他者の回答にコメントすると、ルール違反となって
編集サイドに回答を削除されてしまうので、
自分の回答(No,5)に対する補足として以下の文章を書きますが、
君主制度に将来を託すべきはありません。
君主制度は、男尊女卑と同じ、過去の遺物であるということを
忘れてはならないのです。
男尊女卑を否定するのに、
なぜ君主制度だけを現代化してまで永続するのでしょうか?
また逆に言えば、君主制度は過去の名残りであり、”伝統”であるいえます。
その伝統は新しく変えてしまえば、伝統としての価値を失うのです。
伝統とは変わらないことに唯一の意味があります。
それがいかに馬鹿げていても、不合理でも伝統とはそういうものです。
世襲制度も、非論理的な因習の一つといえますが、
直系の血縁者で優秀な人物が続く可能性は、歴史的に見て0%です。
だいたい三代目か五代目以降は、無能な君主が登場して
国家の屋台骨を崩していくというのは歴史が証明するところです。
古代ローマでは、世襲制を馬鹿げたものと見なしていましたが、
他の人類がそれに気付くのに2千年もかかったわけです。
民主主義の諸制度が確立された今、世襲制は無意味であり、
その点では男系でも女系でも大差はありません。
天皇家の歴史は、日本の封建的価値観そのものでしょう。
その皇室をあえてモダンにする必要がどこにあるのか疑問です。
そりゃモダンで進歩的にすることもできるでしょうが、
それに何の意味があるのでしょう?
皇室が自称2600有余年の歴史と伝統を放棄したら、何が残るのでしょう?
これは遺伝学の問題ではありません。
それが私の言うところの「何を優先するのか」という命題です。
誤解されないようにいいますが、別に女系天皇に反対しているわけではありません。
そうしたいならそうしても結構ですが、それは単に皇室の安定した継承のためになるだけであって、
男女平等とも無関係ですし、あらゆる旧習や偏見の解消にもなりません。
そもそも将来の女性天皇が、将来の模範となる保証もなく、
また歴史的に見れば、ビクトリア女王の夫アルバート大公のように
激しいバッシングを受けた例もあって、
女系だろうが男系だろうが、人々の支持を得られ続ける保障もありません。
そもそももしモダンな改革を望むならば、
君主制を廃止するのが最もモダンなわけですが、
しかし日本人は伝統を保つ道を選んでいるわけで、
女系になっても伝統を保持できなければ、
続ける意味と目的を失うので、
天皇制自体が支持を失うことになるでしょう。
日本社会の男女問題を喚起するのは、結構ですが、
天皇制を巻き込むと余計に、男女問題の解決からはほど遠くなると思いますね。
なぜ男女問題を具体的に直接喚起しないのか、不思議です。
お礼
ご回答ありがとうございます<(_ _)>