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女系天皇の問題とは?
- 女系天皇について質問があります。女系天皇だと何か問題があるのでしょうか?
- 女系天皇については、悠仁親王がまだ幼いため、本格的な議論は起こりにくいと考えられます。
- しかし、日本の伝統では、男系を保つことが重視されてきましたが、女系で家を存続することもあった例もあります。
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>私は竹田氏と同じく「万策尽きたら女系もやむ得ない」という考えです。 しかし、竹田氏が男系論者ということは、私も男系論者なのでしょうか? そうなりますね。 >悠仁親王が男子に恵まれなかったら、悠仁親王から皇位をどれだけさかのぼっても男系男子がいない(まったくいないことはないかと思いますが、家系図が残っているなどの血筋を証明できる人はいない)と考えていたのですが、誰かいるのでしょうか? ですから竹田氏初め、旧皇族の方がたくさんおられます。 戦後すぐに臣籍降下されたばかりなので、系図もばっちり残ってます。 >だったら、その男性を皇族に復帰させられる法整備を検討すべきなのに、なぜ愛子内親王が皇位を継承できるようにするための法整備を検討したのでしょうか? 男系論者⇒皇籍に男系が尽きた場合は旧皇族の男系子孫の方を天皇に 女系論者⇒臣籍に戻したものを皇族に戻すなんてありえない。男系男児が尽きた場合は愛子様およびそのお子を天皇に。 おおむねこういった意見だと思います。
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- nacam
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>なぜ天皇を廃するのですか? 自分が天皇になるためです。 実際にそれをやったのが、桓武天皇であす。 また、神功皇后は、自分の子を天皇にするために、夫の先妻の子を殺害しています。 >極端な話、何等身離れていようが、東照大権現(家康)の子孫であれば将軍になれるのでしょう。 ですから、男系ということだけでは、源頼朝も、武田信玄も、天皇になる資格があるということになってしまいます。 しかし、それでは、皇位(王位)継承者として、多数の者が存在することになります。 そうならないようにするのが、皇位の継承システムです。 それが、女系での皇位継承になります。 もっとも、天皇制を廃止してしまえば、こくなくだらない事で騒ぐ必要性がなくなります。 賞味期限の切れた、天皇制は、これを機会にさっさと廃止することを考えるべきでしょう。
お礼
>自分が天皇になるためです。 そういうことを考えない人がいないとは断言できませんが、たとえば現在では桂宮殿下まで皇位継承の順位が決まっております。 自分よりも皇位継承順位が上の親王も殺害する必要が出てきますね、 実際に殺害する事件が起こった場合、どうなるのか分かりません。 いまの社会情勢から考えて、「殺害を実行するような人物は天皇にできない」とするのか、「桓武天皇の例もあるので、天皇になっても問題ない。」となるのかは分かりません。 >ですから、男系ということだけでは、源頼朝も、武田信玄も、天皇になる資格があるということになってしまいます。 >しかし、それでは、皇位(王位)継承者として、多数の者が存在することになります。 >そうならないようにするのが、皇位の継承システムです。 江戸時代の将軍の例ですが、まずは徳川御三家の男子を将軍にすることになっておりました。江戸が終わるまで、男系男子が御三家のすべてにおいて絶えると言う事はございませんでしたが、もし絶えていたら、おそらくは一旦家康まで家系を戻して、男系男子を将軍にしたと思います。場合によっては結城秀康の子孫も将軍になっていたのではないかと思います。 天皇においても、男系男子といえどもすべての男系男子を皇族にするわけにはいかないので、徳川御三家のようにいくつかの血筋の男子の家を皇族にし、そのなかから皇位継承者を選び、それらの血筋の男系男子が絶えたら、そのときにはまた系図をさかのぼって、いくつかの血筋の男子の家を皇族にすればいいと思います。 この繰り返しにより、武田信玄の子孫の男子(仮に清和天皇から一貫して男系でつながっているということが確認できている場合)も天皇になる可能性はあると思いますし、何か問題があるのでしょうか? >もっとも、天皇制を廃止してしまえば、こくなくだらない事で騒ぐ必要性がなくなります。 >賞味期限の切れた、天皇制は、これを機会にさっさと廃止することを考えるべきでしょう。 nacam様のようにいうのであれば、理解はできるのですが、「男系が絶えたら皇統断絶、女系は認めない」という理由で、天皇がいなくなってしまうのは理解できないのです。
- jkpawapuro
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過去に皇籍を離れた男系さえ断絶したケースは想定されたことも無く、そういった意味では、男系が”完全に”断たれた場合の議論はほとんどされていません。 そういった場合は女系容認となるかと思います。 ただこれまでの議論は皇籍を離れた男系or女系という議論であり、そういった意味では竹田氏は男系論者です。 現状男系が完全に断たれる状況はなさそうなので、そういった場合の議論はあまりないのではないでしょうか?
