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チャクラを開くには?
チャクラを開くと人生が変化しますか? どうすればチャクラを開くことができますか? やさしく教えてください。
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書籍を何冊か紹介させて頂きましたが、参考になれば、と思いもう一冊だけ紹介させてください。 もしかしたら、チャクラを開くための究極の本と言えるかもしれません。 「プレアデス+かく語りき」 バーバラ・マーシニアック著 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4884693787.html この本の特殊なところは、本自体に波動が込められているところです。 その波動が読者のエネルギーに影響を与えます。 意識、認識が変わり、場合によっては尾てい骨のチャクラのクンダリニーエネルギーが活性化されます。 クンダリニー(尾てい骨)から背骨を伝って立ち上るような波状のエネルギーの流れを何度も体験し(つまり、チャクラが開かれた状態)それをきっかけとして、他のチャクラ(へそ下、みぞおち、心臓、のど、眉間、頭丁のチャクラ)が少しずつ開かれていった過程を知っています。 特に危険なことはなにもありません。 ただ読むだけですから、認識が到達している分だけエネルギーが影響を受けるだけなので、全く無理がないから、危険なぞ起こりえないのです。 その代わり、認識が到達していなければ、読むに耐えないかもしれません。 それに、文字そのものより、込められている波動のほうが重要です。 文字を読むことによって、波動が流れ込んできます。 常日頃、波動(感情のエネルギー)に対して意識を持っている人ならば、読めば直ぐにこの本の特殊性に気付くと思います。 鍵は、他者に対する、地球に対する「慈愛」であり、「奉仕」であり、そのために、為すべき自分の使命、又は役割を意識して決意することだと思います。 平たくいえば、人に役立つ愛情深い人になることに生き甲斐と価値を見出して、それを実践することによって、自分の他者に対する愛を高めることが、チャクラを開くための大きな鍵になるということです。(人格の向上です) その愛の向上によって、人生感、宇宙観が変わり、体のエネルギーの流れが活性化し、チャクラが元気になります。 誰でもそうなるかどうかはわかりませんが、この本に興味をもって引き付けられる人は、そうなる可能性が非常に高いです。 何人もの体験例を知っています。 あまり一般向きの本では無いかもしれませんが、参考になる方もいらっしゃるかと思い、紹介させて頂きました。 参考になれば、幸いでございます。
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- 3980
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まだ締め切ってなかったんですね。 私からのアドバイスは 本を読んで知識を蓄えてもチャクラは開きません。 本に書いてあることが真実であり自分にあった方法であれば実践することにより開きます。 仏教も同じです。 仏典を読みなるほど~と思っても生き方に反映されることがなければただの知識です。 仏典から学ぶこともとても大切ですが仏教徒として生きていればやがて仏典と同じ結論にたどりつくこともあります。 チャクラもすべての本を読まなくてもやがては自分で本が書けるだけの知識や体験が出てきます。 知識の上に実践があり体験となるのです。 正しい情報か偽物かは次第にわかってくると思います。 チャクラを開いていく中で注意することをいくつか書いておきます。 ・超能力を謳った本にチャクラのことが書かれていることが多くあります。 効能などは無視してください。目の毒です(笑 ・チャクラを開発する時は必ず下位のものから。 土台を築いてから建物を立てないと不安定で危険なのと一緒です。 上から開くこともできますが根のない木は風が吹けば倒れますしとても弱いです。 エネルギーがうまく循環できずに迷走する原因にもなります。 木が根から水分を吸うように大地からエネルギーを上に上げていくイメージはとても重要です。 ・一つ一つの過程に課題があります。 自分自信に準備ができていない状態で次から次へと開くと不安定になる場合があります。 焦らずに着実に訓練することが大切です。 前述の気功整体の先生がチャクラを見通す力があり最初に診ていただいた時には全てのチャクラが開いてたそうです。 そのときは瞑想もなにもしていませんでした。チャクラって何??の状態です。 その後、いろいろなことがありチャクラも全て閉じてしまいました。 一番の原因は「怒り」の感情。 全てのチャクラに共通するものは「愛」 怒りの感情が対極に位置しているようです。 チャクラが開いてもそれは登山口にたどり着いただけです。 高みを目指し頂上を極めたと思ってもそれは幻です。 更に高いところは霞にかかっていて見えないものです。 尾根伝いに更に高い山を登るにしても一度下らなければなりません。 これはやってみればわかります。 もっと多くのことを伝えておきたいのですが、ここには書けないことがあります。 まずは本を読み実践してください。
お礼
もう締め切ろうかとも思っていたのですが、 先生方が、次々と興味深いお話をしてくださるので、 なかなか締め切る事ができません。 皆様の御意見を参考に、注意深く下位のチャクラから順に開いていこうと思います。
- ojizou-sam
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再度の35です。 頭が悪いなんてことはないです。 だって、普通の人はこんなこと考えないでしょうから・・・(苦笑) で、人差し指の例は考えてくれたでしょうか? 頭の中で、切り取ってみてください。 私が言っているのは「実体は無い」ということです。 もし「人差し指という実体が在る」というのであれば、人差し指だけを切り取れるハズなんです。 ヘソもそうだし、耳もそうだし、鼻もそうです。 これらに「実体が在る」のであれば、それだけを切り離すことが出来るハズなんです。 それらに実体があるのであれば、なるほど、集中する価値があるかも知れません。 ところが皮膚も、血管も、筋肉も、全ては繋がっているのであって、「ここから、ここまでが鼻であり、耳であり、人差し指である」という境界は無いんです。 つまり「個々の実体は無い」んです。 全ては繋がっていて「みんなで一つ」なんです。 これが実相です。 「日本」もそうです。 日本中探し回っても「これこそが日本だ」という実体は存在しません。 「鈴木さん」も「田中さん」そうです。 全てがこの理屈です。 これは普遍の真理です。 しかし、もちろん、耳も鼻も舌も足も・・特有の感覚はちゃんとあります。 それは意識を向けたときだけに存在するんです。 「認識」の中だけに存在するんです。 (ここは難しいかも知れませんが、当たり前のことを言っているだけです) だって、普段、テレビに夢中になっているときには、人差し指、耳、鼻・・・に対する認識はおろそかになっていますよね。そういうときは無いんです。ところが、認識を向けたときは存在するでしょ。怪我なんかしたときには、一日中、人差し指がその存在を主張しますよね。 「認識を向けたとき」とは「心が向いたとき」です。 実体はないけれど、認識は存在するんです。 チャクラというのも、これをおんなじなんです。 あくまでも心が向いたときだけに存在するんです。 それは、どんなときか?というと(此処からが大切なところです)、テレビや、仕事や、ラジオや、異性や、悩み事や、・・・いろんな執着から心が解放され、心が休まり、安らいで、静まり返り、感覚が鋭敏になったときに、その存在を感じられると言っているんです。 確かに、人差し指を感じるよりは難しいでしょうが、感覚が鋭敏になれば、感じられるんです。 でも、ここで間違ってはいけないのは、一番、大切なのは、心が静まり、休まり、安らぐことなんです。 いろいろなものの執着から解放されて、心が束縛から解放され、自由になることこそが、一番、大切なのであって、「感覚」はオマケみたいなものなんです。 幸福とは、なんでしょうか? 幸福とは、安定ではないでしょうか? 安定、つまり、安らぎこそが幸福ではないでしょうか? チャクラが目的ではありません。 安定、安らぎが目的です。
お礼
解りやすくご説明頂き、ありがとうございます。 少し理解できたように思います。 確かにそうですね。 目的は心の平安です。涅槃というのでしょうか? 私の心の中には、ごちゃごちゃとした不要なものが一杯あるようです。
