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「進化」という訳語を使ったのは加藤弘之ですか?
"evolution"という英単語に「進化」という訳語をつけた最初の日本人は 誰ですか?いろいろ調べますと明治時代初期に結成された知識人階級の 組織である明六社(森有礼、福沢諭吉などが入っていた)に属していた 人、恐らく加藤弘之ではないかと思うのですが、確認できません。 ご教示いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。
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よく分からないです。国語辞書には、例えば、次のページが参照しているように: >http://www.geocities.co.jp/MotorCity/8411/sinnkaron.htm >しんかろん(シンクヮ‥)evolution >(英evolution theoryの加藤弘之による訳語) となっていますが、以下のページでは: >加藤弘之年譜 >http://www.kisc.meiji.ac.jp/~wonomasa/data02.htm >1894(明治27) 2.『道徳法律之進歩』刊行 >1900(明治33) 4.『道徳法律進化の理』刊行 この二冊は、同じ本(または同趣旨の本)だと思えます。すると、明治27年の時点では、まだ「進化」ではなく、「進歩」と言っていたことになります。明治33年には「進化」になったのです。 しかし、以下のページでは: >神原文庫にある明治初期の進化論書3冊 >http://www.lib.kagawa-u.ac.jp/kanbara/sinka/sinkabun.html >じつは,明治初期の進化論の本として一番早く出版されたのは明治12(1879)年のハックスレー著『生物原始論』(伊澤修二訳)である……(中略)……明治22(1889)年に伊澤は再び『進化原論』として出版した。 こう出ていて、伊澤修二が、明治22年(1889年)に、この訳語を使って、本を翻訳し直しています。1894年に加藤弘之は、おそらく原語に evolution を念頭していたと思える.『道徳法律之進歩』を刊行し、「進歩」としていますから、伊澤修二が、先に、evolution の訳語で、「進化」を使っているように見えます。しかし、詳細は、もっと細かい所にあるのかも知れません。ただ、社会学者加藤弘之が、「進歩」という訳語を使っていた時、生物学者伊澤修二が「進化」を使っていたとすると、伊澤の訳語の方が早いということになり、加藤が、自分で「進化」という訳語を造ったのなら、何故、自分の刊行本に最初「進歩」を使い、次に「進化」にしたのか、またそれ以降「進化」を使ったのか分からなくなります。 仲間内の話で、加藤が、evolution を「進化」と訳していて、それを、伊澤が直接か間接か援用したのだとすると、加藤がオリジナルということになります。 ……明治20(1887)年5月に、中江兆民が『三酔人経綸問答』を出しており、このなかに、 >……長大と成りて彼の恢復的の民権と肩を並ぶるに至るは,正に進化の理なり。 とあるようで、すでに「進化」が使われています。 先の年譜では: >1879(明治12) 11.「天賦人権ナキノ説并善悪ノ別天然ニアラザルノ説」を講演し(於、芝青松寺)、進化論により天賦人権説を否定 とあって、加藤が『進化論』を訳した訳ではないようですが、1879年には、evolution は知っていたようです。しかし、では何故、「進歩」から「進化」に変わったのか、よく分かりません。
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『日本国語大辞典』第2版には、おおよそ次のように書かれています。 ■「進化」は、ダーウィン進化論を日本に紹介した加藤弘之の造語であると考えられる。 ■しかし、早い用例は加藤が主宰した東京大学の紀要雑誌「学芸志林」に発表された東大学生の翻訳論文「宗教理学不相矛盾」(1878)などに見られる。 ■その後、井上哲次郎ら編「哲学字彙」(1881)に evolution の訳語として収録されたが、このときは同時に「化醇」などとも訳されている。 ■加藤の「人権新説」(1882)の出版後に進化論への関心が高まり、「進化」の語が一般に浸透した。 以上によれば、加藤の造語でそれを教え子などが早くから用いたか、逆に学生が考えた訳語を加藤がパクったか、どちらかということになりそうですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。大変助かりました。出張のためお返事が遅れましたことお詫び申し上げます。
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