標準語というのは、江戸から東京になった当時の江戸ことば(東京方言)をもとに定められたと聞いたことがあります。
一方、当時の東京の人たちは、官軍に征服されたという意識があり、官軍の人たちが使う方言を莫迦にした。それで、明治政府の政治家官僚たちは共通言語を漢語に求め、明治初年に漢語ブームが生まれたといいます。役所や法律のことばは難しい漢語を使うようになったのはそのためだそうです。
しかし、最近は役所用語や法律用語も誰でもわかることばに置き換えられて来ています。
いわば、業界用語使用禁止になってしまったのです…。
しかし、これって、業界の人には結構やりにくいものです。
業界用語を出せば、あのこと言っているんだなと互いに相手の言うことが簡単に通じるから便利なんです。
業界にとどまらず、会社にもその会社独特の符牒、社内用語といったものがありますね。あるいは、もっと小さい単位で家族や親戚の間でのことば、あるいは友だちの間でしか通じないことばもあるでしょう。
病院に行くと、病院のスタッフ同士が患者にはわからない用語を交わすことがありますが、内輪でしか通じない言葉は内緒ばなしにも便利ですね。
方言もそれと同じで、地域社会での共通言語ですね。
その言語を共有する地域の人たちには便利なツールです。
また、内輪のことばを使っている人を見つけると、親近感や連帯感を感じるのも確かでしょう。石川啄木に「ふるさとの訛(なまり)なつかし 停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」という上野駅を詠んだ歌があります。
広い範囲で共通に通じなければならない話題は、世間では標準語を使います。
そのためか、標準語って味気ないですね。
私は東京生まれですが、メールで相手を和ませようと、わざと怪しげな各地の方言もどきを使うことがあります。
映画「スウィング・ガールズ」やTV「タイガー&ドラゴン」は、方言から日本人が感じる温かさをうまくつかっていました。
TV-CMで外資系生命保険だったと思いますが、東北の方言で語らせるCMがありますね。
しかし、あのCMは同じことを標準語でも語らせます。
お国ことばでも、標準語と同様に日本語スピーカーに通じる程度の汎用性がないと、ただの内緒ばなしツールに留まってしまいます。
私も方言に温かみや微笑ましさを感じますが、それは何をいっているのかが、完全にではなくとも理解できる場合で、その段階ではすでに日本語ネイティブスピーカーの間では、方言ではなく、共通言語の一部になっているのだと思います。
また、なぜ温かみや微笑ましさというと、それはバーチャルな郷愁でしかないかも知れません。
一方、日本語を学ぶ外国の方にとっては、方言は難問でしょう。なにしろ日本語の辞書には殆ど載っていませんから。もちろん、山形弁をマスターしたダニエル・カールみたいな人もいますけれど。
私は高校が東京都港区でした。東海道線・横須賀線で一本なので神奈川県から通ってくる同級生たちにそこで出合ったのですが、彼らに共通のアクセントがあることに気付きました。4音の単語の3番目の音にアクセントを置くのです。そのことを話したら、三浦弁だと答えられました。三浦半島から湘南地方のことば遣いだという説明でしたが、しかし、時代は変わり、もう、あのアクセントも聞かれなくなってしまいました。
お礼
書けば良かったのですが、単語などにもできてきた歴史があり、ある単語を、他の言語で読み変えようとしても、完全にイコールになる単語はない、というような内容の英文だったのです。 思いつきで、言語と方言をよみかえようとしたのですが、また、言語と方言にも溝があるなと感じました。 確かに知らない言語と知っている言語の方言では感じ方が全く違いますものね。 回答有難うございました。