ木は死んだと言い切った理由がよくわかりません。倒れていないのは、土に根を深く下ろし、立てる力をちゃんと持ち、命が残っている証拠だと思います。 中国語に「枯木逢春」(枯れ木に花が咲く。寿命を延ばす機会にめぐりあう)という言葉があります。もしかして、明日、もしかして、明日の明日、もしかして、明日の明日の明日、もしかして、私たち人間が死んだ次の日……いつか「枯木逢春」になると私は思います。 今回教えていただいた「ブリッスルコーンパイン」の参考ページに「生長している木をリビングツリー、枯れてはいるが立っている木はデッドツリー、枯れて倒れてしまった木はデッドウッドとよんでいます」という言い方があります。「デッドツリー」の写真をご覧になってください。死んだと思われますか。「枯れてなお数100年をもたち続けるという」と書かれていますが、その木は死んでいない、ものすごく強い命が残っていると私は思います。
お礼
ご回答文の添削です。少しでもご参考になれば幸いです。 >不過細胞不能分裂【無限次数】。 無限次数→無限多次 >端粒限制最多分裂次数。 この文の意味がよくわかりません。テロメアは分裂回数を制限するという意味でしょうか。その意味だったら、「端粒限制分裂次数」だと思います。 >【結果】細胞有寿命。 結果→所以 >nin2也許覚得即使植物寿命是【有限】、【也】植物総体的寿命可能是【無限】。 →nin2也許覚得即使植物寿命是有限的、植物総体的寿命也可能是無限的。 実は、この文の意味はよくわかりません。日本語で意味を書いていただければありがたく思います。 >因為、如果新細胞和【古老細胞】【継続替換】、理論上植物総体的寿命可能是【無限】。 古老細胞→旧細胞 継続替換→相継替換 無限→無限的 >【這様想法】是合理的。 這様想法→這様想(あるいは:這種想法) >実際上【継続新旧細胞的替換】、【維持植物総体構造越来越難】。 →実際上新旧細胞的相継替換、使得維持植物総体構造越来越難。 >因為新細胞【産生時候】、【古老細胞】還在那里、新細胞不得不産生在【古老細胞】的外辺。 産生時候→産生的時候 古老細胞→旧細胞 >【結果、到植物的所有部分継続施給養分、越来越難。】 →結果使得要把養分持続伝送到植物的所有部分顕得越来越難。 >這些木材sui然都是枯死的樹木、【還是堅牢的】。 →這些木材sui然都是枯死的樹木、【dan4都還是牢固的】。 >最后、在nin2的日文中、我【発見】有一点児不自然的【表現】、【想在這里表示】。 発見→発現 表現→表達 想在這里表示→想給ni3修改一下 >如果我的中文不自然的話、請修改、【我非常高興】。 我非常高興→我会非常高興(あるいは:我将非常高興)
補足
再びありがとうございます。いろいろな知識を学ぶことができ大変嬉しく思います。お礼文の添削にも心より感謝いたします。これから気をつけます。 テロメアは細胞の寿命を決めるのですね。勉強になりました。 植物が大きくなる、重くなるにつれて、植物各部分への養分伝送は難しくなるというご説明はとても理解しやすいと思いました。しかし、木は無限に大きくなる、重くなることはまずないように思います。私たち人間と同じように、木も大人になってある形に留まるのではないでしょうか。 >一般、植物枯死前、開花、受粉、産生種子。這個過程可以説是”完美的方法孕育其他新的生命”的。 植物ではなく、木に集中していただければ幸いです。すべての木は枯れた前、開花、受粉、種を成すなどの過程を経るのでしょうか。生物学の知識を持っていませんが、普段見た木の中では、花を咲かない、実が成らない木もあります。それらの木でも、「たとえ枯れている木でも、完璧な方法で新しい命を生み出している」とは言えるのでしょうか。 >植物有”根茎”。従”根茎”可能産生新的芽。新的芽不久産生新的枝。這様植物、即使没有産生種子、也能産生新的植物。 植物ではなく、木に集中していただければ幸いです。一本の木の中の芽と枝は新しい植物とは言えるのでしょうか。それは木自身の成長ではないでしょうか。 >用中文、日文的「根」、zenme説? 日本語と一緒です。「根」(gen1)と言います。 >植物的話、”父母和子女関係”的定義比較難。比如、如果従”根茎”産生新枝的話、這個新枝是”子女”、還是 ”父母的一部分”? 或者、産生這個新枝后、父母植物枯死的話、這個新枝依然”父母的一部分”、還是「子女」? 又問、如果通過”挿枝”方法、産生新植物個体的話、這個新植物個体是”子女”、還是 ”父母的一部分”? 植物にとっては、親子関係の定義が難しいとおっしゃっています。木という植物に集中していただければありがたく思います。 私は新しい枝は木自身だと思います。新しい枝がなるのは、木は大きくなる、木の一種の成長と言えると思います。枝と葉は木の子どもではないと思います。 新しい枝がなってから木が死んだら、その新しい枝は木自身のものだと思います。その木の子どもだとは思いません。 あっ、頭が痛くなりました。挿し木の方法で繁殖した新しい植物はやはり子どもだと思います。ちゃんとした新しい根もありますし。ただ、私はここで自然に成長する一本の木のことを討論したいです。挿し木の場合は、木自身ではなく、人間がやってあげるのでしょうね。 >有hen3多次、看過。即使樹木枯死、ta1還維持其構造。所以不倒ta1。 木が死んでも倒れないと何度もお目にかかったことがあるとおっしゃいましたね。それでは、お伺いしたいのですが、なぜその木は死んだと判断なさったのでしょうか。「この木は死んだ!」の判断の基準を教えていただけませんか。倒れないなら、立てる力をちゃんと持っており、命が残っているのではないでしょうか。中国語に「枯木逢春」(枯れ木に花が咲く。寿命を延ばす機会にめぐりあう)という言葉があります。もしかして、明日、もしかして、明日の明日、もしかして、明日の明日の明日、もしかして、私たち人間が死んだ次の日……いずれ「枯木逢春」になると私は思います。