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have p.p. since...ago は可以?

Swan の本では have p.p. と since (時の用法)... ago とは同じ文で使えると聞きました。実際本当ですか? I have been visiting this Q&A site SINCE a year AGO.

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回答No.2

アメリカに38年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 英語が使えるようになるための英語習得と言うものを考える時に、私が一番嫌いな言葉は「文法的には云々」と言う許容範囲を狭めてしまう言葉を言葉としてみていない姿勢です。 たしかに、「一般的にいけない」と言う表現はあるでしょう。 しかし、それ半本後にもありますね。 そしてのそのほとんどが「状況・TPO」によっては十分使える表現だと言うことも日本人は知っています。 英語も同じなのです。 I have been visiting this Q&A site SINCE a year AGO.という文章を私は「国語(こちらの英語)の先生」の前や授業では言わないようにするでしょう。 Wuzup?とは友達以外には言わないでしょうし、「卑猥」的表現は女性にはしないでしょう。 Sincerely yours,と言う手紙・メールの結びも友達には絶対と言って良いほど使わないでしょう。  文法的に正しい、と言う事はいったいどういう意味なのでしょうか。 最近気がついたことですが、文法用語の増えたこと。(昨日ひとつ私自身が増やしてしまいましたが) 例外という表現をなくす為に更なる分類を作り上げているわけです。 そしてその分類を学生に押し付けているわけですね。 そして、have p.p. と since (時の用法)... ago をだめとしているわけです。 I have not met my first love since 20 years ago.とI have been in US since 38 years ago.との違いを両方とも文法間違いとして、意味の違いですら感じない文法学者さんではなぜ前者の方が良く使われる表現方法なのか分からないでしょう。 そして、この良く使われる表現ですらバツとする方程式的分類をしたところ英語学生の為になるとは私は全く思っていません。 使って良い場合と良くない場合とは単なる作られた文法と呼ばれる方程式的判断以上に、言いたいことをちゃんと伝えることが出来るかどうか、フィーリングをちゃんと出しているか、また、その表現方法を認めてくれる状況にいるのか(TPO)と同時に、今回のように、表現そのものに「社会文法」と言うものが存在そると言うことなのです。 つまり、社会において同じ「文型」をしていても使えるフィーリングと使えないフィーリングがある、と言う事なのですね。 今回のように、agoの時点から続いていると言うフィーリングをこの文型を避けたい人は英語の先生意外にも多くいるけど、agoの時点からある動作をしていないと言うフィーリングを出す表現に対しては一般的に認められている、と言う事なのです。 なぜ、このことを文法学者さんは教えてくれないのでしょうか。 文法と言うものはいつの時代にも「明治の時代の奥さん」なのです。 いつも「生きている英語表現」に3歩下がって「分類作業」をして学説を作っているのです。 文法とは外国人にとって「外国語をより習得しやすくしたもの」として使われるべきものだと私は信じています。 しかし、今の日本では「覚えるもの」または逆に「英語習得の壁にすらなっているもの」となってしまっているのです。 英語文法教授になりたい人にとっては最強の習得機関が日本にあるのです。  個人主張がほとんどとなりましたが、文法は大変必要なものであり基礎でもあります。 英語習得に必要です。 しかし、必要以上の文法を教える必要は私には見ることが出来ません。 今回は、だめだ!と言うだけで使われていると言うことを無視し、また一般的な例外の存在を無視し、その例外を説明できない文法では疑惑を念を消すことは難しいと思います。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

  • jayoosan
  • ベストアンサー率28% (929/3259)
回答No.1

文法を教える人たちは、sinceやagoの意味するところから入るのでNGを出すと思いますが(少なくとも私の高校の時の先生の1人はそんな説明をした記憶が)、海外サイトの書き込みではよく目にするのも事実です。とくに歴史的な話題で古いある時期をいいたいときなどの文章によく見られる感じがします。 日本語でも、 500年前から(since) 500年前には(ago) とたしかに違う表現なのですが、日常の会話において「500年(も)前の昔から」となんとなく言えてしまったり、話が通じてしまうのと同じかもしれません。 どなたかがここで言っていましたが、文法は実際に存在する英語(会話や表現)を分類したもので、すべてが網羅されているわけではないわけですが、時代が移るに従い、表現したい言い方や含ませたい時間軸が多彩になってきているので、昔は例外的な言い方と逃げていたものが、当たり前になる時代なのかもしれません。 たとえばハイテクのおかげで、歴史研究と文化研究や時代検証などが進み、時代を厳密に特定した言い方だけでは、表現が狭い、堅い、もしくは(その証拠がなく)厳密さと大雑把な時間の長さを含めていいたいなど、人々が求める表現が、文法を超えているのかもしれません。 その話題があがったのがたぶん英語のディスカッションフォーラムだと思いますが、へんだという人とそんなに気にならない人にわかれていますが、私もまあ、可以(いい)もしくはOK了(いいんじゃない?)といえると感じます。 ※可似は英語だとcan/may/possible/able toなどの意味なので、絶対にして良い、理論上問題がない、ということではないです。 その人が育った地域や考え方で、こういう表現をしたり容認する傾向もあるのかもしれません(私みたいな大雑把な人間が、過去の用例や文法を気にせず使って来たのが広まったとか) http://eigo.be/grammar/sinceago.htm

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