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「仏所遊履兵戈無用」
あるお寺の山門に「仏所遊履兵戈無用」と書いてあるのを見ました。 禅寺等の山門前にある「不許葷酒入山門」と同じようなものだとは思うのですが… 仏所はお寺などを現し、兵戈は武器、戦などを現しているので、「ここはお寺 だから×××(=遊履)と武器の類(若しくは争い)は不要ですよ」というぐらい の意味なんだろうなと勝手に解釈しておりますが、“遊履”の意味がわからず、 全体の明確な意味が解らずにおります。 ご存知の方居られましたらご教示ください。
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「仏説無量寿経」というお経に出て来る言葉ですね。 仏の教化の及ぶ所(仏所遊履)は、その徳によって人々は安らかに暮らし、軍隊も兵器も無用になる(兵戈無用)ということで、仏教が広まると世の中も平和になるという教えです。 下記のページに、お経の文語訳が掲載されています(ちなみに、かなり読みにくいです(^^;)。「Ctrl+F」で、「遊履」をキーワードにページ検索すると、お尋ねの箇所が出て来ます。 http://www2.ocn.ne.jp/~hongaku/daikiyouge.htm
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- neil_2112
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#1のお答えで足りているのですが、少々細かな補足をさせてもらいますと… 「遊」は仏の活動を表す言葉で、「(仏が)いる、存在する、巡る、とどまる」というような意味です。原語のパーリ語では「ビハラティ」といって、「こだわりなく楽しく遊ぶ」といったニュアンスの言葉です。 遊ぶというのは目的のない純粋な行為ですから、どこにあってもこだわりなくとらわれのない仏の行為を「遊」となぞらえるのですね。 「遊化(ゆけ)」=仏の自由自在な活動 「遊行(ゆぎょう)」=仏が自在に諸方を巡ること などといった言葉に使われます。 「履」のほうはそのままで、「(仏行を)実践する」という意味です。 従って「遊履」とは、「仏がいて(あるいは訪れて)仏行を実践する」という意味ですね。この熟語は経典にあまり多くでてくるものではありませんが。
お礼
neil_2112様 詳しいご解説をありがとうございます。 「遊履」という言葉のもつ意味は、そのような意味だったのですか。 「遊ぶに履く」??? でも、「履」は履歴とかにも使う字だし… 馬鹿な私は一人で悩んでおりました。 そうご説明いただくと、とてもよく解りました。 勉強になりました。 ありがとうございました。
お礼
asadi様 ご教示ありがとうございます。 「仏所遊履兵戈無用」とは、そのような意味があったのですか。 このように噛み砕いて教えて頂くと、私のような者でもなるほどぉと 一人で納得しておりました。 私が変なところで区切って考えたことがそもそも見当違いだったのだなぁと 今更ながら己の無教養に恥じ入っております(苦笑) 教えて頂きましたURLも是非参考にさせて頂きたいと思います。 どうもありがとうございました。