can have done の解釈について
添付ファイル文章:
Do you know, I simply wonder at you, Alyosha, how you can have kept your purity.
に関する質問です。
you can have kept your purityの
can have done 構文の解釈に自信がありません。
この構文は「可能性や推量」
1.Can A have done ?
2.A connot have done
3.A can have done.
の形があったとすると、
1の場合、
「Aは〜ですか?!、
Aは〜でありえたか?」と
話者の気持ちは現在だったり過去だったりで、どちらにしても質問してる内容に驚きと疑いがある表現。
A が人だった場合、現在を指している場合「日頃のAさんは、いつもあのように振る舞うのに、その彼があれをしたんですか!?」と、予想外で、そのAさんの知人に聞く時に使える表現。「本当?」という気持ちを表現。
同じように
Aが人で
過去を指している場合、
例えばクルマの事故があったとして、
主語の人が家族と一緒にいて、部外者として現場に合わせていた。そこで見えたように感じた加害者のクルマの色は緑。
でも、後からテレビでニュース流れてきて
レポーターの報告では、
青だという報告を知った。
その時に話者の気持ち、自信なさげに家族のメンバーに表現するのが
Can the color of that car have been blue?
(そうじゃないよね?)といった感じになる。
事実にびっくりしている。
2の場合、
「A は〜であるはずがないよ!?でも本当にそう言えるだろうか?、
A は〜であるはずがなかったはず!?でも
あれは見間違いだったかも?」と
話者が考えている時点の時制は過去だったり、現在でだったりする。
ちょっと疑いを含んだ修辞疑問に違い表現。
これも1のクルマの例でいくと、
主語の人が「車の色が緑だ」と結構強めに
自信がある状態であったけれど、
テレビの報告で知った青色という報告に
「ありえない!」と気持ちがまず先立った。でも、レポーターが言っている事に、自信が揺らいで、自分自身の目を疑った時にいう
表現。
3の場合は
「Aが〜あり得るとは!、
Aが〜であり得たとは!」
これも、話者の心の時制は現在や過去だったりで、
話者が、その事実を認識して受け入れてはいるけれど、「考えられない、べつの可能性の方なら信じられるが。。。」ということを表現。
こういった解釈が正しいのか分からないです。
解説宜しくお願いします。
補足
早速のご回答ありがとうございます。 すみません、おっしゃる通りですね。 この文章は、「私はこの部屋のどこかに鍵を置いたに違いない」という文章に 続く会話文の一部です。 ”But where can I have~?”と続くのですが、この場合は 質問として挙げた「(でも)鍵をどこに置いたのかしらねえ」になるのでしょうか。