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「戦闘の要諦は・・」で始まる文章についてご教示下さい
お世話になります。 以下はある作家の作品中に出てくる文章です。 「戦闘ノ要諦ハ火力ニ在リ。将校下士官ハ之ヲ座右ノ銘トシテ、徒ニ白兵ノ愚ヲ犯スベカラズ」 この文章は旧日本陸軍の教範の類(歩兵繰典あたりか)にあった文章を改変したものという記憶でいたのですが、web上では上記文章の元となるものを発見する事ができませんでした。 1.この文章のオリジナルはどのようなものか?もしくは当方の勘違いでこれが元々の文章であり、「改変」云々は当方の記憶違いなのか 2.1.の文章は何に記載されていたのか? 以上2点についてご存じの方いらっしゃいましたらご教示頂けると幸いです。 よろしくお願い申し上げます。
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出典が「歩兵操典」ということでしたが、文章の性格を考えるともしかして日本陸軍「作戦要務令」ではないかと思いました。 そこでたまたま手持ちの「作戦要務令」調べたのですが、その中にご質問の文言そのものが載っている条文はありませんでした。それに近い文言があるかといえば、日本陸軍作戦要務令第2部第1編「戦闘指揮」の第1章に「戦闘指揮の要則」というものがあり、その中の第10条から12条まで若干似通ってはいます。これは戦闘における指揮官の心構えともいうべきものですが、ご質問の後半部分がありません。 まだほかに日本陸軍作戦要務令第2部第2編「攻撃」の第2章「諸兵連合の運用及び協同」の中の第23条、第24条。そして第3章「陣地攻撃」の中の第135条と第139条にも近いものが載っていますが、致命的なことに「白兵戦の愚を犯さず」という文言がここにも入ってはいません。 もしかしてあなたの仰るように「歩兵操典」かもしれませんが、ただ私の浅学の言い訳ではありませんが、この文章が「作戦要務令」もしくは「歩兵操典」の中の一部だと前提した場合、個人的に二つの疑問点があります。 ひとつは「将校下士官」という部分です。 「陸軍作戦要務令」は確かに将軍から兵士までに対する、軍隊としての行動とそれに関する戦場での行動や平時での訓練演習等について天皇が定めた規程という立場の公文書ですが、これは主として少尉以上の指揮官のためのものでもあります。 ここに出てくる文言には「司令官」や「指揮官」、または「高級指揮官」などの言葉は見受けられても、「将校下士官」という表現はまず見ることはありません。 次に「白兵戦の愚」という言葉です。 これが一番奇異な感じを受ける言葉なんですが、つまり「陸軍作戦要務令」というものは、明治22年の「野外要務令」から変遷した大正3年の「陣中要務令」、そしてこれらを根幹とした昭和4年の「戦闘要務令」の2つを加味して出来あがった「作戦要務令」が昭和13年9月に制定され、「歩兵操典」はその翌年に制定されています。 何を言いたいかといえば、たしかに白兵戦は普通に考えれば意味のない戦闘行動です。日露戦争の203高地での甚大な被害や、第1次大戦でのヨーロッパでの戦いを経験、あるいは見聞した陸軍首脳部には軍全体の近代化が避けられないものという認識でまとまっていました。 しかし昭和12年に始まった日中戦争がその思想を揺らがせ始めました。中国戦線では戦闘能力や兵器で劣る中国軍には銃剣突撃、つまりは白兵戦が思いのほか有効でした。軍首脳は結局時代流れに逆行することを選びました。白兵戦に持ち込めばいかなる戦闘でも勝利を得られるという幻想を抱き、白兵戦こそ日本陸軍の本分だという金科玉条を強固なものにしたわけです。結局この幻想を抱いたまま太平洋戦争に突入した陸軍が、太平洋の島々で凄惨な姿を晒したのは周知の事実ですね。 とはいえ、このような時代背景のなかで制定された「作戦要務令」や「歩兵操典」に、白兵戦は愚の骨頂とでも取れるような文言を入れるはずがないということです。