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卑弥呼とその後

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回答No.3

「ヒミコ」が存在した事は確かです。魏志倭人伝では「卑弥呼」と中国流の卑語が使われていますが,前回答者の言われている「日巫女」も有力な説です。日本の正史である日本書記には記載がありません。しかし ヒミコの死は247年と248年に続けて発生した皆既日食に関連するとの説が有力視されいます。ヒミコは太陽を神とするシャーマンでしたから皆既日食が2年続くと権威が失墜して死に至ったとの事です。この件は記紀に天照大神の「天の岩戸」神話として書かれている事と合致する事からヒミコは天照大神であるという説に繋がります。 記紀の編者は邪馬台国・ヒミコの存在を知っていて,これを神話に当てはめた事になります。そうしますと高天原は邪馬台国になります。また神武朝の異常に長い在位期間は明らかに改竄として,当時の天皇の在位期間を統計的に検証してみると平均で10年となり、これを神武天皇に適用すると西暦280~290年の頃に当てはまり,神武東征もあながち嘘とは言い切れません。邪馬台国が東征して大和朝廷を築いたという説に納得しています。 邪馬台国・畿内説は考古学遺跡が多い事を上げていますが,この遺跡は神話にある出雲の国譲りのごとく出雲系文化の遺跡・遺産でないのではないでしょうか。

platina-angel
質問者

お礼

ありがとうございます。 日巫女の説は本当に初耳でした。 島根の方に入ったことがないのですが、機会がありましたら、いつか訪れてみたいと思います。

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