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「フォレスト・カーター著の“リトル・トリー”は偽書である」説は?
私は英語のテキストでフォレスト・カーター著の“リトル・トリー”の一節を読み,心魅かれ,通読して感動したものです。折に触れ人にも勧めてきました。今日,ネット上で「フォレスト・カーター著の“リトル・トリー”は偽書である」という記述を見て,びっくり仰天です。 「著者がKKKの最高幹部であった云々」「その彼ら(先住民)が『リトル・トリー』を白人による新たな侵略として位置づけている」等とかかれてあります。どなたかこの件に関してくわしい。 http://www.aritearu.com/Influence/Native/Nativebook/Biography.htm
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- kigurumi
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>でも,この本も“Nasdijj”という著者の本も何でそんなに大勢の人を >感動されることが出来たのでしょうか?心は不純でも,飛び切りの >「もの書き」の才能に恵まれていたのでしょうか?不思議でなりません。 これは本人に聞いてみないとわかりません。 たぐい稀な文才なので、白人至上の物語で人を感動させることは十分できたはずです。 しかし、わざと差別してきた対象の人種を主人公に選んだ。 推測の域を出ませんが、<欺瞞>というものについて考えた末に書いたのではないかということです。 つまり、白人至上主義も所詮欺瞞であったと気づいたからではないでしょうか。 人を言葉で簡単にどうにでもできてしまう。 人は表面にあるものを本質だと思う。 つまり表面をどう装いかで、その人の価値は決まってしまう。 逆にいえば、他人が塗り替えたものを、本人の色だと思い込める。 騙せる。 どんなものにでも簡単に塗り替え、それをその人の本質だと決定することができる。 価値とは誰が決めるのか。 他人です。 自分ではなく他人の色づけで、自分の価値はどうにでも決まってしまう。 本人がいくら違うと言っても無駄です。 決定するのは自分以外の他人。 どんなにあがいても価値を決めるのは、他人なのです。 その証拠として物語を書いたのではないかなと思います。
- kigurumi
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http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_1e0d.html http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_da23.html http://www.kifakcava.com/study/archives/2006/03/post_118.html 【作品の内容と作者の人格どちらを優先するべきか!?】 >その彼ら(先住民)が『リトル・トリー』を白人による新たな侵略として位置づけている」 http://native.way-nifty.com/native_heart/2006/01/post_20d0.html 別の人の作品も高い評価がされていて、その時のエピソード。 【ネイティブ・アメリカンの作家の新世代として高く評価されるスポケーン・トライブ出身のシャーマン・アレクシーだが、彼は非常に早い時期に「Nasdijj」の書くものが彼の作品からの盗作であるらしいことに気がついていた。 シャーマン・アレクシーは今年の1月29日のTIMEマガジンのアメリカ版に「Nasdijj」についての短いけれど的確な内容の記事(「盗まれた話が自分のものだったとき——偉大なネイティブ・アメリカンの回顧録ともてはやされた本の著者にはイカサマの香り」)を提供しているが、その中で彼はこう書いた。 「ネイティブ・アメリカンの作家のひとりとして、また、マルチカルチャーのなかで育った人間として、わたしが心配したのは、このNasdijjなる人物が、文才のある怒れる白人として、 多文化で育つものたちを嘲笑う目的で自らをネイティブ・アメリカンになりすましているのではないか ということだった。いつか自分のなりすましが白日のもとにさらされたとき、彼が 『な、みんなもこれでわかったろう、多文化のなかで育つなんてことはリアルでも、特別でもないんだ。こんなものは誰にでも書けるんだぜ』 と大声で主張しないともかぎらないではないか」 結局 白人至上主義という強烈な信念を持っていたフォレストが、どうしてリトル・トリーを作り出せたのかが謎なんですよね。 何の目的があったのか、はっきりとしないので、余計にチェロキー族に疑いを持たれて、結局 感動させたその分だけ、何をたくらんでいたのか という疑惑が強くなってしまう。 酒に溺れて金に困っていたのか、もっと戦略的な意味があったのか。 <マジソン郡の橋>の作者がプラトニックラヴどころか、何人も愛人がいたというのが暴露されたとて、対して作品に汚点がつきませんが、人種問題がらみで、しかも強烈で過激な人種差別の支部リーダーだった人が弾圧してきた人種を主人公に感動物語として書いたとなれば、侵略だと警戒されても当然だと思います。 しかし、作者がどういう目的で書いたのかは私は知りません。
補足
言われていることが大体理解できました。でも,この本も“Nasdijj”という著者の本も何でそんなに大勢の人を感動されることが出来たのでしょうか?心は不純でも,飛び切りの「もの書き」の才能に恵まれていたのでしょうか?不思議でなりません。