- 締切済み
ホンマに?『愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ』
明けまして、おめでとうございます。宜しく御指導のほど。 このたび或るかたから伺ったお話です。 「聖徳太子非実在説」なるものが説得力を持ってきた、とのことで歴史方面に(どの方面でも、なんですが^^;恥)疎い私は思わずギョエ~ほんまに?!と驚きました。かつて一万円札の看板だったオトコマエの秀才の誉れ高い、あのかたが。。。 それだけじゃない、そもそも「日本書紀」とかだって信用できないということで、そういえばキリスト教の聖書も創作性濃厚で、なんのことはない、こんにち伝わっている、あらゆる表向きの歴史的記述物は、いわば「勝ち組」側に、つごう良くつくられたものなのである、ということが思い出されました。 そこで思ったのが『賢者は歴史に学び…』です。 そんなら「歴史」ってなに?なにを学ぶの? 書物を読むことが歴史に学ぶこと、それは先人の経験に学ぶということという解釈のかたもおられますが、結局「経験」じゃ~ないですか。 なお私は経験とは与えられるばかりでなく切り開いてゆくものでもあると思います。厳密には読書することも、そのなかに入り得ますが個人的実体験量が豊かになるほどに他者の書いたもの話すことも、より深く理解し易くなると実感しています。 疲労気味ゆえ打てば響く反応はできかねますが、こんな私にも分かり易く御考えを御披露くださるかた、お待ちしております。
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
みんなの回答
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
立場の違いで個人の経験だけでは用を足さないことがあるのですね。個人がいくら経験をつんでも知れた量ですが、歴史や書を読めば他人の経験も自らの物に出来るということですね。 かって、ヨーロッパ戦線で、従軍記者が猛将パットンに聞いたんですね。「なぜあなたはそんなに勝てるのですか」とね。パットンいわく、「わたしは歴史(ローマ軍)の智慧を学んで実践しているだけです。」というような回答をしたわけです。 確かに戦争で何万人もの兵を動かす作戦なんかに、そんなに目新しいものはないわけですね。過去の戦いを学んでいれば賢者は多少の智慧と過去のパッターンに照らし合わせて容易に勝てるものかもしれません。 勝ち組と負け組みを分けるのは『賢者は歴史に学び臨機応変に有効活用できる』「愚者は歴史を学んでも単なる知識でしかない」ということでしょう。 個人個人で見れば、例えば、飲酒運転による死亡、ひき逃げ事故など毎日放送されていますが、それさえ学びの対象にならないで同じ過ちを繰り返すわけですから、愚者というのは歴史以前のはなしでしょうね。 そのような愚者に聖徳太子も日本書紀も聖書もなんの意味のないことも よくわかりますね。
- sonsin
- ベストアンサー率42% (6/14)
まだ学びつつある人間として、所感をお伝えして参考に供したいと思います。 私は経験と体験は違うと感じます。 経験は単にその場にいただけだったり、新聞・書籍・他人からのヒアリングだと思います。 それにひきかえ、体験は失敗や成功でも情報やデータでも、その原因をなぜなぜと5回繰り返してつかんだことだと思います。 その場合は、その人の体にしみ付く体験になり、わかりやすい言葉で言えます。 5回なぜなぜを繰り返した「真の原因」は、ふしぎなことに小学生5年生にわかるやさしい言葉になるのです。 真の原因がわかれば、改善が可能になるようで、トヨタ・キャノンを世界一にしたのも改善です。 革命は100%失敗、改革も革新も中途半端に終わりました。 私の直感では、革という漢字は「動物の皮をはがす」という意味があり、不具合の原因を作った人は、生皮をはがされる恐れから抵抗するのです。 改善なら関係者がみんな参加できます。 過去を問わず過去は全て必然であり、関係者みんなが少しづつ悪さ加減があると認め合えば、全員参加の改善が進みます。 英語の全辞書に改善が載っているわけです。
お礼
