言葉の乱れ(誤用)か、時代の変化か
私の知人で、
「違かった」(「ちがかった」)
「きれかった」
という人がいます。それぞれ、
「違った」
「きれいだった」
の誤用だと思いますが、このような人はほかにもいるでしょうか。
また、言葉がこのように誤用されることから、「言葉が乱れる」現象が起きるのだと思いますが、間違った言葉を話す人が多くなれば、言葉が変わっていくものなのでしょうか?
別の例ですが、私は「たまご」は漢字では「卵」と書くのが正しく、「玉子」と書くのは間違いだと習いました(小学校のときの漢字字典にそう書いてありました)。従って、買い物に行って店先に「玉子」と書いてあったのを見て、子供心に「あれは本当は間違った書き方を大人がしているのだ」と思って見ていました。しかし、それは、そのときの文部省の学習指導要領にそう定められていただけで、時代が変わると「正しい漢字の書き方」も変わってしまうのでしょうか。
まとまりのない文章で済みませんが、国語の規則もそのときどきによって変わってしまうものなのか、変わらないものが存在するのか、できれば専門家の方のご意見を伺いたく、お願い致します。