言い換えれば、他の軍部における公式文書にも、陸軍の戦術および用兵の根幹を成す白兵戦を批判する文言が入る余地はなかったということです。 ここからは私の個人的な推測ですが、この文言はたとえば海外での駐在武官時代を経験したり、先進の軍事思想を取り入れることの出来た青年将校が、将来の陸軍を案じた非公式な場での発言というものではなかったのではないだろうかということです。 この文章の出典がまだはっきりとしていないため確証はありませんが、硫黄島や沖縄での持久戦を選択した指揮官達をみれば、そのような思想の持ち主が陸軍部内に多くいたとしても不思議ではないかと思います。 解答にもならないことを長々と書いてしまいました。申し訳ありません。
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- KITAIKKI
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今晩は、KITIKKIです。 ようやく資料を探しあて解答をまとめたのですが、よくよく他の皆さんの解答を見れば、資料調べや歩兵操典の詳細がしっかり書いてあるので、はたと困ってしまいました。 このまま書いてもいたずらにあなたの目を患わせてしまうだけかもしれません。 とはいえ、お約束した以上重複を恐れず書かせていただくことにします。なんとかはしょれるものははしょりますので、なにとぞわがままをお許し下さい。 ではいざ(笑) A 明治時代から太平洋戦争集結までの、日本陸軍作戦要務令および歩兵操典の変遷について。 明治22年9月30日、陸達第142号によって野外要務令草案が起草される。 同24年12月12日、野外要務令制定。陸達第172号。 同40年10月19日、野外要務令改定。陸達第10号。 大正3年6月5日、陣中要務令制定。軍令陸第6号 第2部として同4年9月7日、秋期演習令制定。軍令陸第11号。 同13年3月29日、陸軍演習令制定。軍令陸第2号 大正13年8月6日、陣中要務令改定。軍令陸第8号 B 歩兵操典 明治4年、フランス式陸軍歩兵操典が取り入れられる。 同24年7月、1888年度版ドイツ式歩兵操典の翻訳という形で歩兵操典を改定。 同42年11月8日、歩兵操典改定。軍令陸第7号。 昭和3年1月25日、歩兵操典再改定。軍令陸第1号。 この間、大正15年5月17日、歩兵操典戦闘綱要が草案される。陸普第1967号。続いて昭和4年2月6日、戦闘綱要制定。軍令陸第1号。 昭和13年9月29日、以上のABを統合および取り込む形で作戦要務令およびその綱領、総則が制定される。 作戦要務令は4部からなり、このときは第1部第2部が制定され、その後昭和14年10月第3部が付加され、昭和15年3月作戦要務令が軍令陸第9号にて改定された時に第4部が付加される。 歩兵操典のドイツ式については、当時の師団がドイツ式であったためその運用規定もドイツ式が必要であったためとされています。またこの操典は日露戦争の経験を生かして編纂されており、その根幹思想は「攻撃重視」「火戦白兵戦による敵の殲滅」で、これらの思想は操典の綱領と第2部の戦闘の原則に色濃く表れており、それが戦闘綱要に取り込まれさらには作戦要務令の綱領の一部を構成している。 歩兵操典における「戦闘の法則」は、明治期は散ヘ兵線方式、第1次大戦終了後以降は疎開戦闘方式、そして昭和に入ってからは戦闘群戦闘方式と変遷を遂げています。日本陸軍において操典は単なる操練書ではなく、精神教育の経典として位置付られていました。 そして戦闘綱要が選定されるまでは、明治42年制定の歩兵操典第2部、「戦闘の原則」が諸兵種共通の戦闘原則として扱われていました。 また射撃や歩兵戦闘、徒歩教練などの教範と呼ばれる標準書は明治期、天皇が直接決済していたため(その後決済から単に承認するだけになっています)総じて典令範と呼ばれるようになり、これが兵が共通の思想と方法で活動するための基準書になったということです。 