想いとは記憶を先取りする準備作業とありますが、先取りしようにもないものは先取り出来ないのだと想います。原因=結果。原因の前に原因となる想いが存在すると書きました。ではその想いとは。すべては同じことのくり返しです。物質という概念のプログラムが私たちの宇宙を作り出す一番小さな世界としています。そして、それはすべてに共通する原理ともしています。物質が概念の世界に生まれ出るならば物質を必要とする想いが原因の前にあります。では私たちが存在し、生命を生み出す宇宙を必要とする想いがあるならば、それは私たちの宇宙を創り出した神ともいえます。根源的な生命という形態の存在が自身という生命を維持するために自身の想いの内部に新たな生命を生み出す。私たちという生命が辿り着く答えは私たちを必要とする想いに帰ることです。必要=目的=原因=結果=認識。過去の想いが概念の世界に生まれ出るとは、必要という過去の想いに生まれ出ることと考えます。では原因という前の記憶を先取りするということは過去という想いが答えに到達する一部として私たちはもう有している。存在=答え=さらに大きな答えに向かう途中。人間雄細胞=細胞が創り出すあらゆる機能と形=その総体が人間です。存在こそ過去の想いの記憶であり、私たちはその一部なのだと考えます。
時間の役割については、物質という概念を生み出す原理世界を考えると。仮に距離1=速さ1=時間1というすべてが同じ存在という世界の中で、想いの量=加算の量=質量=距離を仮に0.5有していたとすれば。原理世界の一辺という1の距離の中に物質という概念(質量の総体)は0.5という距離を有し、残りの原理世界が0.5という距離を残す。1という原理世界の距離の総体を同時に認識して私たちの感じる世界に距離と速さと時間があるならば、一つの物質発生という概念の世界で物質は速さを有すると思え、そして時間は小さくなると考えます。不変として存在するものは加算という質量=距離であり。速さと時間は相反する生まれ出た結果なのだと考えます。
資料を何度か送りましたが、削除されてしまい、私の考えをうまく伝えられないようです。近いうちに退会いたします。私のような素人の考えを読んでいただきありがとうございました。
お礼
知覚を構成するセンサーは、対象の物質系が発するエネルギー群に感応して対象に関するセンサー出力系が生じ知覚が得られると思いますが、これらセンサー群を励起するための信号はやはりその物質系が発するエネルギーをトリガーとして使っているのかな?という疑問でからでした(字を間違えておかしなことになり申し訳ありませんでした)。 >>根源的な生命という形態の存在が自身という生命を維持するために自身の想いの内部に新たな生命を生み出す<<というご回答に接し、もう少し考えてみます。