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やる気と元気がなくなっていく悩み - 20代後半女性の心の叫び
- 20代後半の女性が仕事や趣味にやる気と元気がなくなってしまって困っている。仕事や趣味にも頑張りたいと思っているが、努力することがつらくて嫌になる。毎晩、死ぬことを考えたり、趣味を続けることに虚しさを感じている。昔は元気な大学生活を送っていたが、社会では努力が認められず結果が全てと感じてしまう。周りの人に努力が認められても自分は努力が足りないと感じる。ただただ戦い続けることが辛くなり、優しくなることと強くなることを願っている。
- 20代後半の女性が仕事や趣味にやる気と元気がなくなってきて悩んでいる。仕事では学んで頑張りたいと思っているが、努力することがつらくなってしまう。残業して勉強する毎日に絶望を感じている。趣味も続けているが、虚しさや苦しさを感じている。過去の経験や努力が社会では認められないことに苦しんでいる。優しくなりたいが、戦い続けることが辛くなっている。
- 20代後半の女性が仕事や趣味にやる気と元気を失いつつあり、困っている。仕事にはしっかり取り組みたいが、努力が厳しく感じられる。自宅でも勉強するが、自分が死ぬことを望むほどに苦しい思いをしている。趣味でもやる気が出ず、他の人よりも下手である自分に失望している。昔はカラ元気を装っていたが、社会では努力が認められないと感じている。戦い続けることが辛くなり、優しくなりたいと願っている。
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こんばんは。 切々たる思い、押しつぶされそうな苦悩、文面から痛感しております。 まずあなたに送る言葉、それは『本当にご苦労様、そしてお疲れ様・・・。』と言うこと。 今迄の『それを』何かの、また誰かのせいにする事はあなたもしたくないでしょう・・・、 私もそう考えることはしたくありませんし、してほしくありません。 現代社会の構造(マネー資本主義、成果主義、軽薄な人間関係 etc)の中に私たちは漂っているような感じがします。 それは私たちにとって時には『健康を損なわせるほどの害悪』だと思います。 しかし、生活するため、家族に対する気遣い(家族に心配をかけたくない)などから、 私たちはますます『それに囚われていっている』そう感じます。 ではその現代社会の構造を作り上げたのは誰なのでしょうか・・・? 言うまでも無く『人類・・・つまり私たち』なのです。 『自ら仕掛けたトラップ』に私たちはいつの間にか捕らわれてしまったのです。 あなたが過ごしてきた20数年、様々な変化があり、 またその中をあなたは『懸命に泳いできた』ように思います。 (改めて『お疲れ様』です。) 文中に >とにかく今は、段々と「もう嫌だ」という気持ちになっていってしまっているのですが、私は戦い続けなければならないのでしょうか。 と、ありましたが、例え兵士でも、『休息無く戦うこと』はできません。 それは『自滅』を意味します。 また、『戦場の兵士は好んで戦いをしてはいない』とも思います。 つまり、『戦争は嫌だけれど、仕方なくしている』のです。 今のあなたに大切なのは『休息』ではないでしょうか・・・? 『戦場を離れ、戦地を離れ、武器を置いての休息です。』 よい例ではありませんが紛争地域にいるアメリカの海兵隊でさえ定期的に帰還、そして休息します。 >私の願いは、他人の気持ちを思いやれる優しい人間でいたい、そのために強くなりたい、ということ・・ 私たち人類は『有史以来様々な形の紛争、戦争、混乱・・・』を引き起こしてきました。 『現代社会の構造もまたその一種でしかない』と思います。 そんな中に私たちは『今、いる』のです。 始まりがあるモノ・・・必ず終焉があります。 つまり『現代社会(構造)にも終焉』は必ず来ます。 そのときに『もっとも大切なもの』、それはあなたの言うところの優しさであり、 それが優しい人間たちの社会を創造すると思います。 『戦いに勝利すること』が『強いことではない』と思います。 とにかく『今を(あなた自身とあなたを取り巻く環境)』冷静に見つめて下さい。 そして休息をとってください。 充分な休息は『次(次の時代)の活力として不可欠』です。 あなたの『願い、志』は必ず叶います。 なぜなら『いまトラップには嵌まっっている方々』も『本心は優しい人間社会』を望んでいるからです。 ただ『寂しいかなトラップに嵌まっていることに気づいていない』のです。 どのように休息するのか・・・それはどうか問わないで下さい。 あなたを一番知っているのはあなたなのですから、 『あなたがあなたにとって一番の休息』を見つけてください。 ・・・日暮れが日に日に早くなりましたね、明日(明後日?)は満月です。 秋の虫も鳴き始めました・・・自然はそして季節は確実に『ながれている』のですね・・・。 それでは。
