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農村と戦争の関係

第二次世界大戦において、農村部の不安定な状態が、日本の海外への軍事的進出を助長したと聞きましたがどのような根拠があるのでしょうか。 農村の不安定→軍事的進出の助長? 

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  • ベストアンサー
  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.4

当時の農村特に東北地方単作地帯の貧困は深刻なものでした。 江戸時代日本で自給自足で生活できたのは人口4千万程度でしたからで倍近い人口に増加していた日本は工業化で外貨を稼ぐか人口を減らすしかなかったのです。 当時工業労働者は朝鮮からの出稼ぎが労賃が安く優先されて採用されており、日本人の出稼ぎの入り込む余地は限られていました。 とすれば海外に目をむけざるを得ません。  しかし当時の東洋は同様な事情で国外に出稼ぎに出かける人が多くアメリカなど受け入れを拒否する傾向が強かったのです。 満州は当時真空地帯のようなもので日本に併合されていた朝鮮から既にかなりの人数が入植していました。 これは日本の東北地方と同様耕筰に適さない土地を離れて貧困を逃れる為ですがさらに日本の支配を逃れる意味もありました。 この為反日の傾向が強く、放置すると危険と見られていました。 従って日本の勢力範囲に取り込むことが全ての問題の解決になり満州の権益も確保出来ると考えて、満州国の建設に進んだのです。 実質的に日本の完全支配下におかれたので関東軍の武力保護の下かなりの日本人が入植しました。   諸外国からは日本の膨張主義と見られて警戒を呼び第2次世界大戦の発端となったのです。 

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回答No.5

私個人としては、そのような意見には同意できません。 確かに、東北出身の兵は、寡黙で粘り強く戦うという評価がありました。 東北の農民の困窮は、江戸時代に遡るものであり、それが日本の軍事的進出を助長したという主要因にはなりません。 日本の大陸進出政策は、元々対露・対ソ戦略が主であり、日本の満州経営の主眼は、緩衝地域と兵站基地としての確保です。 まあ、その後、石原完爾等、勘違いした人々がおかしくしてしまいましたが。  閑話休題  日本は、中国で、今のイラクの、そしてかつてのベトナムのアメリカ軍のように、泥沼にハマって抜けられなくなり、ABCD包囲網に対抗するためと、奥地に撤退した中国に対する支援を断ち切るため、大東亜戦争を始めたのです。 アメリカ軍との戦いを主と考える海軍と、東南アジア進出と対中国政策を主に考える陸軍、どちらも積極的に農村を救うためとか、考えてません。 行き当たりばったりで、中国を含め、多正面に戦線を拡大していったのですから負けるのも当たり前ですね。

  • kodon
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回答No.3

現在学校で教えている歴史教科書を調べたことはありませんが、昭和初期の為政者の政策の誤りにより中国大陸を侵略して満州国を作り中国に 侵略戦争を仕掛けた、と教育しているだろう想像しています。 そもそも万里の長城の北側は満州族の土地で清朝時代は満州族もあまり住み着かず、匪賊が支配する土地で荒野で放置されていた土地です。 清朝最後の皇帝の溥儀が日本の領事館で保護したことが切っ掛けとなり 関東軍が手助けして作ったのが満州国です。それ以後国内は安定して住み易くなり漢民族が毎年100万人以上流入したそうです。日本人にも 政府が応援して入植を進めました。その結果民族の数では圧倒的に多いのが漢民族となり、満州族は消滅しつつあります。中国があの土地が昔から自国領とする歴史的根拠はありません。台湾が自国領と叫んでいる のと同じように馬鹿げたことです。 昭和初期の日本人の生活は農業が基本で工場労働者など極わずかです。 当時の家族は普通家庭で子供5人以上があたりまえの時代です。娘さんは25才までには嫁に行く時代には、2,30年後には人口が二倍になっていることを想定すれば移民先を考えるのが為政者の仕事であるはずです。しかし一番移民したい国のアメリカは排日移民法で拒否され、中国の国民党は日本人排斥を叫ばれるといかなる解決法があったのか、 後世の日本人が先人の失敗から学ぶことは必要ですが、単純に詫びたり しないほうがよい。

  • tanuki4u
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回答No.2

農村農安定とは、農村の人口過多問題です。 大恐慌によって、都市の人口が農村に戻りました。 これによって生じたのが、中小地主層の小作地取り上げです。 つまり、それまで小作人に貸し与えていた農地を、中小地主層が、自己の家内労働者(都市に出ていた次男・三男層)に使わせるようにしました。小作人層はこれによって、農地を喪失することになります。 農地を外部にというのが、大陸進出の正当性を軍部に与えました。

noname#24295
noname#24295
回答No.1

昭和初期は、大半の国民が貧困にあえいでいました。  当時の日本の人口は7000万人ぐらいでしたが、当時の日本にとっては、今の日本に2億人ぐらいに匹敵する人口過多でもあり、海外に移民する者も多くいました。 そこに、大凶作と世界恐慌が日本を直撃しました。  しかし、アメリカを始め、日本人移民締め出しをして、新たに移民をおくりだせず、喰いっぱぐれた人口を移民させる先に日本が目をつけたのが満州でした。  そして日本は満州を侵略していったのです。  多くの貧困農民が、新天地を求めて、日本政府の満州移民志願者募集に多く農民や労働者が応募し、多くの移民が満州に渡りました。  彼らを馬賊やレジスタンスやソ連から保護する為にも、軍事力が必要でした。それが関東軍です。  多くの貧困の

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