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「ので」と「から」の使い分け
両助詞とも原因、理由の意味に使いますが、 特に、使い分けに気をつけておられましたら、ご教授下さい。「から」のほうが、他に起点など広い範囲に使うことは存じていますが。
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一般的には、次のように説明されています。 ア「雨が降ったので、運動会は延期された。」 イ「雨が降ったから、運動会は延期された。」 例文アでは、表現の力点が「運動会は延期された」という事実・結果に あるのに対し、例文イでは、表現の力点がむしろ「雨が降った」という 原因・理由にあることがわかる。そして「から」は、原因・理由に力点 があるので、その下に、事実・結果を述べる語句を、必ずしも必要とは しない。ところが、「ので」は、その下に必ず事実・語句を述べる語句 を必要とする。 また「ので」は、事実・結果を重視し、客観性が高い語であるため、推量 ・勧誘・命令といった、話し手の主観を表す文には用いにくい」 (「日本文法辞典」(有精堂)より。一部改編) しかし現実には、「ので」のあとに話し手の主観を表す文が用いられて います。 A「寒いので、窓を閉めてほしい。」 B「寒いから、窓を閉めてほしい。」 今の日本人の感覚からすると、本来の使い方であるBの方はやや押しつけ がましく、かえってAの方が自然だと受け止められるのではないでしょう か。 関連した問題について別サイトで述べているので(「~述べているから」 とは言いませんよね?)、下記URLをご参照ください。 http://chiebukuro.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?qu...
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- unemerdedechien
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原因と思われる事象と結果と考えられる事象、もしくは理由と現状を結びつけるときに、カラは確信をもって、あるいは確信があるという自覚・反省の一切を欠くがごとく断定的に用い、ノデはとりあえず因果関係が成り立っていることをとくに疑う必要はないという態度で云わば暫定的・中立的な判断を述べるべく使うようです。 カラは時間や空間の客観世界について述べるときに使うのが本来だからかな? それを自己の判断や都合の交じった事柄に使うのは押しが強すぎる感じがするんじゃないかしら。 なんにしろノデを使うべきところでカラを立て続けに用いられると、外人の胡乱な言葉遣いに対して一般に寛容な日本人でも苛立ちが隠せなくなる模様。よく注意なさることです。 なぜか朝鮮人に多いような印象があります、この間違いは。
お礼
早速 有難うございました。 私自身も「ので」を多用してましたが、その理由が よく分りました。感謝!
- kyouzaiya-k
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#1です。参照URLを改めて貼っておきます。
お礼
「学説」など教えていただき、有難うございました。 きちんと 勉強しておられるお姿に、頭が下がります。 心からお礼申し上げます。
お礼
具体例を挙げて、懇切丁寧に 教えていただき、有難うございました。 「日本文法辞典」など、勉強もしていません。感謝・感激です。