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- ADATARA
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こんにちは! マラソンびとです。 人に勝つとか負けるとか,そんなことを考えるのは,せいぜいフル(42.195km)までです。100km,富士登山競走山頂コース,日本山岳耐久レース,など,超距離ですが,スタートしてゴールすると,自分を自分で誉めてあげたい世界もあります。 アドバイスとして,スタートしてゴールすると,元の位置(場所)にいるゲーム(こと)に価値観が持てるようになると人生が5%くらい楽しくなりますよ。 <他人の気持ちを思いやれる優しい人間でいたい,そのために強くなりたい,ということです。 鋼鉄のような意志を持った人間はこの世にいません。他人から見れば不完全な部分を持った人間同士が集まって社会を作っています。貴方はその構成員の一人です。 今日一日を頑張ることです。明日は明日です。でも,明日になれば,その日一日頑張れます。しかし,そういう世界を理解できないときは,100キロマラソンの世界ですね。つまり,誰でも練習してくる大会ですから,60km過ぎから勝負です。疲れてきたとき,どう思うかです。「私は,なんて走るのがすきなのだろうか。」と思える人はどんなに疲れていても前に進めます。しかし,そう思えない人はエイドで休んでそのままリタイヤです。 つまり,人間社会に合わせて,いろいろな欠点を持っている人たちと一緒にいるのが好きですか?嫌いですか,それによって,明日への一歩が踏み出せるか決まります。 好きでない,という人が圧倒的に多いはずです。当たり前です。作られた人間関係の中で微妙な線の上をみんな歩いているのですから。。。 たいがいの人がサラリーマンになりますが,人間関係とか人との関係ではとてもむつかしい職種です。このことをまず理解していないと,最後まで理由も分からなく苦しみます。だから,ある意味での「達観」が必要です。 アドバイスとして,こういう時は,会社の人間関係のことはそのままにしておいて,休日に気分転換することです。つたないブログですが,100円玉で遊べる「MORISAWA爆走応援ブログ」もありますので,ご自分の知らない世界も歩いてみたらよいと思います。読書とか映画とか,現実の世界と同居している世界でなく,囲碁とか競輪とか競馬とか(ただし100円玉で),我をも忘れることの出来る世界が良いですよ。
お礼
マラソンを例に社会を客観的に鋭く捉えたご回答、ありがとうございます。
- ryoma_kuro
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☆私が気になった文章を抜き出しました。 >自分が死んでいればいいのにと思ってしまっています。そうしたら、もう何もしなくてよくなるから。 >しかし、人並みになるために努力して来たことなんて、社会では認めてもらえません。結果が全てです。これからも結果のために、今までのようにたくさんの苦しい努力をしていかなければならないと思うと、生きていくことが嫌になります。 >私は戦い続けなければならないのでしょうか。私の願いは、他人の気持ちを思いやれる優しい人間でいたい、そのために強くなりたい、ということです。 ☆参考にして下さい。私が思っていることです。 ・生きている、そのことだけで私は素晴らしいことだと思います。生きていさえすれば、小さなことでも、誰かの役に立つことができます。役に立つことで、その人は喜んでくれます。 ・「達成」を目的にせず、「経験」を目的にする。どんな結果であろうと、たとえ完璧にできなくても、成果が伴わなくてもいい。少しでも「経験」できれば、私にとって「経験」という目的は達成したということです。それで立派な前進。失敗しても、経験したということで成功です。 ・「経験」していくと、イヤなこと・困難・人間関係などのいろんな壁とぶち当たります。そういったことを苦しくても経験していくことで、人間的に成長していきます。自分がイヤなことや困難を経験しているからこそ、他人の苦しみもわかります。そうすると、特に困っている同僚や友人に手を差し伸べたり、優しくなれます。 ・そして「社会的に認めてもらう」というのは、あとからついてくるものです。 経験して、もしそれが成功したなら、自分の仕事のスキルが上がっていきます。それを積み重ねることで、社会的に認めてもらえます(この場合は地位とかお金です)。これは「仕事の報酬」です。しかし、最終的な仕事の報酬とは前述した人間的な成長です。地位やお金は無くなってしまいますが、人間としての成長は決して失われることのない報酬になります。 この、決して失われることのない「人間としての成長」によって、他人の気持ちを思いやれる優しい人間になることができるのではないでしょうか。
