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Cメジャーの曲はなぜCメジャーで終わらなくてはならないか?
音楽を学んだ方は御存知だと思いますが、コードがCで始まる曲は必ずCで終わらないと気持ち悪く感じます。どうもこの感覚は世界共通のようです。 それはなぜか?と考えると、これは心理学の問題のような気がするのですが、どなたかわかる方がいましたら教えて頂けませんか?
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こんにちは。 このようなことは、専ら「音楽心理学」という分野で取り扱われていますので、もし興味がおありでしたら一度このキーワードで検索なさってみて下さい。 気持ちが悪く感じられるというのは、それは「不安定感」「不安感」ですね。 ハ長調Cの音階上で作られますコードは、その音階の主音でありますCに対して周波数比が整数倍の関係にあり、それを音楽として構成するための「機能」を持っています。従いまして、これが使われるということは、その曲はきちんとした規則・ルールに従って作られているということになります。 このうち、「調性」というものを明確に決定するものを「属音(ドミナントDM)」といい、Cスケールでは完全五度のGが属音(ドミナントDM)、完全四度のFが下属音(サブ・ドミナントSD)となり、他にもG7・Bm7(DM)、Dm7(SD)など、構成音の類似するものが同様の機能を果たします。 このため、Cで始まります曲のインターバルがFやGに展開しますと、我々は音の変化と共に「明確な調性」というものを理解することができます。調性と捉えることができるということは、その音楽は不規則な騒音ではなく、ルールに従った奏音であるということです。 その音がCからFへ変化することにより、我々は「定められた調整」の中で緩やかな高揚感を感じ取ります。そして、更なるGへの展開によってより興奮が高まり、その状態でCに解決することによって濃厚な「安定感」を獲得します。つまり、Cで始まったものはCで終わらないと納得ゆかないわけです。そして、このような機能を使ったインターバルの構成は、クラッシクでは「カデンツァ」、ブルースやポップスでは「スリー・コード」といい、世界中のあらゆる音楽で、最も基本的なスタイルとして使われています。 これが全人類に共通であるということは、これが我々人間が動物として先天的に持っている「生得的な反応」であるということです。そして、本来音楽といいますのは、人間がそれに対してどのような反応を示すかということを基準にしたルールに従って作られるものです。ですから、作曲家や演奏家はこれで自分の意思を伝えることができるわけですし、我々はそれをちゃんと理解します。このようなことを最初に発見したのは、ギリシャ時代の数学者ピタゴラスであります。 周波数比が1:2の整数関係にある二つの音は「オクターブ」として互いが同じに響き合います。ピタゴラスはこのことから「ド」と「ソ」の音が美しく響き合うのは、それが2:3の整数関係にあるからだということを発見します。これが完全五度(パーフェクト・ファイヴ)ですね。 ならば、周波数比が整数倍関係にあるならば他にも安定した和声というものがあるはずです。そして、それを基に選び出していったものが、やがてオクターブを12分割する音階となりました。つまり、音階とは我々人間の耳に整然と響き合う音同士が並べられたものであり、これによって、ひとの心を動かすことのできる音楽というものの基本的なルールが作られたことになります。 音楽とは「人間に高揚感をもたらす奏音」と定義されます。ですから、どんなに美しい音であっても、それが奏音としてコントロールされたものでなければ音楽とは言えないわけですね。そして、それは音の状態や、主に時間的変化によって高揚感を生み出すものであり、その代表的な要素としましては以下のようなものが考えられます。 「小さな音から大きな音へ」 「低い音から高い音へ」 「ゆっくりとしたリズムから速いリズムへ」 「小さな変化から大きな変化へ」 「規則性のある変化」 「安定した響き」 これが主な要素であると申し上げますのは、恐らくこのようなものは人間の生得的反応と対応しており、全人類に共通ではないかと考えるからです。