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黒い聖母子像

ヨーロッパ各地(フランス、スペイン、ベルギー、ドイツ、ポーランドなど)に多くの「黒い聖母子像」の彫刻、画像が現存しています。 これらは現在も尊崇の対象です。   起源については東方の宗教の影響ないし混淆とする説があるようですが、 1.そもそもいつこのような表現が始まり、何故なのか? 2.意味はなになのか? 3.異端裁判で追求されそうに思われるのに何故現在までいきのこれたのか? ご存じの方お教え下さい。

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  • ベストアンサー
  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.1

そもそものキリスト教には、マリア崇拝の考え方はありませんでした。 (実際には崇拝ではなく、超崇敬ですが) キリスト教が転がる前のローマ帝国には、豊穣をもたらす大地母神が盛んに崇拝されていました。 マリア信仰は、この大地母神をキリスト教に取り込んだものです。 大地母神には、多くの女神がありました。 ギリシャ神話のガイア、デメテル、アルテミスなど。 ローマ神話のテルス、ダイアナ、セレスなど。 ゲルマン神話のフライヤなど。 メソポタミア神話のイシュタルなど。 そしてローマ帝国内で最も崇められたエジプト神話のイシスなどです。 黒いマリア像は、このエジプト神話のイシスが元になっていると言われています。 黒いマリアとそれていたり、褐色のマリアとされていたりします。 黒いマリア像で、最も有名なのが、メキシコのグアダルーペ寺院の褐色のマリア像です。 グアダルーペは、スペインのエストゥレマドーラ地方の村の名前に由来し、そこに褐色のマリア像があり、カトリック両王が、このマリア像に礼拝後グラナダ遠征を行って、グラナダを攻略しイスラム勢力をイベリア半島から一掃できたとされるため、16世紀のスペインで人気が高まり、メキシコにもたらされました。 メキシコでは、インディオの保護者の地位を与えられ、アスティカの大地母神トナンツィンとキリスト教の褐色のマリア信仰が融合されたものです。 ということで、 1.ローマ帝国時代から始まりました。 2.大地母神をキリスト教に取り込んだ時に、ローニ帝国内で最も人気の有ったエジプト神話のイシスを取り込み、キリスト教を広めるために役立ちました。 3.褐色のマリアを問題にした修道会も有りましたが、キリスト教が新大陸で勢力を伸ばしたのは、褐色のマリアのおかげでした。 さらに異端審問は、魔女裁判とは異なり、基本的にカトリックから離脱したプロテスタントを対象にしましたから、カトリックである間は、異端審問の対象とはなりませんでした。 むしろ、プロテスタント地域で、魔女裁判の対象とされる可能性のほうが高いのですが、従来の信仰として認められていたのかもしれません。

komes
質問者

お礼

詳細な情報有り難うございました。 聖母子像はキリストに主体をおいて考えていましたので、母性そのものを崇拝する考えがあったとは知りませんでした。 褐色の聖母子信仰が異教とは見なされなかったとは驚きました。 地域や時代により宗教裁判は恣意的であった事は承知していたのですが・・・ 疑問がかなり氷解しました。

その他の回答 (1)

noname#37852
noname#37852
回答No.2

>3.異端裁判で追求されそうに思われるのに何故現在までいきのこれたのか? スペインのモンセラートの黒いマリア像(聖母子像)は隠してあったらしいですよ。 詳しいことは記憶しておりませんが、この本に少し歴史が書かれています。 絶版?みたいなので古本で買うか、図書館で探して借りるかだと思いますが、、、

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4122018749
komes
質問者

お礼

情報有り難うございます。 やはり隠れキリシタンならぬ隠れマリア信仰はあったのですね。 聖母マリアが非白人と表現する事は原始宗教の流れを吸収したとしても勇気がいる事だろうとおもいます。 キリストの遺伝子を考えると想像がふくらみます。 ダヴィンチ・コード以上のミステリの題材になりそう。 教会やバチカンが黙殺し封印したのも頷けるような気がします。

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