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世界史の西アジアの範囲
世界史の西アジアの範囲ってオリエントとイスラームのことですか?
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トルコとギリシャのボスポラス海峡を境にして、オリエントが始まります。 オリエント(日の出処)・オチデント(日の没処=西洋)はローマ時代からある分け方で、まだイスラム教(キリスト教も)は生まれていません。人種的・文化的な違いによりギリシャ・ローマ人を初めとする西洋人から見た分け方です。 その時代には、まだ西欧人にはアジアはありませんでした。 中世になると、イスラムとキリストの宗教戦争が激化します。西洋人はやはりボスポラス海峡より手前側は自分たちの地域だと意識しており、このときオリエント=イスラムになっていきました。この時代にはオリエント(イスラム)の先にアジアがあり、胡椒や絹などが生産されていることが知られてきました。 さらに大航海時代が始まります。大航海はもともとイスラムの地域を通らずに、アジアに行ければ貿易で儲けることができると考えられて始まりました。 この時代、イスラムとアジアは同一ではなく、またアジアもインド・タイ・インドネシアあたりまでの地域を指しました。 さらに植民地帝国主義の時代を迎えます。イスラムもアジアも帝国の支配下に置かれ、さらには中国・日本・朝鮮まで、西洋諸国は迫ってきました。 この時代の意識として、もともとのオチデント=西洋、以外はすべて植民地といってもいい状態になりました。 そこで植民地の地域としてアフリカ・オリエントと分け方ができたのです。 しかし、オリエントというのは西洋人とって憧れの響き(日本人の「欧米か!」と同じ)がありますので、自分たちより格下の植民地を現すの不適当であり、また当時の最大の帝国、イギリスの植民地がインドにあったことから、アジア=植民地=西洋でないところ(ボスポラス以東)を現すようになりました。またオリエント=東側ということからイースト(東)という言い方もあります。 この呼び方により、現トルコから ミドルイースト(中近東) イースト(インドなどのアジア、西アジア) ファーイースト(遠いアジア、日本を含む東アジア) と呼ぶ言い方もありますが、すべて西洋人からみればアジアです。 あくまでも西洋からみた分け方ですので、日本人の感覚では中近東とインドと日本・中国がアジアでくくられるのは違和感があります。 そこで、西アジア・東アジアという言い方が出てきたのです。 東アジアは、漢字文化圏と重なります。(中国・朝鮮・日本・ベトナムなど) 西アジアは、基本的にタイ・インドネシアあたりからインドまでですが、ここはイスラム圏を多く含みますので、西洋(ウエスト)と対比する場合は、中近東まで含め ウエスト=キリスト教(欧米):イースト=イスラム教(中近東と西アジア) とすることも有ります。 この場合は、厳密な地理よりも、宗教的な対比になりますので、西洋にアメリカを含めることに注意してください。 このとき東アジアは、イスラムでもキリストでもない地域となります。 世界史はすべて欧米人の視点で書かれていますので、日本人の感覚からすれば不思議に見え、また地域が一定になりません。基本的に西洋でなければアジア(アフリカを除く)で、その中にイスラム文化とそうでない文化があるので、西アジア・東アジアと分けるのです。
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- caesar-x2
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西アジアといったら、インドより西の地域、 つまりパキスタン、アフガニスタンから イラン・イラク・アラビア半島を経て トルコに至る地域のことです。 質問の表現がイマイチ不明瞭ですが、 オリエントの時代のことを あまり西アジアとは世界史では表現しません。 もちろん地域的には含まれるのですが テーマとして語る場合は、 大概は19世紀以降の中東の歴史のことをさしてる 場合がほとんど。 イスラームというと、8世紀からありますから またちょっと違うでしょう。 これももちろんイスラム教の地域ではあるのですが、 世界史でイスラームといったら イスラム帝国の時代を考えますからね。
大体、西アジアとは、中近東です。 中近東と言う表現は、ヨーロッパを機軸にした表現で、知識人や当の「中近東」の人たちは、「西アジア」と言う表現にしようと言う彷徨が出てきて、西アジアを使いつつあるようです。