- tokytime
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No.36です。 訂正があります。 (誤)NASA(語ダート・スペース・フライト・センター) (正)NASA(ゴダート・スペース・フライト・センター) 以上です
- tokytime
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チャクラを知るための良い本といえば、 バーバラ・アン・ブレナンの「光の手」上下 があります。 ブレナンは、アメリカの著名なヒーラーでありサラピストであり科学者でもあります。 米・ウィスコンシン大学で、大気物理学の修士号を得た後、NASA(語ダート・スペース・フライト・センター) に勤務。 長年、人間の体を包むエネルギー(オーラ)やチャクラ を研究。 それが実際の肉体上の病気と大きく関わっていることを発見し、独自の病気治療のシステムを確立した人です。 米国・国立衛生研究所の「エネルギー構造療法」の副委員長を務めています。 この本は彼女の長年の研究成果を分かりやすくまとめたもので、チャクラやオーラについて知りたい人にとって最適書です。 彼女いわく 「私たちは、自らを取り囲むエネルギーの海に浮かぶスポンジのようなものです。」 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4309250718.html http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4309250726.html 参考になれば幸いです。
お礼
チャクラを研究している科学者がおられるのですか。 参考にさせていただきます。 回答、ありがとうございました。
- ojizou-sam
- ベストアンサー率30% (12/39)
まず結論からいうとチャクラは存在しますが、そんなものはありません。 無いモノを追い求める、迷妄の奴隷になっていては人生は改悪することはあっても、改善されることは絶対にありません。 たとえば「人差し指を切り取ってください」という宿題を出されました。 人差し指をよくみてください。 此処から此処までが人差し指であるという境界があるでしょうか? 皮膚も、血管も、筋肉も、骨も、・・全ては繋がっていて、これが人差し指だという境界はありません。ただし、もちろん人差し指だという感覚はあります。無いけど在るんです。 チャクラもおんなじです。 精神統一して、全身を気を抜くことなく、観じてみるんです。 人差し指には人差し指独特の感覚があります。 小指には、小指独特の感覚があります。 足にも独特の感覚があります。 ・・こうやって感じるのは心が静まっているからこそ出来ることなんです。 だってヒステリックに昂奮している間は、自分の手足の感覚さえわからないでしょ。 坐禅のようにジッとして精神統一するからこそわかる感覚なんです。 で、これがもっと深くなれば、感覚が鋭敏になって、気のとおる経絡とか、内分泌系に該当するといわれるチャクラと言われる部分の感覚もわかるようになってくるんです。 ただ、それだけのことです。 人差し指を感じるのが、ちょっと深くなっただけの話です。 チャクラがあろうが、なかろうが、そんなことは関係ないんです。 大切なのは、それくらい精神統一して、心を静めることなんです。 つまり「心を安定させること」なんです。 心が安定すれば人生に変化がでます。 心が不安定になれば改悪ですが、安定すれば改善になります。 大切なのは、呼吸を整え、想いを鎮めることなんです。 チャクラが開くとか、そんなことは関係ありません。 人差し指が開くとか言っているようなものです。 坐禅、もしくはヴィパッサナー瞑想という仏教瞑想をやってみてください。
お礼
「チャクラは存在するが、そんなものはない」 私の理解できる範囲を超えた回答でございます。 もう少し、解りやすくお教えいただければ幸いです。 (頭が悪くて恐縮です。)