お礼
ちょっと待ってください、 ということは私は誤解していたんですかね? 私は竹田氏と同じく「万策尽きたら女系もやむ得ない」という考えです。 しかし、竹田氏が男系論者ということは、私も男系論者なのでしょうか? 男系論者とは「万策尽きたら皇統断絶、女系は認めない。」と考えている人かと思いました。 >現状男系が完全に断たれる状況はなさそうなので え?そうなんですか? 悠仁親王が男子に恵まれなかったら、悠仁親王から皇位をどれだけさかのぼっても男系男子がいない(まったくいないことはないかと思いますが、家系図が残っているなどの血筋を証明できる人はいない)と考えていたのですが、誰かいるのでしょうか? だったら、その男性を皇族に復帰させられる法整備を検討すべきなのに、なぜ愛子内親王が皇位を継承できるようにするための法整備を検討したのでしょうか?
- izuhara
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No.20で回答した者です。 >ウィキペディアで吉川元春(養子という形で母親の実家を相続)を調べたところ、 >氏族大江姓毛利氏→藤原姓吉川氏 >と書かれております。 >岡野友彦氏の話では吉川氏は毛利元春が吉川元春として吉川家を継いだ時点で姓が大江に代わるということになりますが、ウィキペディアが間違っているのですかね? とのことですので補足を。なお岡野氏あげた例は鎌倉期のことです。 「吉川家文書」に当時の口宣案が残っており、そこには「藤原元春」と明記されています。 吉川元春の場合は、吉川家の血統を継いでいることから、入嗣と同時に藤原姓に改めたということなのでしょう。ちなみにウィキペディアは必ずしも正しくありません。 もっとも血統の関係ない小早川隆景は平姓を名乗っています。これは元服前の入嗣ということが原因かもしれませんし、父系による姓の継承が原則ではなくなっていたとも言えます。信長・秀吉・家康に代表されるように改姓も行われている時代ですので。 なお、同じ戦国時代の阿波では橘姓庄野氏では源姓仁木氏から養子を迎えたため、その子孫の系図では源姓となっています。 男系による姓の継承がどこまで原則であったのかどうかについては、時代ごとにいろいろな事例をあつめて検討する必要があると思います。 お伝えしたかったのは、姓の「父系継承」という事例があることと、古代より皇統については「父子一系」という認識が存在していたということです。
お礼
一時期とはいえ、姓の「父系継承」という事例があったのですね。 その点も含めて、考え直して見ます。
- jack-a3
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しつこいようですが#14&18&21です >今のように男系維持の危機が訪れて、摂関家や幕府が何か手立てを考えたと言うのであれば分かるのですが、 危機が訪れないように側室を持ってましたし、また律令において 4代まで子孫は皇族として扱うよう規定されてました。 これだけコストをかけて天皇制を維持しようとしてたのです。 そして前述したように天皇制度を利用して自分の権力や利権を守り 拡大しようとする立場の人たちによって保護されてきました。 ちなみに男系維持の危機が実際にありました。 45代聖武天皇には男子がおらず、次の46代孝謙天皇は女帝です。 孝謙天皇はその後いったん天武天皇の血を引く47代淳仁天皇に 皇位を譲り上皇になりますが、政策方針の違いや周囲の権力闘争の 末に淳仁天皇を廃帝とし、再び48代称徳天皇として君臨します。 しかし女帝であり結婚せず子がいない状況は変わりませんでした。 またそれまでの権力闘争の結果、近い血縁の中で次の天皇になれる 者がいませんでした。 