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新撰組と俳句
NHK大河ドラマで、土方が「俺は俳句も好きなんだ。」と言っていた場面が印象に残っています。土方または、そのほかの隊士ののこした俳句を知りたいと思っていますが、ご存知の方教えてください。
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確かに土方歳三の意外なエピソードとして、「豊玉発句集」というものを自分で書して残しておったそうです。残した歌は以下のようなものだったそうです。 公用に 出て行く道や 春の月 三日月の 水の底照る 春の雨 さしむかふ 心は清き 水かゞみ 水音に 添てきゝけり 川千鳥 山門を 見こして見ゆる 春の月 梅の花 一輪咲いても 梅は梅 春の草 五色までは 覚えけり うくひすや はたきの音も つひやめる あはら屋に 寝て居てさむし 春の月 しれば迷い しらねば迷わぬ 恋の道 水の北 山の南や 春の月 行く年の 月日の流れ 蚊帳の外 ちなみに辞世の句は「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東(あずま)の君やまもらむ」。 また「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん」とも「叩かれて 音の響きし なずなかな」とも言われているそうです。 武士に憧れていた本人としては、武士のたしなみとして、俳句などは必要不可欠だったと思われますので、かなりの努力をして習得したのでしょう。また、異性との手紙のやりとりにも俳句などは多用したでしょうから、自然と身についたのでしょうか(笑) なお、辞世の句は皆いつも心にとどめては居たでしょうが、最後まで死地を渡り歩いていた土方歳三にとっては、最期の方に作った歌はどうしても毎回辞世の句になってしまうのでしょうね。それにしても、他の隊士よりも頻繁に歌を残されていた事がうかがい知れます。 他の主な隊士近藤勇や沖田総司なども辞世の句はありましたが、普段歌っていた俳句などはあまり目にした事はありません。
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- fornaoya
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当時俳諧は庶民の楽しみで、れっきとした武士のたしなむものとはされていなかったと言われていますので、恐らく他の隊士達の残した俳句というものはあまり残されていないと思われます。 これに対して、武士がたしなむべき教養とされたのは和歌でした。 和歌なら近藤や伊東、芹沢などもいくつか残しています。 有名なところですと芹沢の 「雪霜に色よく花のさきがけて、散りてものちに匂ふ梅が香」 伊東甲子太郎の 「春風に吹き誘われて山桜 散りてぞ人に惜しまれるかな」 「吹く風にしぼまんよりも山桜 散りてあとなき花ぞ勇まし」 などがありあます。 意外なところで近藤の 「をしからぬ 命一つを二つ三つ 四つもほしきは君がためかは」 でしょうか。 土方は元が百姓でしたから、京へのぼるまでは、親戚や近所の人に混じって句会などに出席して俳句を楽しんでいたのではないでしょうか。 土方が入り浸っていたとされる日野佐藤家からは、義兄の佐藤彦五郎が句会に出席したという記録が発見されていますし、実家の祖父や兄も俳諧師でした。 こうしたことからも土方の出自がうかがわれ、興味深いです。
お礼
山南の切腹のさいに伊東が追悼の歌をよんだというのをドラマで見ました。近藤の歌は「きみがためおしからざりし命さへながくもかなとおもひけるかな」の本歌どりですね。和歌よりも庶民的な俳句を好んだ土方の性格が、組をまとめるのに役立ったことが伺われました。ありがとうございました。
- johnnyblues
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出身地の日野に資料館があります。 自筆の句集も展示されているそうです。 土方歳三とか豊玉でググルと色々見付かりますよ。
お礼
まず自分で調べるのが基本ですね。肝に銘じたいと思います。ありがとうございました。
お礼
丁寧なご回答ありがとうございます。「うくいすやはたきのおともつひやめる」というのがドラマで紹介されていました。私としては、「梅の花一輪咲いても梅は梅」というのがわかりやすくて好きです。また、ドラマで知ったのですが、恋多き人だったようで、それが俳句にも残っているのですね。