カティンの森事件(ソ連によるポーランド軍将校捕虜大虐殺)
カティンの森事件について疑問に思ったことがあります。
wikipediaや他の資料もみたのですがにこのように書かれていました。
「1943年、ソ連に侵攻したドイツ軍はカティン近くの森で溝に4,000人以上のポーランド軍将校・警察官・公務員・元地主等の遺体が埋められているのを発見し、ソ連が彼らを裁判無しで虐殺したとして非難した。ソ連及び赤軍はドイツの主張に反論し、1941年に侵略してきたドイツ軍によって戦争捕虜のポーランド人たちは捕らえられ、殺害されたと主張した。」
結局1990年にソ連による犯行だったと認めることになるのですが、ドイツではホロコーストがあるのに、ソ連のこの行為を非難できるような立場だったのですか?ソ連側が虐殺したのは捕虜でホロコーストはユダヤ人や反ナチスだから舞台が少し違うと言えば違うのですが、、、
この避難というのは人道的な気持ちでのひなんというよりは、ソ連をつぶしたいという気持ちでの非難ですか?
教えてください
お礼
ありがとうございました。 クルスク作戦は、5月に開始していれば勝機があったかも、と聞いています。ヒトラーがパンサーの導入に固執したのがよくなかったかもしれませんね。