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岡っ引き、目明しについて
時代劇捕物帖に出て来る岡っ引きは町奉行所同心の手先として働いていたようですが、幕府直轄地天領の代官所にもこのような岡っ引きがいたんでしょうか。ご存じの方教えて下さい。
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呼び名は違いますが、元犯罪者の一部を取り込んで警察力の補助として用いるケースは幕府直轄地天領などの幕府領関係だけでなく他の地方領でもあったと言われます。 何せお侍さんは(建前上、清廉潔白でなければなりませんから)犯罪者の内部世界には疎いものです。暗黒世界の内情を知るものを取り込んで警察力の補助をさせないとなかなか取り締まりができないのですね。 江戸では「御用聞き」、関八州では「目明し」、他の地域では「手先」などと様々な呼び方があったということです。それだけ各地方にこういった岡っ引きが用いられていたのでしょうね。 ちなみにこの場合の「岡」は「岡目八目」(傍目八目とも)や「岡場所」のように当事者でない第三者、正規のものでない傍のものという意味であるようで、「岡っ引き」自体あまり良い意味でない言葉です。「正規の同心でもない岡(傍)のもののくせに犯罪人を引っ立てる・公儀の威をかる奴」くらいの蔑みの混じった言葉と言われていますね。
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- Mock_Hatter
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回答No.2
あったと考えて良いと思います。 有名な「飯岡の助五郎」は、天領であった飯岡で、やくざと目明しの二足の草鞋を履いていました。
お礼
「天保水滸伝」で有名な飯岡の助五郎がそうでしたか。ありがとうございました。