- ベストアンサー
電気自動車の弊害について
自動車産業や電気自動車について詳しい方にお聞きします。 現在、自動車メーカーのみならず大学などでも電気自動車の研究が盛んです。まったくの素人の私にも近々本格的な電気自動車のブームが起こるんじゃないかとワクワクします。 ただ、ひとつ気になることがあります。 電気自動車が技術的には車体とモーターさえあればできてしまうこと、逆にいえばエンジンのような既存の自動車の中核技術が必要とされなくなるのではないか?ということです。 自動車関連産業は日本の全産業の1割以上を占めるとされていますが、電気自動車を初めとして次世代のエネルギー技術の開発がそういった既存の技術・産業・雇用を不要としてゆく事態が起こりつつあるのではないでしょうか? だから技術進歩をやめるべきだ、とするのは価値判断になってしまうので控えますが、この点について皆さんの意見をお聞かせ下さい。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>電気自動車を初めとして次世代のエネルギー技術の開発がそういった既存の技術・産業・雇用を不要としてゆく事態が起こりつつあるのではないでしょうか? まったくそのとおりだと思います。電気自動車や次世代エネルギーに限らず、新しい技術が開発されると古い産業は衰退してゆきます。その結果、企業が倒産したり、失業したりする人が出てきます。新しい技術の開発はこのような暗い側面も持っていると思います。 たとえば昭和30年代までは映画産業が隆盛を極めましたが、テレビの登場によって斜陽産業に転落していきました(最近、また復活してきたようですが)。また、電卓の開発によって、伝統産業であるソロバンの産地が活力を失い、手回し式の計算機は博物館行きとなってしまいました。 だから技術進歩をやめるべきだという価値判断については、とてもユニークで、このような考え方をする人を私は大好きです(笑)。でもやっぱり暴論でしょうね。映画産業の衰退を防ぐためにテレビをやめようという人はいないと思いますから。 技術進歩をやめると、旧ソ連や旧東欧諸国のように活力を失った社会になってしまうと思います。資本主義が生き残ってきたのは、logrollerさんが危惧されているような犠牲があったからです。 電気自動車が普及したらの話ですが、エンジンや駆動系が不要になります。トヨタやホンダは大丈夫ですが、下請けや孫請けの中には倒産するところも出てくるかもしれません。 でもその代わり、モーターや蓄電器産業が伸びていくでしょう。燃料電池車であれば燃料電池本体や燃料である水素を供給するビジネスが新たに起こってきて、ビジネスチャンスになります。 電気自動車はガソリン車より構造が簡単なので、雇用数も少なくなるのではないかと危惧されているかもしれません。そのとおりですが、構造が簡単になることによって、資源(人的資源も含んで)が節約されるわけですから社会全体で考えれば良いことです。余った労働力で他の新たな産業が生まれると私は考えます。 結論を言うと、新しい技術の開発によって、現在の産業がすたれたり、雇用不安がおこったりしますが、その代わりに新しい基幹技術や産業が生まれて新たな雇用機会が生まれてくる。うまくいけばそうなります。たぶん(笑)。 余談ですが、電気自動車が普及するとしてもまだ、ずっと先の話です。それより燃料電池車が早いと思いますが、それでも政府の目標である2010年に5万台普及はかなり難しいと思います。
その他の回答 (4)
- yakyutuku
- ベストアンサー率14% (267/1890)
今トヨタほどの金をもっている企業は日本になく、電気自動車開発に最も投資できる企業も必然的にトヨタになるでしょう。それに車(モーターとバッテリーだけではありません)を作る技術、インフラ、そして顧客を持っているのは自動車メーカーですので、電気自動車の時代が来てもそれを開発販売できるのは必然的に既存の自動車メーカーになるでしょう。注目すべきは自動車業界ではなく石油元売ではないでしょうか?