そのため崩御した時は4世代、皇位で8代も戻って40代天武天皇の 兄弟とされる天智天皇の血筋である光仁天皇が49代を継ぎました。 これはコストをかけて皇族として扱う子孫をたくさん保持し続けて いたからこそ天皇の男系継承ができた例です。 あと、ついでに。 女帝孝謙天皇(称徳天皇)が上皇時代に引き立てられ、寵愛されたのが 道鏡です。道鏡と称徳天皇は愛人関係にあったと語られてますが 真意ははっきりしてません。 しかし江戸時代に「道鏡は座ると膝が3つでき」なんて川柳が残って いるくらいには広く信じられていたようです。 で、この道鏡は称徳天皇の元で太政大臣まで上り詰め、その後には 宇佐神宮にて天皇の地位を道鏡に譲れとの神託があったとして天皇の 地位を狙ったとされます。 称徳天皇はこの神託がホントかどうか確かめさせてます。 結局、信託はウソであるとの報告があり、道鏡が天皇になることは なかったのですが、もしこの時に道鏡が用意周到に計略を図っていた ならば道鏡が天皇になってたかも知れません。 こんな前例があるがため、女帝や女系はいかんっていう雰囲気が あったのではないでしょうか? 翻って現代に生きる我々においては、さすがに上記のような前例を 持ち出して女系を認めないと主張する人は少ないでしょう。 ですが、先祖がここまで苦労して男系継承を維持し続けてきたのに ろくに調べもせず、なんとなくの価値観だけで安易に変えていいの だろうか、という漠然とした不安感というか畏怖感がある人は それなりにいても不思議はないと思います。
お礼
>ちなみに男系維持の危機が実際にありました。 48代称徳天皇から49代光仁天皇への皇位継承、確認しました。 8親等離れているのですね、 自分でも調べたのですが、 25代武烈天皇から26代継体天皇への皇位継承についても 10親等離れているのですね。 No.15のお礼にも書いたのですが、徳川家継から徳川吉宗への将軍位の継承は8親等離れております。 8親等ならOKだけど10親等ならNGなんて考えていなかったと思いますし、実際には10親等離れた男系皇位継承者がいたのですよね。 将軍位については、御三家があったので、将軍位を継ぐ人間の確認はすぐにできたでしょうが、昔の天皇の場合は、すぐに確認できずに、皇統断絶の危機だと考えたのでしょうか? >これだけコストをかけて天皇制を維持しようとしてたのです。 >先祖がここまで苦労して男系継承を維持し続けてきたのに それは重々承知しております。 だからこそ、私は万策尽きるまでは男系維持に固執するべきだと考えております。 そして、結局のところ、昔も男系維持の危機があったということと、男系維持のための努力があったことをおっしゃいましたが、「男系が維持できなければ皇統断絶」と考えていたという根拠はありませんよね。 もちろん、私が考えている「男系の維持が不可能なら女系で維持すべきと昔の人たちも考えていた。」というのも、武家の家督相続を基にした推測の域を出ません。 どうも、お互いが推測でしか判断できそうもないですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
ANo.4でのお礼コメントにおける、教えに感謝します。 今日此処を訪問する時、女系・男系, 母系・父系のキーワードで検索してみましたが、やはり未だ理解できないでいます。 農業主体のところには母系が多いとか、父系や狩猟や騎馬に多いとか。 天照様は素盞嗚尊のお姉さまかと思っていたら、ある学説では男だとか。 私たちの日本ではずぅっと男系を原則に家のことはやってきて、女性は他家に行く人とか他家の方という観念がまだあります。 だから仮に今の皇太子殿下のお家から必ず天皇をださなければいけないとなると、娘さんが天皇になるんでしょうが、今の天皇のお家の継続なら皇太子殿下の弟さんの家の息子さんでもいいわけですね。 