お礼
人は生きてることだけで素晴らしいということ、また社会で経験を積んで「人間としての成長」をして優しくなれる…というご意見、ありがとうございます。 私もそのように思っていたいです。 会社で働くと、そういう考えは甘えだと捉えられてしまうことが多いので、自分が本当に思っていることと建て前と、折り合いをつけるのが難しいこともありますね。
- poyo3
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表面的には理想的な(?)経歴のようにみえるのでどちらかといえばなりたい自分ではなくならなければならない自分にとらわれているのでしょうね。 理想に強迫的になると物事は全てが義務、片付けなければならない仕事になり休日ですら休む事すらが仕事になってしまいます。 人が怖いから(人と違うと思うからでしょうか。)人と表面的に同じように、あるいは人より優れていなければ自分は馬鹿にされる・・というような誤った考えに支配されすぎているのでしょう。 >>人並みになるために努力して来たことなんて、社会では認めてもらえません。結果が全てです。これからも結果のために、今までのようにたくさんの苦しい努力をしていかなければならないと・・ 認めてもらえないのは当然。人のためにする努力が違います。(自分が人に認めてもらうための努力ではないでしょうか?それは相手に要求する事でありある意味自分を守る為の努力ではないでしょうか?) 当然自分が生きる為の努力をしないで自分を守る事ばかり考えて生きていればあなたが言う努力をすればするほど苦しくなるものです。(苦しい報われない努力は本質的に方向が間違っているのです。) 本来解決しなければならない問題を別のことで解決しようとするから問題が解決せず時間がたってどんどん苦しくなるのではないかと思います。 本来解決しなければならない問題はなにかといえばあなたがなぜ人が怖くなったかを自分でしっかり理解しそれを自分で受け入れる事ではなかったかなと思います。当時では出来なかったにせよ・・。 それを表面的に人と同じように振る舞い相手に気に入られようと理想的な形の追求という表面的な解決を追い続けた結果が今のあなたになったのではないかなと思います。 きっと何かに暗黙に支配され続けて生きてきたのではないかと思いますが世の中はそんなことをあなたに要求しなければならないことは無いです。(仕事では当然言われるでしょうが) 仕事は仕事で人は人です。認めてもらう事にとらわれないで自分の人生を探す事が大事かと思います。 自分に自信が無く自己不在だから誰かに認めてもらいたい自分の存在を承認して欲しいと思わずはいられないのでしょう。些細な事でもこれが自分なんだと思えることがあれば誰かに認めてくれと要求する気持ちも少なくなると思いますしその為の努力が無意味になってくると思います。そうすれば本当の意味で人のために何かできるのではないかと思います。ありのままの自分をい受け入れることは自分を大事にする事だと思います、自分を大事に出来るから人にも優しく出来ると思います。 認めてもらう欲求ばかりが強くては人には何かをするかわり自分を認めてと結局ただの要求になってしまいますからね。ながながと無駄な事を書きましたが何か参考にでもなれば。個人的な偏見もありますので役に立てば幸いです。
お礼
