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京都と洛

京都を表現するとき洛中・洛外など洛という語を遣います。これは中国の洛陽からきたと聞きました。 しかし、794年に平安京ができたとき既に洛陽が都だった時代は過ぎているので、洛という語を使うのはおかしいのではないだしょうか?710年時点でも都は長安なのに。

みんなの回答

  • niffy
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回答No.1

 仰るとおり、平安京は、長安城をモデルとして建設されています。しかし、洛陽は、西晋・北魏などの都として栄え、唐代においても西の長安に対して、東都と呼ばれる大きな都市でした。そして、平安京は、中国のこれらの都市になぞらえ、朱雀大路を境に右京を長安、左京を洛陽と称するようになります。なぜこのように称したのか、定かなところは知りませんが、中国文化へのリスペクトがあったものと思われます。あるいは、華僑が関係しているのかも知れません。  その後、右京(長安)は湿地帯であったため荒廃していき、貴族などは右京(洛陽)に集中するようになりました。結果、平安京は本来の範囲よりも東(洛陽)に偏ったかたちになりました。そのため、平安京自体を洛陽と称するようになったとのことです。

helldiver0
質問者

お礼

おー!適切な回答です。2都市の合作だったとは。 右京は今は発展してますね

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