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人間の動く仕組みの間違った見方による混乱

人間はどのように動くのだろうと気にしてしまい、変な風に人間の動く仕組みを誤解してしまったせいで動きがとれなく苦しんでしまっています。  私は「いいとか悪いというものでないこと(いったいなんなのかは分かりませんが)を観察し、それからそれがいいか悪いかを観察して、動いているんだ。」と思いました。 そしたら、その条件に合わないものが出てきてしまいました。 「~がいいときもある。」というのが、「~がいい」といいか悪いかを観察して「~ときがある。」といいとか悪いとかでなく観察しているので、私の条件と違うことから、私の条件が間違っているのじゃないかと悩んでしまいました。 それで、このわけの分からん混乱状態に入ったというとこです。 この問題をどのように解決すればいいのでしょうか?

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noname#24129
noname#24129
回答No.2

価値の判断を行動原理としている人物が、事実の判断をした場合、行動できないではないか!という困った状況なんですね。 事実の判断をしたとき、「『~がいいときもある』と判断するのがよい」とか、「『~がいいときもある』と判断するのがわるい」と、価値判断を加えればいいのではないですか(無意識になされているとは思いますが)。そしてその場合、価値判断は判断行為を促すが、その判断行為が終わると、もう内容にまでかかわってはいかないと考えたらいいのではないでしょうか。 行為の先か後かはよく分かりませんが、行為にともなう、価値判断には、無意識的なものがあると思われます。それを言語が明示的にしてくれるので、価値判断したと意識できるのでしょう。

spitzer3
質問者

補足

>価値の判断を行動原理としている人物が、事実の判断をした場合、行動できないではないか!という困った状況なんですね。 そうです。最後に「~がいいときもある。」といい悪いの事実を観察してなぜ動くんだということです。おかしいななぜ事実を観察して動けるのかなと悩んでしまっています。 >事実の判断をしたとき、「『~がいいときもある』と判断するのがよい」とか、「『~がいいときもある』と判断するのがわるい」と、価値判断を加えればいいのではないですか(無意識になされているとは思いますが)。 確かに人間は事実を判断したとき絶対に最後に言葉なしで「~はいい。」とか「~は悪い。」と判断して動きますね。 >「~がいいときもある。」とそしてその場合、価値判断は判断行為を促すが、その判断行為が終わると、もう内容にまでかかわってはいかないと考えたらいいのではないでしょうか。 それは言えていますね。

その他の回答 (1)

回答No.1

行動をする前に出来ることは、想像したり考えたりすること。 行おうとする行動がいいか悪いかについて考えることができます。 でも実際に行動してみるまでは考えたことが正しいか間違っているかは判りません。 行動をすればそれがよかったか悪かったかの評価をすることが可能になります。

spitzer3
質問者

補足

>行動をする前に出来ることは、想像したり考えたりすること。 想像したり考えることも行動だと思います。 >でも実際に行動してみるまでは考えたことが正しいか間違っているかは判りません。 いいと思って行動してみても問題にぶつかったりしますしね。 >行動をすればそれがよかったか悪かったかの評価をすることが可能になります。 確かに過去の行動が人間のいいとか悪いの経験になりますね。

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