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酒の功罪について
酒の功罪についてどのような考えをお持ちでしょうか? 飲む方もそうでない方も幅広くお聞かせください 一例として自分は、 功として、日常とは異なる気をもって世界を眺められる 罪として、自分を誤魔化す道具として使う こんなことも思います
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「酒の功罪」という時、個人にとってのそれしか思いつかないというのは、発想貧困とも云えますし、「酒」が何かよく分かっていないということになります。 人類とその文化にとって、酒というのは、非常に大きな貢献をしており、これがないと、人類の文化はかなりに貧困なものであったと言うことになります。基本的には「エチル・アルコール」成分ですが、酒と並んで、「植物性幻覚物質」というものも、文化に大きな影響を与えました。宗教や、世界観などのヴィジョンは、幻覚物質の存在が大きな前提になっています。また、幻覚物質やエチル・アルコールがどうして意味を持つかは、前者は、人間の大脳の神経伝達物質が、元々あるからです。幻覚物質というのは、この神経伝達物質とよく似た構造を持っていて、人間の思考とか認識の作用に変調(モデュレーション)を加え、世界・自己の認識に広がりを与えたということになります。 酒もまた、それに準じる訳で、人間の認識や気分などを、変調させる働きがあり、やたらに摂取して中毒にならない限り、経験の幅を広げ、意識というものの深さや広さを実感させ、また、人間関係のなかで、その機能を具体的に顕示させるのです。その結果、古来より、宗教や恋愛や社会的行事や、集団の儀式や、友人・知人との人間関係や、個人の生き方や、この世の生きる意味について、色々な次元で大きな「豊かなヴィジョンや可能性」を提供してきたのが酒です。酒は恋愛と並んで、人間の二つの大きな人生の楽しみの代表でもあるのです。酒と恋愛を除くと、文学も美術も芸術も内容が貧困になります。 人間の思考やイマジネーションを拡大し、人間関係を円滑にしたり、波乱を生じさせたり、色々な意味で、文化に大きな影響を持ったのが酒です。個人における生活や楽しみ悲しみにも、酒は不可欠な大きな意味を持ったとも云えます。 「禁酒」ということが出てくるのも、酒が大きな意味を持つからです。また、禁酒というのは、一種の生き方の指針で、これは、酒があるから出てくる指針で、なければ、そもそもこういう生き方のヴァリエーションもないのです。その意味で、酒を否定する考えにも酒は影響を与えており、文化を豊かにしているのです。芸術作品で酒と関係ないものは珍しいですし、生活のなかで、酒と密接に、またどこかで関連するものは無数にあります。 酒は、人間の文化を築く元になった物質の一つだとも云えます。喜びも悲しみも、怒りも平和も戦争も、争いも和解も、酒を前提にして生き生きしたものとなって来ます。 社会的文化的に酒が否定的意味を持ったこともありますが、肯定的意味を持った場合の方が、千倍・万倍も多いでしょう。ロシアのような酒飲み文化でも、大統領までアル中になっては流石に困りますが、酒があるが故の社会の平和や文化の成立があるのです。 個人的には、良い面が圧倒的に大きいでしょう。悲しみも喜びも酒と共に、受け止めることができれば、それは意味が増すでしょう。 ただ、酒は、本来「神聖なもの」で、神聖だからこそ、文化において大きな意味を持つのですが、この神聖さを侵犯するのが、無用な飲酒でしょう。程度を越す、度を超す飲酒は、時として、好ましくない結果をもたらすということです。「我を忘れる」というのも酒の良い面です。悪い面での効用と比較すれば、簡単に記憶を忘れることができず、心をどう宥めればよいか分からない困難な時、酒は、どれだけ人の慰めとなったか数知れないのです。 ただし、神聖な酒に、溺れて、精神を破綻させたり、身体を破綻させたりする例は多数あります。これは、酒が個人を助けてくれる度合いに比すれば、ごく少ない副作用なのですが、確かにあります。こういう面では、酒には「害」があるとも云えます。しかし、「功罪」ということを考えるなら、「害」はあまりに少ないとも云えるでしょう。 酒に「飲まれる人」は、酒でなくとも人生が破綻しますし(つまり、人間的に抑制がきかない人が酒に飲まれるとも言え、酒がなければ、別の所で、そういう人は破綻するとも実は云えるのです)、酒を飲んで身体を害する人や、他人に迷惑をかける人は、酒なしの場合でも、何か別の理由で、そういう害が起こります。酒を飲んで乱れて人に迷惑な人は、実は酒という解放弁があるので、少々の迷惑で済んでいるので、酒がないと、単なる迷惑でなく、精神が破綻したり、殺人を犯すとか、極端なことになる可能性が高いです。アル中になって自分の身体を壊す人は、酒がない場合、別のものに溺れて、やはり、身体なり精神を破綻させる可能性が高いのです。酒の形で、破綻が出てくるのは、もしかすれば、まだましなのかも知れません。 総合的に考えてみて、酒は、人類にとって、大きな「益」であったという答えしか出てきません。「功罪」という次元の発想が、すでに酒の意味を、矮小化しているというか、酒が人類にとって、文化にとって、個人やグループにとって、どんな意味を持つかの考察や、理解がないために、単純にこういう比較の発想が出てくるのでしょう。 宗教によっては、酒を「敵視」する教えがありますが、逆に、これは、酒がそれだけ大きな意味を持っているということなのです。「酒はほどほどに」というのが賢明な考えで、しかし、非常な時には、酒を多く飲むこともまた意味があるのです。(「自分をごまかす道具」としての酒も、貴重なものなのです。それが否定的結果をもたらす場合も、人と場合ではありますが、多くの場合、それによって人は救われていることがあるのです。そういう風に物事を多面的に見ることができるのも、酒の持つ効能かも知れません)。
お礼
五回読ませてもらいました 一回目に、失礼なこと言うなと思いながら、中学生の分際でコップ一杯のラム酒を飲みゲーゲー吐いてぶっ倒れた時のことを回想してしまいました 二回目に、思わずデュオニュソスの神話を調べてカンニングしました 三回目は、まてよとワインを取りに入ってから読みました 贅沢な気分で美味しく飲めました 四回目は、問いと答えの弁証法的展開に哲学的考察とはこういうものかと、深みと広がりそして纏まりを味わいました 五回目に、そろそろお礼を書かなくては、と思って心を静め読みました 一方的に断じられてしまった感のある、自分の考察の浅さについては何も言うまいと思いました 僕はつまらないと思った質問でも、これはと感じる事柄に対して真摯に語れる人間が好きです 多くの人にこの考察を読み取ってもらいたいと思っています これからの貴方、そして世界に乾杯! 回答ありがとうございました