23様のインド談義に関連して面白い聖者?の話を思い出しました。これはある人がインドに行かれた時の話ですが、後にその方からお聞きしたものです。 「なんでも水上を歩く聖者がいるそうです。今日はその聖者が、プールで実演するので行ってみましょう」 ということで、早速プールに行ってみると、なんとそこには大臣など政府のお偉方が(首相もいたとか言ってたような)・・・うーんインドだ。 逃亡もせず、「聖者」もちゃんと来ています。そして実演。 ブクブクブク。 ブクブクブク。 激しく沈む「聖者」・・・・泳げない可能性もある。 それでおしまい(-_-) ほんとにこの人歩いたことあるのかなぁ^^ でも政府重鎮が来るってあたりがすごいですね。ヒマ人かっ!と突っ込んでしまうのは私だけではないでしょう。
お礼
言い訳をせず、堂々とやって見せるところが「聖者」ですね。
チャクラと関係ないかもしれませんが、 「パッカーンッと開いてる人」は何人も見ました。 パッパカパーン♪な人です(意味不明)。 よくウケると自分の手を打ったり 人を叩いたり(大阪は多いです;)する人がいますが、 地面を叩いたり壁を叩いて嬉しがる人もいます(それは私もである) 営業中なのにショーケースの上で昼寝する店員や 死体安置所のドアを開けっぱなしにして 死体と一緒に安らかに眠る(?)病院の護衛さん(涼しいからだろう…)。 話が止められなくて 人のトイレの中まで入り「あら、気にしないでよ友達だから」 というほがらか美人。 エスカレーターの手すりにしっかり掴まり過ぎて まるで手すりに引きずられるように 足を宙でバタバタさせながら上昇しているおばちゃん。 タイ人の日常です。 インド人はいつでもチップが貰えるように ホテルでもそっと一人にしておいてくれません。 ありがとうございます。たのしいです。笑えました。 全部実話です。 「笑う」と目や口は全開になります。 笑う事は全てを受容しつつある状態なのです。 赤ちゃんが笑うのはサービス精神ではなく 自分の機嫌の良さと 宇宙(分断されている世界を知らないので)にも交信して ありのままの自分を喜ばれている感覚と共に 全てを確認したのです。
お礼
楽しいお話を、ありがとうございました。 でも、私が知りたいチャクラとは違うカテゴリーのチャクラのようですね。
独壇場にしてしまい申し訳ないです。 しかし今更取り繕いもありませんので・・・。 >全ての事柄の真偽を検証しながらの信仰というのは大変ですね。 たしかにこちらでも↓、そのように説明されています。 http://www.j-theravada.net/kogi/kogi12.html 本に書いてあった、聞いた、○○が言っていた・・とこんな理由では信じないで、自分で確認しなさいと書いています。 しかし、厳密に言えば、「すべてのこと」と言っても、世界の裏側の誰かが言っていることの真偽の調査をするようなことではありません。あくまでも、自分の体験できること、自分の見たことの範囲に於いて、それが事実かどうか調査しなさい、と仏教は教えています。 あくまでも自分が観察の対象です。 そして、たとえばブッダの教えのある部分を実際にやってみてその通りだと思ったら、自分にとってはその通りだという認識が生じるでしょう。ですが、それが万人にとっても、その通りかは分かりませんから、言えるのは、私にとってはその通りでした、ということだけです。確認したい方はご自分でどうぞ、ということでしょう。 確認できないことも当然あります。その場合は、知らない、知らないけれども他の部分で○○を信じているのでそれもそうではないかと思う、ということで良いわけです。別に、その真偽を無理に出す必要はありません。まして、確認もしていないことを人に断定して吹聴することではありませんし、ホントは知らないことですから吹聴もできません。 あくまでも自分が観察の対象です。 ですから、去年勉強されたという般若心経でも、眼鼻耳舌身などの感覚器官について出てきますね。仏教の基本観察対象はあくまでも自分と自分の心の動きだから、その心の動きに関わる感覚器官への観察が重要視されているわけです。他の人が言うことが真偽かどうかではなく、自分にとってどうか、とうことの方が重大とされます。 このあたりのことに関しては、くだんのHPをよく読んでみてください。観察対象はあくまでも自分であることがよく分かると思います。 その姿勢を徹底するのであれば、余計な知識はいりませんね。ただこれを徹底できる人が少ないので、たくさんの本が出版されて情報が氾濫し、とにかく出てきた情報を無批判に出し入れする状況になっているのでしょう。今更言ってもあれですが、私も必要ないのであれば、本来余計なものである知識を披露してお手を煩わすことは趣味ではありませんよ^^
