簡単に書かせてもらいます。
人の死に際して酒食を行うのは日本では古くから行われていたことです。「日本書紀」や「古事記」にも、八日八晩もの間行われる「宴楽(えらぎあそび)」などの記述があります。死体を前にして酒食や歌舞がくりひろげられたわけです。
先のご回答にスサノヲの例が引かれていましたが、むしろわかりやすいのは天ノ岩戸に隠れてしまったアマテラスを誘い出すために、その前で歌舞音曲や酒食のどんちゃん騒ぎが繰り広げられたことのほうでしょう。(ここでは立ち入りませんが、これを根拠に通夜の酒食や色々な行為は「死者の魂を呼び戻すための蘇生呪術であった」とする学説もあります)
見解の多少分かれるところではありますが、私はこのような酒食は死者の魂を慰めるため、つまり暴れ出さないよう鎮めるための鎮魂儀礼であったろうと考えます。その背景にあったのが、死者の霊というものは適切な対応を怠ると「荒魂(あれみたま)」となって様々な災厄をもたらすことになる、という古代の感覚です。
歌舞もそうですが、酒を飲んで大声をあげるなど賑やかにすることは、魂が亡骸から遊離していこうとするのを防ごうとする一種の呪術であったわけです。古代には亡骸の近くで舞いを踊る「遊女(あそびめ)」などという専門職があったことが知られていますが、総じて「遊び」というものは宗教的な意味合いを持つものでした。広くは酒食もこの「遊び」に位置付けられるものだったわけです。
一方、後代になって、このように霊魂を畏怖する感覚が薄れても酒食の伝統は絶えませんでしたが、これにはいくつか理由があります。
ひとつは、酒つまり米の霊力によって死がもたらす「ケガレ」(これは複雑な概念ですがやはりここでは深入りしません)を遠ざけるという意識が働いたことです。柳田国男という民俗学者の説以来、米の霊力という言葉がすっかり定着しましたが、要するに日本では米を生命力の源泉、命の象徴と見たてた色々な儀礼が数多く行われてきました。
特に生命力との対極である「死」に直面する葬送儀礼には、米や酒を大量に摂取する儀礼が残っています。例えばかつての土葬の時代、穴掘り役のムラ人はたとえ下戸であろうと一定のやり方で酒を飲むことが義務となっていましたし、死人が出たことを触れに回る役の者は事前に酒や飯をとる儀礼を行ったなど、たくさんの例があります。
恐らく米の生命力を取り込むことで「ケガレ」を寄せつけないようにしよう、という意識が働いたのでしょう。まだ葬儀を済ませていない「生ボトケ」と夜伽をしなければいけない通夜でも、当然この意識が当然あったことは否定できないと思います。
2つ目に、「鎮魂」という通夜の酒食の意義が、だんだんと「もてなし」と読みかえられるようになったことです。生前の故人と縁をもった友人が多く訪れればそれはとりもなおさず「鎮魂」につながりますから、家人としては彼らに遺体のそばで長居をして欲しいと思ってもてなしをするのは当然といえます。
加えて、仏教の唱導が行き届いてからは、この「もてなし」がさらに「布施」と読みかえられるようになりました。「布施」というのは本来「広く施す」ということで、所有欲を離れ我を小さくしようとする仏行です。故人が生前に貯め、はからずも残した財物を、酒や料理という形に替え、できるだけ多くの人に消費つまり食べてもらうという布施を行うことが、故人の我を小さくして宗教的な罪を軽くする滅罪になる、と強く信仰されたのです。
江戸時代以降、通夜や葬儀の折に小銭やおにぎり、酒樽などを準備しておき、門口で訪れてくる乞食たちにまでふるまいをするのが常識となった地域すらあります。
いずれにせよ、通夜での酒食は意味合いの重心を少しずつ変えながらも、極めて長い間日本人の伝統であり続けました。このような意味合いを別段理解しないといけないとは思いませんが、少なくとも無知によってこれを否定することだけは避けたいと思います。
お礼
とても丁寧な回答どうも有難うございました。意味あいの移り変わりがとてもよく理解できました。もともとは「鎮魂」という意味があったということはとても驚きです。普段気にしないようなことでも、元をたどっていくと大きな意味があるんだなと感動しました。 >>このような意味合いを別段理解しないといけないとは思いませんが、少なくとも無知によってこれを否定することだけは避けたいと思います。 本当にそう思います。文化に対し合理的に判断し優越をつけることは出来ないと思います。どうも有難うございました。