アドバイスいただき有難うございます。 補足欄はヤフー辞書で調べた結果ですが、経験・体験の違い、私も厳密には使い分けができていなかったのですが通常は、ほぼ同義として使えるようです。でも「哲学」の立場では、やはり違いがあるようですね…読んでも私には、よく分かりませんが。 どうやら体験は「印象が強い」経験ということになるのでしょうか。 私自身は、経験にせよ体験にせよ「自分の主観を鍛える手段」くらいな意味に捉えておりました。主観にも各自「体力」があるものなら、それはまあ限界もあるのかしれませんが。。。 >5回なぜなぜを繰り返した「真の原因」は、ふしぎなことに小学生5年生にわかるやさしい言葉になるのです。 そうですね、よく分かっている人のコトバは、こちらが初めての事がらでも理解し易いです。 逆に、とくに専門的な話でもないのに、むやみと難解で分かりにくいコトバの人は本人自身が、よく消化できていないか或いは隠していることがあるんだろうなと思います。 本来なら複雑で専門的な内容でも、分かり易く表現できるかた、いらっしゃいますし。 >革という漢字は「動物の皮をはがす」という意味があり、不具合の原因を作った人は、生皮をはがされる恐れから抵抗するのです。 う~ん、なるほど!!そういえば以前「なんでカワ イノチなん?」と思ったことがありました! つまり表面を剥ぎ取って中身を露出させるわけですね。それは残酷な事なんでしょうねえ「不具合の原因を作った人」にとっては。 だから >関係者みんなが少しづつ悪さ加減があると認め合えば 庇う「関係者」も多いわけでしょうか?(苦笑) こんにち大企業においても改革・革新・改善これらの停止は存在の崩壊に繋がるものと毎日のようにトップからスローガンが申し渡されます。でも自分自身の足元から見つめていかないと必要性を実感できないし遂行もできないものですね。 >改善なら関係者がみんな参加できます。 「勝ち組」側に、つごう良くつくられた歴史ではなく、全員で参加する歴史へ、ということでしょうか? 歴史を(つごう良く)つくり上げることになった原因とは、何がもたらしたものでしょうか。 我々全員が真に等しく歴史に参加していくために何が必要なのでしょうか。 ちょっとアタマ痛くなってきました(笑) 明快で良いアドバイス、参考にさせていただきます。
補足
けい‐けん【経験】 [名](スル) 1 実際に見たり聞いたり、行ったりすること。また、それによって得られた知識や技能など。「―を積む」「―が浅い」「いろいろな部署を―する」 2 哲学で、感覚や知覚によって直接与えられるもの。 たい‐けん【体験】 [名](スル) 1 自分で実際に経験すること。また、その経験。「貴重な―」「戦争を―する」 2 《(ドイツ)Erlebnis》哲学で、個々の主観のうちに直接的または直観的に見いだされる生き生きとした意識過程や内容。特に、生の哲学ではその中心概念をなす。 [用法]経験・体験――日常的な事柄については「経験(体験)してみて分かる」「はじめての経験(体験)」などと相通じて用いられる。◇「経験」の方が使われる範囲が広く、「経験を生かす」「人生経験」などと用いる。◇「体験」は、その人の行為や実地での見聞に限定して、「恐ろしい体験」「体験入学」「戦争体験」のように、それだけ印象の強い事柄について用いることが多い。
- ogasawaraensis
- ベストアンサー率34% (113/324)
自分の解釈ですが、こんなところではいかがでしょうか。 「愚者は自身の経験のみを盲信し、賢者は他人の経験・知識からも学ぶ。」 個人の命は有限かつ短いものですから、各個人が一から発明・経験・学習を繰り返していては、文化・文明の発達は絶望的です。 すでにある知識・技術を有効に活用し、確実に最善・次善の手を選んで打つのが賢者ではないでしょうか。
お礼
早速に御回答いただき有難うございます。 >「愚者は自身の経験のみを盲信し、賢者は他人の経験・知識からも学ぶ。」 ご尤もな御考えと思います。 愚者に発達発展は絶望的ということですね。 独我論・唯我論とも関連してきそうでしょうか。よく知りませんが。 ビスマルクのコトバ足らずなのかどうか分かりませんが彼は「歴史」というものを、どう捉えていたのでしょうね。
- 1
- 2
お礼
アドバイスをいただき有難うございます。 >勝ち組と負け組みを分けるのは『賢者は歴史に学び臨機応変に有効活用できる』「愚者は歴史を学んでも単なる知識でしかない」ということでしょう。 「有効活用」か「単なる知識」か、というところが分け目なのですね。 また「単なる知識」を積み上げる人が往々にして「個人の経験」を疎かにしがちなのも、よく見かけるように思います。結局どちらも「実践」というキーワードが絡んでいそうです。 >個人個人で見れば、例えば飲酒運転による死亡、ひき逃げ事故など毎日放送されていますが、それさえ学びの対象にならないで同じ過ちを繰り返すわけですから、愚者というのは歴史以前のはなしでしょうね 「歴史」に手を伸ばす段階にすら至っていないと。その前にやることがあるわけですね。。。