お礼
ですね、知り合いが大手石油商社で働いているので心配です。 だいじょぶかいな?と訊いてみたい衝動に駆られますね。
- microham2
- ベストアンサー率30% (64/207)
>エンジンのような既存の自動車の中核技術が必要とされなくなるのではないか? 車のエンジンのような燃料の可搬性が高く小型軽量で出力の大きい内燃機関は、石油が枯渇しても燃料を石油以外の物に替えて当分の間生き残るでしょう。すでにバイオディーゼルは一部実用段階ですが、こういうのが進むでしょう。 仮に燃料電池+モーターがガソリンエンジンより安く作れるようになったら、そのときには、蒸気自動車が無くなったように、ガソリン自動車もなくなっていくでしょう。それは仕方ないことだと思います。ただ100年程度じゃ実現しないでしょうが。 >電気自動車が車体とモーターさえあればできてしまう 仮に電気自動車にシフトしたとしても、エンジン関係以外のすべての部分は生き残りますね。車の価格に占めるエンジンの値段は1/4くらいだそうです。すると3/4の産業はそのまま生き残る計算です。 エンジン屋さんはモーター屋さんにいずれ転向を迫られるかもしれません。ガソリンエンジンの技術は失われるかもしれません。そのかわり新しい技術が開発されます。電気モーターなら作るのが簡単なんてことはありません。より効率の良い物、トルクの太い物、レスポンスの良い物、回生に優れたものなど自動車に適した開発の余地はいくらでもあるでしょう。それにのりおくれないように、自動車メーカーもそのときの状況に応じて研究を怠らないわけです。ハイブリッドカーもその中間的な存在ですね。エンジン自動車屋さんが、モーターで車を動かすための実績を積んでいると見ることもできます。純粋の電気自動車を研究したら製品化されるまでの間100%赤字ですが、ハイブリッドなら開発しながら収益が得られる上に、今後のエネルギーが電気とガソリンのどちらかが存在する限り対応できるおいしい技術でしょう。たとえばガソリンの供給量が非常に減ったときには、近場は電気を優先して使い、遠乗りはガソリンで、みたいな使い分けができる車の開発も可能でしょう。 技術の進歩により過去の技術が廃れていくことはよくあります。 大切なことは新しい技術を早く開発し、技術を先取りすることです。 昔の技術だけで食っている訳じゃありません。 だから、新しい技術が開発されることは危機的と思いません。 しかし、理系離れや学校崩壊により技術力が落ちてきていると言われている日本の現状は危機的だと思います。 って、これってディベートかなんかのお題ですか?
お礼
そうですね。私も自動車の技術については素人ですが 今日・明日でガソリンエンジンがなくなるなんて思いません。 またエンジンの値段1/4というのは知りませんでした。そんなものなら自動車メーカーも大丈夫ですよね。 技術競争を放棄したらたちまちやっていけなくなるでしょうから、力を入れずにはいられない、と。 この質問の意図については ANo.5さんがくみ取っていてくださいますので、そちらへの回答を ご賞味ください。
- aburakuni
- ベストアンサー率30% (470/1562)
#1の方も言われるように、今の電気自動車研究はハイブリッドを念頭に行われています。 電気モーター自体は遠い昔に技術が完成しており、それでも電気自動車が普及しなかったのは、蓄電能力と重量の比例問題(蓄電量を増やせば重量が増え、さらに大きな蓄電が必要になる)で実用に適さなかったと言う理由です。 燃料電池はその一つの解決策ですが別に問題があり、それ以外の電池研究が行われている訳ですが、それはハイブリッドに適応できるので各社が投資している状況です。 仮に蓄電重量問題が解決しても蓄電時間と言う問題があり、SSでの給油が数分で済むのに蓄電は30分以上かかるので、全てが電気自動車になれば給電所は数十万軒必要となります。 従って、仰るような懸念は不要と考えます。
お礼
あまり技術面に詳しくないのでためになりました(・∀・) ありがとうございます!
- yamyam_ooo
- ベストアンサー率26% (57/217)
> 逆にいえばエンジンのような既存の自動車の中核技術が必要とされな > くなるのではないか? 電気自動車の多くはハイブリッド車です。積載充電池の充電のためにはエンジンを必要とするでしょう。 あと、エンジン自動車はすべては消えることはないと思います。
お礼
わかりにくい質問の意図をちゃんとくみ取っていただきありがとうございます(・∀・) 質問した後に気がついたんですが、これは電気自動車でも環境ビジネスでもなくマクロ経済についての質問だなあ、と。 cat-foodさんの >資源(人的資源も含んで)が節約されるわけですから社会全体で考えれば良いことです。余った労働力で他の新たな産業が生まれると私は考えます。 の一行が、この質問の核心でして、私としては相当規模の大きな産業が必要とされなくなるとき、本当にこれ以上、同じくらいの規模の「新しい産業」みたいなものが生まれる余地があるのか?あったとしても、それが旧産業の従事者を飲み込めるだけの規模のあるものになるのか?という疑問に囚われています。 もっと極端な例としては明日いきなり「どこでもドア」が発明された場合です。運輸業すべてが全否定されて、好事家を除いて必要とされなくなったら、その労働者をどこが吸収するのか? つまりモノカルチャー経済の国家で起きているようなことが、先進国であってもイノベーションの発展具合によって引き起こされるのでは、ということです。あんまり科学技術の振興に力をいれちゃうと『イノベーションのジレンマ』が企業単位ではなく産業単位で実現するのでは?と。 むろん、多くの技術革新は漸進的ですので、明日からいきなり「どこでもドアのある生活」はできないでしょう。ただ、産業そのものの「パラダイムシフト」といえるような技術革新も歴史的にはなきにしもあらず、なわけです。 まあ、いずれ誰かがイノベーションに到達する以上、先行者利益ぐらいは得ておかなければならないでしょうから、技術進歩や科学技術振興政策みたいなものを全否定しようとかいう意図は全くありません。 ただ、「技術革新って(社会全体を単位に見た場合)そんなにいいもんんじゃないのでは」ということを言いたかっただけです。 もしこの点について専門論文などをご存じでしたらお教え下さい。 酔っぱらいの思いつきにおつきあいいただき、 皆さんありがとうございます(´ー`)