さらに、作戦要務令についてですが、この一段上に統帥要領がありました。これは軍司令官や高級指揮官のために作られたもので、攻勢、白兵、火力を重視し、なおかつ包囲殲滅戦、諸兵協同、精神力を重視しており、陸軍参謀総長の極秘訓令として司令部や各学校に配布されたということです。ちなみに表向きは強制力のないものとされていましたが、実際にはかなりの拘束力があったものと言われています。なんといっても参謀総長の訓令ですからね。 さて問題の(笑)「白兵戦の愚を犯さず」ですが、作戦要務令第2部第2編「攻撃」にこんな個所があります。 第139条 砲兵は熾盛なる火力を指向し(中略)歩兵もまた火力を最高度に発揚し、(中略)砲兵火力とあいまママちて敵を圧倒震駭し、(中略)極力敵に近迫し(中略)突入すべし。この際敵の手榴弾、毒煙等に会するも躊躇することなく突入するを要す。 第141条 敵陣地に突入せる歩兵は火戦を白兵戦とあわせて行い、死力を尽くして一意所命の目標に向かい突進すべし。 これを見る限りでは、やはり陸軍は白兵戦を最高の戦闘形式と認識しているとしか思えないですね。 でも139条にちょっと変な個所がありますよね。「この際敵の手榴弾、毒煙等に会するも躊躇することなく突入するを要す」という部分です。これを読んで、砲弾や銃弾はどうなってるの?って思いませんか。それで少しほかの部分を探したら、ありました。 当時の日本陸軍は突撃および突入の際には、敵の砲撃や銃撃はほとんど行われないと想定していたということです。敵陣の300m以内からの近距離突入ののち、敵陣を占領後は残敵を銃剣等の白兵戦で倒すという戦闘を最終段階としていたようです。ある程度は味方の砲撃や他の攻撃で敵を漸減させているとしても、ちょっとご都合主義的過ぎますよね。でも突撃の際、銃弾や砲弾が飛んでこないと訓練されているのなら、意外と銃剣突撃の命令もそれほど抵抗はなかったかもしれませんね。個人的には罪作りな教練をしていたものだとは思いますが…。 ともあれこれらを見ても、やはり「白兵の愚…」の文言はどこを探してもそれらしいものがないということが当然のように感じます。 本当に長くなりました。多分に舌足らずで満足いただけるかどうか気になるところですが、駄文を最後まで読んでくださってありがとうございました。
補足
詳細なる解説、誠に痛み入ります。 歩兵の行動様式(戦闘の法則)の変遷については各時代の流行・傾向を(程度は各文献を読まないと断定できませんが)把握して反映させていたことが分りました。 これにて締め切りますが、各文献を通読した後に改めてお礼をさせて頂きます。 ご尽力誠に有り難う御座いました。
- VFR
- ベストアンサー率25% (62/248)
もし自力でお調べになるのでしたら、防衛庁の防衛研究所史料閲覧室が一番です。 http://www.nids.go.jp/ あるいは神保町の文華堂書店。教範類なら常時その辺に転がってると思います。 http://jimbou.info/town/ab/ab0140.html 公刊された本なら都立図書館がお勧めです。 http://catalog.library.metro.tokyo.jp/
お礼
URL提示頂き有難うございます。 色々試させて頂きます。
- KITAIKKI
- ベストアンサー率55% (462/838)
ご丁寧なお礼文を頂きありがとうございました。 仮想戦記とは想像もしませんでした。でも回答の内容があながち的外れではなかったことにほっとしています(笑) さて日中戦争勃発後に制定され使用された教範類の名称等に関してのご質問ですが、多少の時間を頂ければなんとかご満足のいただける回答が出せるかと思います。 もしお時間に余裕があるのでしたらの話しですが…。 私もこれまでは兵器や戦術、それに個々の戦闘にばかり目を向けて、それなりの知識を積んでいたこともあり、今回のご質問はすごく勉強になり興味が涌いております。 新しい勉強のよいきっかけを作っていただき感謝しております。
お礼
