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これをやれば元気が出るのにとわかっているのに

私の場合、どうも打ちひしがれたような気持ちになったとき、趣味に没頭すると気持ちが前向きに明るくなれます。それなのに、時間があってできるときでも、なかなか腰を上げてやろうとできないんです。これは受験勉強や仕事の場合でも似ているんですけども。そういうものも、重い腰を上げてやり始めれば元気になる。その腰をなかなか上げられないんです。 なぜ、やれば元気になることがわかっていながら、それをやろうとしなおのでしょうか。 一種のタナトスなのでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • aoaoao
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回答No.4

これをいってはお終いですが、 元気じゃない時には何をするのも腰が重いものだと思います。 あと、趣味に没頭するというのは決められた事を何も考えずするのと違って、 かなり精神的エネルギーが必要なことだと思います。 普段は楽しんでやっているので気付きませんが。 そのため、いざ、構えてやろうとすると、かなり気合が必要になるのだと思います。 例えば機械など、電源を入れる時に通常時より電気が必要なのと同じように、 人が惰性でなく、なにか始めようとする時も、スタート時にエネルギーが沢山必要になる気がします。

noname#32495
質問者

お礼

そうですね。呼び水みたいなものですね。なかなか創造的行動というのは抵抗感があるのです。

その他の回答 (3)

noname#25310
noname#25310
回答No.3

これは鬱病と同じ原理です。 鬱状態というのは、習慣的な「何もしない状態」が根付いてなるものです。 健康な人間でも一ヶ月間、暗い部屋に閉じ込めておくと、鬱病になるといいます。 それは「何もしない状態」を継続することで、さらに何もしたくなくなるという感情を引き起こすからです。 逆に、例えば毎日掃除をきちんとする習慣のある人にとっては、多少、寒くて動くのが億劫でも、いやなことがあって気分が沈んでいる時でも、「掃除をしよう」と腰を上げることは、割とたやすいのです。 そして掃除を始めてしまえば、身体もリフレッシュして気分も変わり、 それによって「鬱状態」が根付くことを回避できます。 質問者さまの場合、打ちひしがれたような気持ちになった時、何もしたくなくなるのではないでしょうか。 そしてしばらく何もしない時間を過ごすのではないでしょうか。 何もしない時間が長くなるほど、動くことへの倦怠感が強まります。 「先に億劫になるから始められないのだ」と思うかもしれませんが、これは卵と鶏です。 「億劫だからやらなくなる」ことと「やらないから億劫になる」ことは同じことです。

noname#32495
質問者

お礼

そうですね。やはり強制力とか、強い使命感、達成欲が原動力になる必要があります。

  • kobarero
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回答No.2

「機械的かつ日常的」か「創造的かつ非日常的」かの違いだと思います。 人間は創造的な生き物ですから、「機械的かつ日常的」なことを嫌い、「創造的かつ非日常的」なことが好きです。 受験勉強や仕事の場合、「機械的かつ日常的」に堕しやすい傾向があります。遊びなら、「創造的かつ非日常的」になりやすいですから、面白くてやめられなくなります。 従って、受験勉強や仕事の場合、あるい、その他なんでも「機械的かつ日常的」になりやすいものは、断固、拒否すべきです。拒否するというのは、やらないという意味でなく(本当は、やらないのが、最も良いと思いますが)、「おもしろいと思う方法でやる」、すなわち、「創造的かつ非日常的」にやるということです。 例えば、受験勉強なら、パンツ一丁で、逆立ちしながら歴史の年号を覚えるとか、仕事なら、毎日酒を飲んで、遅れて出勤ばかりしてるのに、有る一点については、誰にもできない仕事ができて、頼りにされざるを得ないようにするとかです。

noname#32495
質問者

お礼

やはり「個」の確立が楽しむためのキーかもしれないですね。

回答No.1

人間は楽したい・一時の幸せを望む動物ですから仕様が無いですよ。 しかし、努力するとその期間は楽ではないですが、将来素晴らしい人生が待っています。 負け組みにならずがんばってくださいね。

noname#32495
質問者

お礼

早速のご回答、ありがとうございます。 努力していると元気が出るのに、何でその元気になることをやるのに腰が重いのかと言うことです。

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