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間に合って…ない!

このようなケースをたまに見ます。 ケース1 歩行者信号が点滅→走って横断歩道に侵入→赤になった(もうすぐなる)にも関わらず、渡りきる前に失速して、赤信号で悠々と残りわずかを渡る人(結局、右折車や左折車が曲がれる台数減少)(→『あ~間に合ったぁ』と言う) ケース2 車が来るが、走れば渡れそう→走る→渡りきる直前で歩く→結局車がブレーキを踏む(→『あ~間に合ったぁ』と言う) ケース3 電車が出発しそうで走る→車掌が気を利かせて、閉めるのを少し待つ→悠々と歩いて乗車(→『あ~間に合ったぁ』と言う) なぜ走っていたのに、ゴール直前で歩き出すのでしょう?

質問者が選んだベストアンサー

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  • bnosuke-x
  • ベストアンサー率39% (43/110)
回答No.1

自分の目的が達成される見込みになったので、間に合ったと判断しているのではないでしょうか。 横断歩道の場合は車道を渡りきっていなかろうが、車が来ていようが、残り数歩が達成地点。 電車の場合は待ってくれていることがわかった時が達成地点。 と、こういう事なのではないでしょうか。

mojitto
質問者

お礼

なるほど。 確かに『自分の』目的が達成されそうになると、気持ちは緩んでしまいますよね。 しかし『みんなの』目的も考えてほしいところですね。 ご回答、ありがとうございます

その他の回答 (3)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

まず、質問者さんは「間に合ってない」とおっしゃっていますが、実はどのシチュエーションも間に合っていますよね。 信号のやつでは車はブレーキをかけたり止まったりしてくれますよね。車にはねられたら「間に合ってない」のですが。電車のやつも乗り込むまでドアが開いていれば本人的に充分「間に合った」わけです。 さて、冬山の遭難者が山小屋の数十メートル手前で倒れていることはよくあるそうです。#2さんもおっしゃっていますが、ゴールが見えると本人の心は「もうゴールしてしまう」んです。私もマラソンをやりますからよくわかります。ゴールが見えてからが本当にツライんです。ゴールが見えるともう本人の心はゴールしてしまっているんですね。 昔の日本軍では敵にやられて漂流した水兵を助けたときに「もう大丈夫だ」とは絶対いわないそうです。そんなことをいうと本人が助かったと思って気が緩んで死んでしまうそうです。 だから、「貴様ぁ、帝国軍人が敵にやられるとは何事かぁ!」などとムチャクチャをいってぶん殴ったんだそうです。そうすると死なないそうです。今は、点滴があるからそんなムチャをしなくても助かるそうですが。

mojitto
質問者

お礼

回答の前半に関して、質問文に誤解を与えるような文章がありすいませんでした。 言いたかった事は、結果論として『間に合った』ではなく、相手が別段の気を遣わなくても『間に合った』ということです。 本人(走る人)的に『間に合った』かではないです。 そして、交差点の場合はドライバーやバスの乗客、電車の場合は車掌や乗客に迷惑をかけているのに、なぜ悠々と歩くかを質問しようと思いました。わかりにくくて、すいませんでした。 山小屋、水兵の例はとてもわかりやすかったです。 ありがとうございました。

回答No.3

危険が回避されたことを察知した途端に、本来、人間の持つ図々しさや、個人の存在の主張(歩行者として優先されるべきだとか、乗客なんだから待ってもらって当然だなどの)が頭をもたげてくるからではないでしょうか。 それに、最後まで走って渡りきったり、飛び乗りしたりするのは「格好悪い」ですからね・・・・・。

mojitto
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに「歩行者優先」という考え、私も持っています。 なるほどと思わされました。ありがとうございました

noname#118337
noname#118337
回答No.2

ゴールが見えたら気が緩むのは人間の心理だそうです。 マラソン選手でも、ゴールをゴールと思わず、ゴールの数メートル先をゴールとして走るそうです。 そうじゃなきゃ、失速しちゃうんですね。

mojitto
質問者

お礼

マラソン選手ですらそのような心理状態になるのですね。 横断歩道を渡る人も見習ってほしいところです。 ご回答ありがとうございました

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