なお、元始天尊の教えは、冗句で書いたものです。半分本気ぽく書きましたけどね。 消されてしまいましたね。冗談が通じない管理者。 本を読むということが、どういうことか、質問者様や閲覧者に言いたかったのですけどね。 分かる人には分かるし、分からない人には分からないことですので、あぁいう言い方にしたわけです。
大事な部分まで消えてしまったので(消えるのは予測してましたが)、しっかりまとめておきます。 1,チャクラが開いて超能力がついたという「自己申告」はたくさんある。ただし、ほとんどの場合、「自己申告」であることに注意。和から内部分や肯定的に採ることが可能な部分もありますが、客観視できるほどの力はないことだけは確実に言えます。 2,一年間ものを食わない人などもいますが(もちろん側で見てるわけではないですが)、彼も病気になれば入院し、そのまま死んでしまいました。つまり能力の実在は多少あるにしても、大部分で「普通」の人です。生老病死の人間生活の大部分で、普通の人を越えていることはありません。 2,歴史的に昔の宗教家に超能力があったなどということは、全く証明性のないことです。というのはこういったことは信者の書いた聖典にしか載っていないから。見てないことだから。また、現在能力があると自己申告する者でも、伝説にあるようには、誰も自分でやってみせないから。 信仰としては成り立ちます。オウム事件があったときに信者は拘置所から麻原が空中を飛んで戻ってくると本気で信じていました。人の幻想はそんなものです。 サイババなら飛べた、とか思って探し続ける人もいるのでしょうが、今のところ飛んでいる人を第三者が見たことはない(つまり大多数にとって未確認のこと、無関係のこと)。 3,チャクラを開くと言われるヨーガにはいくつか種類があり、健康効果があがるものはあると思います。また血圧などは、簡単に下がります。ただこういったことも、誰もがやればよいというのは違います。変に神経質になることはないですが、呼吸の操作を伴いますのである種の病気の方は注意しろと聞きます。過剰な期待ではなく、一般には予防医学として捉えるのが良いのではないかと思います。 安易に考えて心身に失調を来した人がありますので、健康体操ではなく、そういう瞑想をする人は気をつけてください! 普通の人はちょっと不思議?と楽しい体験をしてしまうことですむこともあるかもしれませんが(ここで喜んで書くような人はたぶん普通の才能の人)、ある種非常に瞑想的才能がある人感性が高すぎる人は、逆に心配です。 4,チャクラを人に開いてもらう(とされている)方法もあります。また開くことでそのまま解脱をすることが可能だという人もいるようです。 しかし、これとヨーガの修行によるものとが同一かはわかりません。インド人の学者は、戒律を守らずヨーガの実習なしに、チャクラだけ開く解脱はありえないと言っています。ヨーガでは戒律が重視されます。 5,人間にとって超能力信仰は捨てがたいことです。超能力ではなく人格の向上と言っていても、瞑想という行為自体に、異次元世界への憧れや現状への打破が含まれている以上、それへの憧れは透けています(ということがおおい)。ですから、チベットの仏教でも神秘性もあるが、それだからこそ厳しくそういったものを実体視することを否定しています。それは釈迦以来の伝統でもあります。 6,しかし、超能力や超次元へのあこがれは捨てがたく、人格の向上と誰もが言いつつも、それだけをたんたんとやることは嫌いですので、この手の話がつきることはありません。 誰も知らない、というか発言者自体は未確認、再現することも少なくても現段階では不可能。よって、自分が確認してないことでも平気で垂れ流す無責任な言動が飛び交いますが、気に入ったものを信じるだけですので飛びつく人はおおいです。反対に否定的なことを言うのは気分が悪いのです。でも万一夢が破れたときに、責任は誰もとってくれないものです。
お礼
全ての事柄の真偽を検証しながらの信仰というのは大変ですね。
お礼
なんだか、すごい御本のようですね。 ご紹介ありがとうございます。 参考にさせていただきます。