ご意見ありがとうございます。 以下に私からの返信を記述させて頂きます。 「人より優れていなければ自分は馬鹿にされる」という思いは、確かに私の中にあるかと思います。過去の実体験からもそうですし、現在の会社でもそうですし。生来人間は、自分より弱い者に冷たくあたることも多い生き物だと思いますので、そうならないように気をつけていたいと思っています。 私の質問分の「結果が全てで人並みになるための努力が認められない」というくだりは、認めてもらえないことを悲観しているというより、本当は自分ではどうでもいいと思っていることの結果のために努力し続けなければならないこの世界に疲れてしまった…ということを表現したくて書きました。わかりづらくて申し訳ありませんでした。 私は他人の目はあまり気にせず、本当の自分がどうあるかを大切にする方だと思うのですが、仕事の結果などは他人の目に依存して成功・失敗が決定してしまうので、そういうところは「認められよう」と努力しなくてはいけないのでしょうけれどね。 「なぜ人が怖くなったかを自分でしっかり理解しそれを自分で受け入れる事」が大切だというご意見もありがとうございます。これについては過去に自分でよく向き合ったので解決済みです。ただしトラウマは完璧には消えることはないものかと思っています。 「自分を大事に出来るから人にも優しく出来る」、というのは、そうであるときもあれば、そうでないときもあるかと思っています。自己犠牲の優しさというものもあると思いますので。また、自分を大事にするあまり他人への優しさを忘れているような人をよく見かけますので、自分を大切にすることの正当化のために「自分を大事に出来るから人にも優しく出来る」という概念を使用しないように自分を律し、気をつけたいと思います。 再度、お時間をとって回答を下さったことにお礼申し上げます。
色々行き詰っていることと思います。一つずつ整理していきましょう。 まずお仕事ですが、まだ始めたばかりですから辛いのはある程度仕方がありません。絶対に嫌という仕事ではないなら、あと3年くらい続けてみると良いと思います。 仕事に集中できない理由は恐らく私生活の悩みからでは?と思われます。 趣味のスポーツですが、好きだという事でないなら思い切って辞めてみてはいかがでしょうか。 辛くても劣等感を感じても、好きであるなら続ける意義はあるかもしれませんが「いつか楽しくなるはず」という続け方では苦しくなる一方かと思います。 その分野でプロを目指しているという事でないのならば一度辞めて、将来的にもう一度やりたいと思ったときにまた始めるというのでも良いかと。 スポーツをする事が健康に暮らすことにおいて必要と思われるのであれば、別の軽いスポーツに切り替えれば良いと思います。 質問者さんの今までの人生が苦労続きであった事は文章を拝読していて理解できました。 しかしそれを社会で認めてもらえないという事もわかっておられるのですね。そこが一番重要ではないかと思います。 自分で苦労してきたという自負があると、どうしても「他人よりも頑張った」気になってしまいますが、質問者さんを第三者が一見しても全てを知ることができないように、質問者さん自身も他人の努力の過程をうかがい知ることは困難です。 苦労は結果で知るしかありません。本当に苦労をした人はそれを知っているはずですので、そういう人は「偉そうなこと」を質問者さんに言ったりしないと思いますから…そんな人の言う事は気にしない方が良いと思います。 優しい人間でいたいというのは、恐らく叶っていると思います。 辛さを知っている人は優しいですから。でも、このまま優しくあり続けるためにはもっと辛い事があるかもしれません。 それでも良いと思えるように戦い続けるのなら良いと思いますよ。 「もう嫌だ」とか「これからも戦うんだろうか」というのは、質問者さんくらいの年代以上になると誰でも持っている悩みかと思います。私もそうです。(私は多分、質問者さんより1,2こ年上くらいだと思いますが…) 自分がそうであるように、他人もそうだと思えれば周りの意見や考えも受け入れられるようになるかも…
お礼
仕事、スポーツ、「偉そうなこと」を言う人、「これからも戦うんだろうか」ということについて、それぞれ回答ありがとうございます。
うーむ。 単純にくたびれているだけじゃないですかね? 暑いし、36度もあるし、みんなそうじゃないですかね? 年齢: 20代後半 性別: 女 仕事: ベンチャー企業 学歴: 海外の大学 趣味: スポーツ ひとも羨むキャリアだと存じますが。 ずっと、同じ仕事ができる訳も無く、飽きるし、業績は 変わるし、ま、同じやり方がずっと上手く行く訳がない んです。 自分なんてそないにたいそうなもんじゃ無いんだし、 何もしない期間とかつくるの大事じゃないでしょうか? 幕府がたに就いた武士達も、明治以降の時代に生きたん ですよね。信じたものが変わっても、仕事がなくなっても プライドがへし折られても。 柔軟性が大事だと思いますよ。 涼しくなったらまた、頑張りましょう。
お礼
張り詰めている肩の力を抜くような回答ありがとうございます。
お礼
思いやりに溢れていて詩的な回答ありがとうございます。