本当に有難うございます。 こちらもアジア歴史資料センタ等にてキーワードに悩みながら、カナ混じり文と格闘して当該文の存在を確かめてみたいと思います。 しばらくは締め切らずにおりますので、よろしくお願い申し上げます。 (お手間を取らせて申し訳ありません)
- VFR
- ベストアンサー率25% (62/248)
質問者さんの文章が出てくるのはいわゆる仮想戦記ですね。 たしか日本が現実とは異なる歴史を歩み、日本軍のあり方も現実とは異なった姿であった設定であったと思います。 引用の文章も「戦闘ノ要訣ハ白兵ニ有リ」という文章をもじった物だと私も思いました。元ネタの文章をどこかで以前に読んだ記憶もあります。 (質問者さんと同じで自信はないですが) 歩兵繰典や作戦要務令が挙げられていますが、戦闘綱要とかも可能性があるかもしれません。 現実の日本陸軍においては火力重視の思想がなかったとは言えませんが、「白兵戦の愚ヲ犯スベカラズ」といった白兵戦否定の思想は絶対にありえないでしょう。
お礼
回答戴き有難うございます。 >いわゆる仮想戦記ですね。 ビンゴ!です。 >歩兵繰典や作戦要務令が挙げられていますが、戦闘綱要とかも可能性 情報有難うございます。「戦闘綱要」ちょっと探してみます。 >「白兵戦の愚ヲ犯スベカラズ」といった白兵戦否定の思想は絶対にありえないでしょう。 ええ、白兵万能の思想と同じ位白兵否定の思想はあり得ないと思います。 質問の動機の一端に「当該文章(「オリジナル」と私が勝手に呼んでいるもの)の前後を読んで、どのような流れで当該文が出るに至ったのか知りたい」というのがあります。 すみません。「お礼」というよりは「感想・雑感」になってしまいました。 改めてお礼申し上げます。
- komes
- ベストアンサー率29% (147/494)
旧軍時代、白兵戦を「愚」といいきる思想はなかったと思います。 作家の作品中との事ですから文章は文語ですが、創作の匂いがします。 これに近い思想はドイツ陸軍にあり、「攻撃とは前進する火網である」という定義があるとききました。 少なくとも旧軍時代「火力」至上主義は殆どなかったのではないかと思います。
お礼
回答頂き有難うございます。 >攻撃とは前進する火網 情報有難うございます。また一つ知識が増えました。 >旧軍時代、白兵戦を「愚」といいきる思想はなかったと思います。 同感です。もし、そうなれば歩兵の存在意義の少なからぬ部分を否定する事に成りかねませんから。
補足
すみません。「お礼」欄の記述「同感です。」の後に 旧軍が存在した或一時期において「白兵を愚とする思想」があったかもしれないが という一文を追加してお読み戴けると有り難いです。大変失礼致しました。
- yakyutuku
- ベストアンサー率14% (267/1890)
http://www.warbirds.jp/sudo/ ここに少しあります。ただ訓練に関する初歩的な部分が中心のようですから(目次見ただけですが)、戦略的考え方はなさそうです。
- 参考URL:
- http://www.warbirds.jp/sudo/
お礼
情報提供戴き有難うございます。 御提示頂いたURLは親URL("jp/"までのもの)は頻繁に見ているのですが、このサイトは知りませんでした。 残念ながら、当方の探している文章を発見する事はできませんでしたが、どうやら操典、要務令などの教範の初版から最終版を確認すべき対象としなければならない事がおぼろげながら分ってきました。 なかなか難物(当該文章がどんな形にせよ見つかればそこで終わりですが、見つからないから「無い」という証拠にはならない)ですが、気長に探していこうと思います。
- yakyutuku
- ベストアンサー率14% (267/1890)
まったくの推測ですが、歩兵操典より砲兵操典のほうがありそうですね。
お礼
タイトルに誤字があるにもかかわらず質問をご覧頂き回答を下さった事、感謝申し上げます。 はい、砲兵であれば「必要かつ充分な火力を目標地点へ迅速に投射すること」が正道だと思います。 何とか砲兵操典を見つける事ができれば良いのですが・・・