しかし皇室典範の範囲で何処を探してももう男の子が見つからなければ、いつかは女性の陛下となるのでしょうが、その旦那様への敬称はやはり皇后陛下ではなくて、何陛下にするのでしょうね。 旦那陛下ではおかしいがイギリスのエリザベスさんの旦那はどんな呼称敬称なんでしょうね。 そして今度は皇太子がいるんだから、その方が王様になるわけですね。 そうすると、これは女系でしょうかね。エリザベスさんは男系でのお生まれですよね。 そして女性であって、王様ですが、男系は終わっていないですよね。 そして男の皇太子さんが次の王様ですね。これは男系は継続していますよね。 女系というと他家の人になった女性の親王たちではなく、他家にいかない女性親王がずぅっと継承していくということでしょう、天皇陛下を。 でも母系社会の母系とは異なるんですよね。 そういう女性天皇で継承していくことが困るかどうか、っていうことって生じないと思いますが。 天皇という系統は続いているのですから。 でも、国民の日常的生活の意識に微妙に変化が生じる可能性はありますよね。 それがいろいろな制度に成文上や運用上にも反映してくるでしょうね。 過度期に日本人として人生やる人はちょいと難しいし、文化や心性にも影響しますよね。 日本って、本当(実際的に)は母系的であるし、男って意外に生活に無頓着で居られます(私だけかな?)。任せっ放しですが、一応代表者だし、名義人だし、風除けですよね。 それ以外には用事はない。 日常の争いや問題で出て行くのは家内だが、正規の問題の始末は私がきっかりとつけます。 女じゃ取り留めなくなるだけですから。 そういう役割・機能はどうなるんでしょうね。 国事的次元でもメリハリがつかない振る舞いでは困りますね。 今回の那須ご用邸の決断も天皇陛下でしょうし、皇族方の労働奉仕もそうでしょう。 そういう指示はやはり男性陛下だから、いいんだと思うが。 エリザベスさんはでも結構しっかりしていますね。 私の宗教団体の歴代のPresidentも女性です。 ヨーロッパ語族の文化と日本では違うのでしょうね。 日本は男系を建前としないとどうも不安ですね。繋ぎでおかぁさんが天皇陛下におなりになるのはいいのですが。
お礼
>ANo.4でのお礼コメントにおける、教えに感謝します。 私は、今回質問して、知らなかったり勘違いしていたことがありましたので、私の言ったことを疑わずに丸呑みはしないでください。ほかの回答者様の回答にも目を通して、判断していただければと思います。 たとえばNo.13のお礼で書いた なぜなら、ミトコンドリアDNAは母から子へしか受け継がれないので、もしも、女系で継承していればミトコンドリアDNAをたどることで皇統の一貫性を証明できた。 ですが、女系で継承するといった場合は、女系の男性天皇も女系の女性天皇もいます。ですので、私が言いたかったこととは違ったことになってしまいました。いいたかったことは、「「ユダヤ人女性の子供はユダヤ人」と定義するように、天皇はすべて女系の女性天皇が継承すべきだった」ということです。 今回質問させていただきましたが、正直判断するのは難しいと考えるようになりました。 当初、「男系優先・女系容認が日本の伝統なのだから、天皇も万策尽きたら女系で継承すべき。」と考えてはいたのですが、そもそも、私の考えは何十年も日本人として生きてきて、自然に身についた感覚から出てきた考えで、何かに書かれてあるわけでもありません。正直、「男系でなければ皇統断絶」と考えている人たちの意見は、感覚的に納得できないというだけで、このように感覚的に納得できないというのはお互い様なんだろうと考えるようになりました。
- jack-a3
- ベストアンサー率37% (302/797)
