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京都と言う地名

お世話になります。 令制國に興味を持って以来、アプリで地図を作る程になりました。 先ず、京都と言う地名は廃藩置県後にできた地名だと思ってました。しかし時代劇を見ると、たまに京の都(みやこ)と言う言葉が出てきます。 令制国で言う丹後、丹波あたりになります。 現在で言う京都、と令制國以前から言われている京の都と言う、京都と京の都は別なのでしょうか。令制國とはまた別の、天皇との関係もありますか。國とはまた違うものなのでしょうか。

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回答No.2

・現在で言う京都には3つの意味があります。 京都府、京都市、京都市の中心部(中京区、上京区、下京区と北区の一部のエリアとする人、あるいは洛中とする人が多い)の3つ。最後のはテレビのバラエティ番組などでよく揶揄されている「京都の人」が住む地域です。 ・京都と言う地名は廃藩置県後にできた地名だと思ってました。 これは違いますね。京都市歴史資料館が作成した年表では、990年11月には京都という地名が使われているとありますし、「京都大事典」でも平安時代に使われ出し、鎌倉時代に定着したとなっています。織田信長は「京都所司代」という役職をつくり、江戸時代にも「京都所司代」「京都町奉行」「京都守護職」という役職がありました。 ・江戸時代までの「京(都)」は、現在の使われ方の3番目に近い物です。今の京都市よりはずっと狭い地域だけが「京」と呼ばれていたようです。例えば現代の京都市には伏見区が含まれますが、江戸時代には伏見は京都はまったく別の地域という認識です。幕末の志士などの書簡や日誌にも「京から伏見に下る」という表現が多出しています。 令制国でいうと、「京都府」なら山城の他、丹波・丹後も含みますが、京都市だと右京区と左京区の一部が丹波で残りは山城ですね。

ryouseikoku
質問者

お礼

ありがとうございました。

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回答No.3

京と言う字も人の集まるところ、都も人の集まるところ。平安時代から京の都と呼ばれています

ryouseikoku
質問者

お礼

ありがとうございました。

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  • f272
  • ベストアンサー率46% (8467/18126)
回答No.1

現在の京都市は,明治以前は単に「京」,「京都」,「京の都」などと呼ばれていました。山城国にある「天皇の住んでいるところ」ということです。それは平安京が作られた794年以降はずっとそうです。造営当初は「京師」と呼ばれることもありました。どれも「首都」を意味する言葉です。

ryouseikoku
質問者

お礼

ありがとうございました

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