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吉野ヶ里遺跡と箸
吉野ケ里遺跡では米の栽培が行われていましたが、食事のときは箸を使わず、手で食べていたそうです。 なぜ、米が伝来したとき箸も一緒に伝わらなかったのでしょうか?
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当時は今日の焚いて食べるという方法ではありませんでした。精米法も無かった訳ではありませんが白米ではありません。玄米と言っていい状態。それを煮る・焼く・蒸すですから箸が有ったとしても掴みづらいのです。焼いたり蒸したりしたものは硬いので手で掴む事はできますが、煮たもの、今日で言う粥はそうもいきません。そこで必要になってくるのは「箆」です。「箆」を使用していました。魚などは全て焼いていましたし、生で刺身というものはありませんでしたから串刺しで焼いた物の串をそのまま持ってですね。何故「箆」と解るかというと同年代の他の遺跡から食事に使われたと思われる「箆」状のものが出土していることがあるからです。
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NO.2を書いている途中で間違えて投稿しちゃいました。 日本では遣隋使の時代に伝わったといわれています。私は個人的には随分遅いように思いますが。中国の殷説も記録ではそうかも知れませんが、使われ初めはもっと早いんじゃないかと思っています。 >なぜ、米が伝来したとき箸も一緒に伝わらなかったのでしょうか? 米を伝えた人あるいはその集団に箸を使う習慣がなかったから、と思うより仕方ないですね。わかりません。
お礼
お箸に限らず、記録上の起源と実際は違うかも知れないものはたくさんあるように思います。 古代エジプトで電池やビールがあったと知ったときは驚きましたし、でも、昔から色々なものや知恵はあったんですよね。常にそういう可能性は考えなくてはいけないなと思うときもあります。 ご回答ありがとうございました。
今でも手づかみで食事をする国はありますね。インドをはじめとするヒンドゥー教圏やイスラム教圏などでは、食事の時にはスプーンやフォークを使わず、直接手づかみで食事をします。手をよごさず、実に上手に指先を使います。 弥生時代においても、手づかみで食べやすいものは、そうしたと思います。魏志倭人伝にも倭人は手づかみだと載っています。 しかし、手づかみでは食べにくいもの、パラパラしたものや粥状のもの、また熱いものは難しいですね。 これはNO.1さんのおっしゃるとおり、ヘラですね。こんなやつです。 ↓ http://www.yoshinogari.jp/ym/pages/4_life/2_1.html スプーンです。箸を自由自在に使うってことは、相当な技術を要します。子供も最初はスプーンから始めますように。 二本にバラバラに別れた奴を操るのは、慣れていないと大変難しいものだと思います。 ですから、箸の最初は上がつながっているピンセット状の物であったろうと思います。ピンセットというと小さいものを想像しますが、もっと大きいやつ、戦後モク拾いが使った奴、今キャンプやバーベキューで使う大型のものを想像した方がいいかもしれません。竹を割れば簡単に作れます。 弥生時代もこんなものはあったかも知れません。竹はすぐ腐りますから、土中では残りません。 箸の起源は中国の殷の時代だといわれています。 http://www.z-tic.or.jp/p/museum/digital/tayori/10/ http://comm.hum.ibaraki.ac.jp/ibunka/1996/05/index.htm
お礼
ご回答ありがとうございます。 サイトも方もとても参考になるものを教えて頂きありがとうございました。 お箸は当たり前のように普段使っていますが、確かに初めての人にとっては難しい道具ですよね。 色々と参考になりました。ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 米といっても、今と昔では食べ方が違っていたのですね。 中国でも食べ方は違っていたのでしょうか? 玄米を「焼く」とどんな食べ物になるのか、一度食べてみたいです。 はじめ「箆」の読みが「へら」とわからず、調べてしまいました…。 お恥ずかしいです。 教えて頂き、ありがとうございました。