#14&18です。 ん~、説明が足りなかったかも知れません。 人は人に仕える時に、なにか神聖性や不可侵性を求めるものです。 一神教の世界の国では、王の権威は「神に許されて神から支配を 託されている」という理屈で権力の正当性を説明します。。 中国なんかでは「私は徳があるので皇帝の地位につくことを天から 託された」と説明します。 日本は多神教であり、天皇はその神々の中の一部の子孫であるだけ なので、上記のような説明では権威付けにはなりません。 だから「血筋」そのものが権威になったのでしょう。 「天皇は神聖不可侵な存在である」とする視点から見た場合、 一度は臣下の民であった人がある日突然「今日から私が天皇です」 と言い出したら、他に同じような地位にあった臣下は「ははぁ~」 と頭を下げて支えると思いますか? 面白くないってレベルで済めばいいですが、「よーしオレだって」 ってコトになると一気に骨肉の争い状態です。 スッタモンダで強い者が残るでしょうが、そんな人にもはや神聖性は ないでしょう。また別の誰かに狙われるのがオチです。 ちなみに征夷大将軍は源氏の血を引くものしかなれませんでしたし 摂政関白も五摂家と呼ばれる藤原氏の嫡流しかなれませんでした。 織田信長は天下統一を目指しましたが、源氏や五摂家はもちろん 天皇家とまったく血縁関係になかったので、自身の権力の正当性の 拠り所がなく、そのため敵が多く志半ばで倒れることになりました。 それを見ていた秀吉は、五摂家の一つである近衛家の養子(猶子)に なり、それを足がかりに関白になることで正当性を持ちました。 徳川家康は、源氏の血筋であると無理やり言い出して征夷大将軍の 地位を得てます。 これが日本流の権威付けなのです。(過去形かも知れませんが…) あともう一つ。権威が男系で継承されていくのをヨシとする立場 ならば、周りで自分たちの利益を考えている連中が天皇に女を送り 込んでいても別にいいのです。 その女の間に子供が生まれ、その子が次の天皇になったとしても あくまで権威の流れは祖父→父→子であって、母や外祖父は権威の 外です。そして父や祖父は先代、先々代の天皇です。 母方の縁者が何らかの名誉なり政治的権力を持つことはあるかも 知れませんが、それは一代限りですし、また天皇の権威そのものには 近づけません。 逆に、その時代に勢いのある勢力から女子を側室なり皇后として 迎え取り込むことで、その勢力を味方に付けることができた、と 見ることもできます。 ですから、摂関政治や幕府政治のように実質的な権力が天皇以外に 移管されていても、天皇家自体は滅ぼせなかったのです。 だって天皇家を滅ぼすと、それを拠り所にした自分自身の権力も 危うくなるからです。 皮肉なのかも知れませんが、それら思惑があったからこそ天皇家は 125代も継続して存続したとも言えます。 なんか元々の質問からずいぶんズレたかも知れません。 私が言いたいのは ・近世以前までは男系で継続してきたからこそ天皇家は滅びなかった」 ・近世以降は立憲制度なので法律次第 ・でも法律で女系を認めるなら天皇制度自体を見直したら? …の3点です。
お礼
>近世以前までは男系で継続してきたからこそ天皇家は滅びなかった 「だからこそ」、何ですかね?今のように男系維持の危機が訪れて、摂関家や幕府が何か手立てを考えたと言うのであれば分かるのですが、男系維持の危機がなかったので、「だからこそ」、とまではいえないのではないでしょうか? >近世以降は立憲制度なので法律次第 >でも法律で女系を認めるなら天皇制度自体を見直したら? 男系が絶えた後の皇室のあり方は、法律によって決められ、国民はその法律に従うのは分かります。 だから法律で女系天皇の誕生が可能になれば、多くの国民は従うであろうと言うことも分かります。 しかし、法律には従うでしょうが、納得はしていないのですよね。 法律に従うのであれば、どうでもいいと言われればその通りなのですが、なぜ女系だと納得できないのかが疑問なのです。
