私は、国語畑のものです(その最下層民です)。
#2の方のご意見は、全く正しいと思います。
その上で、国語畑から、一言申し上げたいと思います。
質問者の方がご指摘になっているのは、「~ていた」の「いた」、いわゆる補助動詞の「いる」の問題ですね。
この「いる」は、術語的にいえば、#1の方のおっしゃるように、「過去進行形」であると思います。
でも、その「いる」ですが、働きは「過去進行形」といってすませられるものではありません。
その一方で、「ている」は一人称が主語の場合には用いない、ということにも問題があると思います。
「おれが言ってたとおり(「言っていた」の省略形)じゃん。」「私が食べていたのは~です。」という言い方は、全く正当で、普通に用いられています。
この場合、「おれが言ったとおりじゃん。」でも十分意は伝わるのに、なぜ、発話者は「言っていた」と言ったのか、そのニュアンスは重要だと思います。
つまり、補助動詞の「いる」には、その行為をし続けていることを表したり、動作の結果の状態(現にそうであること)を表したりする働きがあるのです。
結論としては、外国人に(日本語初学者に)説明する際には、#2の方のおっしゃる方法がベストだと思います。
ですが、「いる」は、「たい」-「たがる」のような、「一人称」-「他人称」の完全な対称をなす組み合わせの一方であるわけではない、ということを、教える側は認識しておくべきだと思います。
そして、「私は昨日言っていた。」が、前後の文脈によっては可能であるということを踏まえておいていただきたいと思います。
もし「私は昨日言っていた。」が不適当な言い方だとすれば、それは、「言った」という行為が継続的になされたわけではなく、また、そういう行為が状態としてありえたということを、客観的に、一人称として(つまり自分自身について)言う必要性がないからである、と私は考えます。
お礼
ありがとうございます。ご指摘いただいた「おれが言ってたとおりじゃん」などを考えると、確かに一人称でも使うケースはありますね。 私も再度勉強して(そして頭の中を整理して)ちゃんと友人に説明できるようにしたいと思います。 色々な角度からのご説明をありがとうございました。