そして、先ほどのC、F、Gによって構成される「スリー・コード」は、これらの要素のほとんどを満たすことが可能です。 音の三要素のひとつであります「音質」といいますのは、その音の基本周波数に対する倍音構成によって決まります。この倍音構成が単純である場合は澄んだ音に聞こえ、複雑であればふくよかな音に聞こえます。更に複雑になりますと耳障りになり、最終的には音程の判別できない雑音になります。 ですから、人間にとって心地良く感じられる音といいますのは、その倍音構成の複雑さが受け入れられるかどうかによって定まります。メスを呼び寄せるためにわざわざ耳障りな鳴き方をする動物はいませんし、群れに危険を報せようとするならば複雑な響きによって緊張感を高めようとします。このような音に対する反応といいますのは、人間を含め、多くの動物に共通します。 メジャー・コードは長三度でその響きは安定していますが、短三度のマイナー・コードは周波数構成比がやや複雑になります。このため、我々はマイナーの曲に寂しさや悲しさを感じるわけですが、このような不協和音による不安定感を「緊張感(テンション)」といいます。 先ほどのスリー・コードでは、FからGに展開することによってより高い高揚感が得られるわけですが、この、Cに解決する前のGをG7に変更しますと、その周波数比が45:64と複雑になり、緊張感が得られます。ここで周波数比が4:5という安定したCに解決しますならば、そのギャップ、安心感は更に大きくなり、「この曲かっこいい!」とか「ああ、しびれた」といった効果が得られます。つまり、もっと納得がゆくわけです。 このように、如何に動物としての生得的な反応であるとしましても、音楽というのは音の変化を楽しむものですから、全てが整然と響き合うというものでもないわけです。そして、これは生物学的な反応を規準として発生した音楽の進化によるものであり、我々人間の知的欲求に従ってもたらされました。 ジャズの演奏では、7th(セブンス)を始め、9thや13thなどのテンション・コードが多用されます。周波数比がここまで複雑になりますと、それが人間の耳に美しく響いているとは言えません。ですが、我々はこれを適度な緊張感として楽しむことができます。生得的な反応として受け入れられないものを受け入れようとしますならば、それには学習というものが必要です。このため、ジャズは知的な音楽とされています。 ですから、もしCで終わらない曲があるとしますならば、このテンションと同様に、逆に不安定感を効果として使っているということになると思います。 では、世界中の音楽は、どうしてみんなCで始まったらCで終わるのでしょうか。 クラッシクの世界では元々このような手法が確立していましたが、「スリー・コード」という演奏スタイルはアメリカ黒人のブルースから自然発生したものです。これが自然発生であるということは、取りも直さずそれは、人間の動物としての生得的な反応と対応していたということです。つまり、それは誰が聴いても心地良いわけです。このため、この黒人のブルースはたちまち世界中に広がってゆき、あらゆる音楽の基本スタイルとなりました。そして現在、クラッシクと民族音楽を除くならば、ブルースの演奏スタイルを取り入れていない現代音楽は、世界中何処を探してもまずひとつもありません。 ジャズとはブルースから派生したものであり、ロックンロールはカントリー・ウェスンとリズム&ブルース(R&B)が融合したものです。ボサノバはラテンとジャズ、レゲエはジャマイカンとR&Bが融合したものであり、ビートルズはアメリカからブルースのレコードがイギリスに輸出されたことによって誕生しました。日本の歌謡曲はアメリカのジャズを受け入れ、現在のJポップに至ります。 このように、世界中のありとあらゆる音楽が黒人ブルースの演奏スタイルを取り入れています。つまり、Cで始まったらCで終わらなければ、世界中のひとが納得しないわけです。
お礼
ありがとうございます。 精読させて頂きました。噛み砕いて分かりやすく教えて頂き本当にありがとうございます。前から色々不思議だったことがわかるようになりました。 これほど丁寧に教えて頂き、なんとお礼を申し上げて良いやら…本当にありがとうございます。 私としましては、ありがとうポイントでしかお返しができませんが、どうぞこれでお許し下さいますようお願い申し上げます。 ありがとうございます。