- izuhara
- ベストアンサー率31% (97/310)
諸々のケースを見るに、男系が基本、無理であれば女系、それが無理なら血統にこだわらないというのが一般的であると思っています。 究極的には、家の存続が目的ですから、血が混じっていなくとも問題なかったのでしょう。 ただ、これが皇室となると難しいと感じます。 女系天皇誕生の過程ですが、 皇女が皇位を継ぎ女性天皇となる。その女性天皇が婿を取る。間に生まれた子が後に皇位を継承する。 というようなケースが想定されますが、その婿入りが問題なのではないかと思います。 岡野友彦『源氏と日本国王』(講談社現代新書、2003)によりますと、 入り婿に入った場合、苗字は妻のものを名乗るが、姓(源平藤橘など)は変わることなく、その子供に継承されることが書かれています。 同書では、尾張熱田宮司家の尾張氏は、途中藤原氏から入り婿を迎えたことにより、藤原姓を名乗るようになり、その後大江氏から養子をとったことにより、大江姓を名乗るようになった、という例が挙げられています。 つまり、姓は「父系継承」であると。 同書はさらに、天皇家への入り婿は、本来姓を持たない皇統に姓が発生するということを危惧したため、これまで人臣の入り婿はなかったとしています。また、皇統は「父子一系」によってのみ伝えられるとの認識が、光仁天皇の時代にはあったことを指摘しています。 この点で英王室とは根本的に違うと言えるでしょう。 この意識がどこまで現代に通じるかはなんともいえませんが、前例のない臣籍の人間が婿入りするについて議論が落ち着くことはないでしょう。 その点では皇籍復帰を容認するほうがまだ可能性があるでしょうか。
お礼
>大江氏から養子をとったことにより、大江姓を名乗るようになった、という例が挙げられています。 ウィキペディアで吉川元春(養子という形で母親の実家を相続)を調べたところ、 氏族 大江姓毛利氏→藤原姓吉川氏 と書かれております。 岡野友彦氏の話では吉川氏は毛利元春が吉川元春として吉川家を継いだ時点で姓が大江に代わるということになりますが、ウィキペディアが間違っているのですかね?
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (816/3045)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9A%87%E6%97%8F 旧宮家・正式には旧皇族でしょうか? 皇位継承権をもつ天皇家の親族として長年にわたり維持されてきた宮家です。 天皇家の男子を養子として迎え入れ、天皇家の男系の血を引く一族です。 戦後GHQにより財産を没収され皇族から離脱しましたが、彼らはれっきとした天皇家の男系子孫で、若い男児もたくさんいます。悠仁親王に何かあった場合男系子孫は彼らになるので、男系論議には欠かせない知識です。 また旧皇族の一人である慶応大講師竹田恒泰氏は男系論者として有名です。 とりあえず現状皇族から離れてもかまわないなら、男系子孫が絶える様子は無いと言えます。 また皇室典範は側室制度及び旧宮家が存在していた前提で作られたもので、その時点では男系に対する危機は無かったと言えます。
お礼
宮家は徳川家の御三家みたいなものですかね。 男系男子がいるなら、天皇になってもらえばいいのではないかと思います。 >竹田恒泰氏は男系論者として有名です。 あれ、No.7のお礼に書きましたが、竹田恒泰氏は 「ただし、本当に万策が尽きたなら、女系を認めるのは致し方ないでしょう。」 といっております。 この言葉を発すると言うことは「男系優先・女系容認」であり、男系が絶えたら皇統断絶と考えている男系論者とは違うのではないでしょうか?