- imp-dsc
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質問についてですが・・・先に断っておきますが私は歩兵操典を読んだ事はありません。あるのは関連書籍と実際の戦争の進め方です。 1 これについては明らかな改変です。私の手元の本には「歩兵は軍の主兵(主力)にして諸兵種(その他の部隊・・・戦車や工兵)協同の核心となり、常に戦場における主要任務を負担し、最後の決を与えるものなり。」と引用されています。(完全引用はオトナの事情でキツイので少し変えていますが・・・) 2 上記を読む限りでは「戦闘ノ要諦ハ火力ニ在リ。将校下士官ハ之ヲ座右ノ銘トシテ、徒ニ白兵ノ愚ヲ犯スベカラズ」の文章は火力と白兵は立場が逆だと思われます。 ちなみに私が引用した本は 三野正洋 著 日本軍の小失敗の研究&続 日本軍の小失敗の研究 です。ヴィジュアルで実感したいのであれば28日から公開される父親達の星条旗と12月公開予定の硫黄島からの手紙が期待できます。パールハーバーは相当にアレな出来だったと聞いてますがこちらは期待できそうです。
お礼
回答頂き有難うございます。夜分遅くに恐縮です。 「火力」と「白兵」の立場が逆であるとの見解について、私も概ね同様の内容で記憶しておりました。 しかしながら、 1.単純に上記2つの単語を入れ替えて文を作成してみると何というか「単語のすわりが悪い」様な気がする事。 2.1.に関連するのですが、実は30年位前に回答者様の指摘と同内容の文章を読んだ記憶があるのですが単語が違っていたような気がする事。 上記2点から今回の質問に至った次第です。 以下質問文の訂正 本来私の不始末であることを当欄に書き込む事をお許し下さい。 タイトルおよび3行目 誤「戦闘の要諦」→正「戦闘の要訣」 5行目 誤「歩兵繰典」→正「歩兵操典」 でした。種々申し訳ありません。
補足
すみません。お礼欄に「回答者様の指摘と同内容の文章を読んだ記憶」と記しましたが、「回答者様提示の本を読んだことがある」という意味ではなく「類似した内容の書かれた本を読んだ事がある」という意味です。失礼致しました。
お礼
回答頂き有難うございます。また、文書の性格や購読対象などの種々の観点からのご指摘大変興味深く読ませて頂きました。 ただ、「回答者様を混乱させてしまったかな?」と思う事があります。 質問文中「戦闘ノ要訣~」については小説中の一文なので、オリジナルとは全く逆の内容でしかもオリジナルには入っていない文言が追加されている可能性があります。(同時にオリジナルと同趣旨で作者が単語を追加しただけ、という可能性もあります。) 回答者様のコメントを見て今までの私の知識を混ぜ合わせると、どうも「白兵ノ愚」については第一次大戦の戦訓を考慮した時期にのみ叫ばれたのではないか?言い換えれば日露戦争直後から一次大戦終結前後、および日中戦争勃発後には「白兵重視」の思想を文章化した時期があったのではないか?という気がしてまいりました。 以下にお尋ねしたいことを書こうと思いましたが、「お礼」欄の主旨に反しますので「回答への補足」欄に記述させて頂きます。今少しお付合い頂けると幸いです。ご面倒をお掛けし申し訳ありません。
補足
以下の件についてもしご存じでしたらご教示頂けないでしょうか。 日露戦争直後~第一次大戦終結前後、もしくは日中戦争勃発後に制定され使用された教範類の名称(昭和15年改訂歩兵操典はA.No.3様に教えて頂いたURLにて確認できました) 追記(ここまでの回答者様宛、ANo.4様場をお借りして申し訳ありません) 今更なのですが、当方質問にて「「戦闘ノ要訣云々」は作者がオリジナルを改変したものであろう」という前提でここまでの回答のコメントをしてきております。結果として「何でたらめ言ってんだ、おまえ(=質問者たる私)!」と思われる箇所があったかもしれません。もしそう解釈されたのであれば、お詫び申し上げます。