- jack-a3
- ベストアンサー率37% (302/797)
#14です。 >そもそも皇記2000年ぐらいまで、男系天皇がいなくなったときのことは想定していなかったんでしょう。男系天皇が絶える危機が現実味を帯びる前から「皇統は男系に限る」なんて考えていたんですかね? そんなワケないです。 天皇の一番の仕事は自分の子孫を作り、皇太子とそのスペアを たくさん用意しておくことだったと言ってもいいかと思います。 そのため皇后以外にも側室がたくさんいました。 ですので、基本的に男系の候補者はたくさんいたのです。 例えば後白河天皇は記録に残っているだけで14人の女性の間に 11人の男子と6人の女子を設けてます。 明治天皇も皇后以外に5人の側室おり、大正天皇はその側室の1人が 生んだ子です。(皇后との間に子は生まれなかった) 側室を持たなくなったのは大正天皇以後です。 で、各世代の天皇が子供をたくさん作ると、皇族となる数が ねずみ算式に増えていきます。これはこれで後継者争いの火種に なりますし、なによりお金がかかります。 なので、女子は適当な貴族や武家の元に嫁がせたり、あるいは出家 して尼になります。(臣籍降嫁といいます) 男子も出家して僧になるのが普通でしたが、ある程度以上本家筋(?) から離れてしまった系統については、天皇家から切り離して独立した 家になってもらいます。これを臣籍降下といいます。 臣籍降下の際には天皇家より氏姓を与えられ、その姓を名乗ります。 これを受けるということは、皇族であることを放棄し、皇族の臣下に なるということです。 源氏や平氏は、その血縁のルーツは天皇家と繋がってますが、臣下に 下った立場ですので天皇家を継承することはできません。 もし臣下から天皇になるルートを許すと、そもそも天皇家の正当性が 揺らぎます。これは男系・女系とは別の話です。 まとめると、男系継承者がいなくなることを想定してなかったのは 側室を持たなかった大正天皇と、昭和天皇、および戦後に今の皇室 典範を作った人たちだと思いますよ。 そういう意味では、男系継承を続けるのに一番良いのは側室制度を 復活させることだと思います。
お礼
>源氏や平氏は、その血縁のルーツは天皇家と繋がってますが、臣下に >下った立場ですので天皇家を継承することはできません。 >もし臣下から天皇になるルートを許すと、そもそも天皇家の正当性が >揺らぎます。 そうなんですか?私は問題ないと思うのですが、正当性において納得できないのですか。 >天皇の一番の仕事は自分の子孫を作り、皇太子とそのスペアを >たくさん用意しておくことだったと言ってもいいかと思います。 改めて考えたのですが、やはり、側室がいたときも、今の皇室典範を作った人も、男系維持を続けると言うことに腐心していなかったと思います。 といいますのも、天皇親政ならともかく、天皇は政治の表舞台からは姿を消し、政治を執ったのは公家や武士たちであり、公家や武士は自分たちの利益のみを考えて、自らの女子を天皇の后として送り込みました。天皇にしてみたら、常に政略結婚の犠牲者だったと思います。 つまり、天皇の周りの人間は男系維持に腐心していたのではなく、自分たちの利益を追求していただけだったと思います。 もしも、男系維持に周りの人間が腐心していたのであれば、平清盛の妻が孫の安徳天皇を抱いて入水なんてしないと思います。
- jkpawapuro
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昔は皇籍という概念が厳密ではありませんので、何代遡ってでも男系を探します。 現代に当てはめれば、旧宮家の人間を連れてくるようなものです。
お礼
>何代遡ってでも男系を探します。 私の考える万策が尽きるとはそのように何代さかのぼっても男系が存在しないと言う場合です。 >現代に当てはめれば、旧宮家の人間を連れてくるようなものです。 申し訳ありません、宮家とは何なのかが分からないのです。 ほかの方も宮家に言及しておりますが、皇位継承問題において知っておかなければならない知識なのでしょうか?
お礼
男系論者⇒男系が絶えたら皇統断絶、女系などもってのほか 女系論者⇒男系が絶えたら女系で皇統を保つ かと思ってました、 とんでもない勘違いをした状態で質問してしまったんですね。 質問の前提が間違っているので、今回は早々に質問を締め切るべきですね。