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バルジの戦い

ドイツのすごいところは、形勢不利でも、見せ所があるところです。  日本の場合、ミッドウェー以降いいところがありませんでしたが、ドイツの場合、19年後半になっても「バルジ」の戦いで意地を見せました。  ただ、このとき、ドイツは東部戦線をどう考えていたのでしょうか。  「バルジ」より、東部戦線が重要だと私は思うのですが、事実関係を教えてください。 (教えていただきたいこと) ・ バルジの意義 ・ 東部戦線と西部戦線(バルジ)について ・ バルジは勝算があったのか。

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  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.4

1944年10月「ラインの守り作戦」(後のバルジの戦い)計画立案を始めたドイツには、今後の方針として3つの選択肢しかなかった。 1 東西連合軍に降伏 2 東西連合軍と徹底抗戦 3 東西どちらか片方と停戦し、残ったもう片方と交戦継続 1はありえない。 連合軍は、カサブランカやカイロ会談で「ドイツを農業国に落として やる」に近い意志を見せていたため、降伏=滅亡だったから。 2は、絶望的。 マンパワーも資源も使い果たしたドイツに今後1年間も抗戦できる能力 は無かった。 3を選んだ場合、東西どっちと停戦するか? 東(ソ連)とは無理。もはや絶滅戦争の状態になっている。 西(英米)だったら、人種的に近いし、共通の反共精神はある。 米軍は、元々直接関係ない戦争だし。 それに、反共・反ソを目的としてヒトラーの要求をことごとく呑んで 来た昔の経緯(ミュンヘン会談)もある。可能性は高い。 西側を停戦交渉のテーブルに座らせるには、第一次大戦のように 一大攻勢(ルーデンドルフ攻勢)を再現させれば、彼らは戦争の長期化 や共産主義の西側に流入を恐れ、アメリカ人も反戦主義に転向する だろう・・・。 そのあと、全戦力を対ソ戦に集中すれば、英米の支援も得られるかも。 ・・・ヒトラーの思惑はこんなところでしょうか。 要するに東部戦線が重要だからこそ、西部戦線をなんとかしなければ ばらないところがあったのです。 ヒトラーの頭の中には、いつも総統官邸の壁に肖像画が掲げてあった フリードリッヒ大王の戦争指揮があったのでしょう。 勝算は、先日のW杯の日本-ブラジル戦ぐらい無かったですが、それでも 生き残るためには例え「1%」でもそれに賭けるしか、当時のドイツに はやることが無かったのです。 中田だって、その1%に賭けて見事に散って悔しくて泣いてたじゃ ないですか。 バルジの戦いは、終戦を早めただけでしたが、皮肉にもヒトラーや将軍 たちがいなくなった後、英米の支援で西ドイツは反共・反ソの防波堤 となり農業.工業共に世界トップクラスの国になれました。

keikaku
質問者

お礼

とてもよくわかりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.3

バルジの戦いは作戦も構想としては十分意義はありました。 連合軍の一大補給基地ロッテルダムを急襲し補給を混乱させ、オランダとベルギー以南とに分断した連合軍に痛撃を与えるという作戦構想はドイツ軍に反撃能力はないと見ていた連合軍には想像も出来ない行動でした。 冬季を選んだのも圧倒的に優勢な連合軍航空戦力が十分機能出来ない時期でした。 しかしドイツ軍の実態はそれを実現するには弱体化していたのです。 敗因は色々挙げられますが 1.既に燃料絶対量が不足しており十分な機動が続けられなかった。 同時に前線への補給も満足に行えなかった。 先頭戦闘部隊はロッテルダムに迫りはしたが後続が続かなかった。 2.同じ理由で重火器の展開が遅れ、弾薬も不足しバストーニュの占領が出来ず足止めされた。 連合軍の反撃、特にパットン将軍の軍団によりバストーニュの包囲が破られた。 ドイツ軍のティーゲル重戦車も燃料不足で多くは遺棄される始末でした。 ドイツ軍の編成も少年や新規召集兵が多く実戦の経験がなく員数だけで往年の戦力ではなかったのです。 図上作戦上は意義あるものでしたが実態に会わなかったとしかいえません。 この状態では東部戦線に兵力を集中したとしても大兵力のソ連軍に立ち向かえるとは思われず、西部戦線を選んだのは自然でした。 ドイツ軍に十分な資材があり、バストーニュで足止めされなければ作戦そのものは成功したとは言えるかも知れませんが力を使い果たしたでしょう。

keikaku
質問者

お礼

 もう、ドイツには勝機がぜんぜんなかったということですね。  よくわかりました。ありがとうございました。

回答No.2

意義はあまりないと思います。悪く言えば「最後のあがき」みたいなものでしたし…結果的に負けを速めただけです。 当時、西部戦線でも東部戦線でも補給やら部隊再編やらでどちらも連合軍の攻勢が一時的にストップしていました。そこでドイツ軍として攻勢に出るならどちらを選ぶか、ですが… 東部戦線では攻勢に出てもすぐに跳ね返されるのがおちです。なぜなら、時期的には12月の真冬ですから、ドイツ軍お得意の電撃戦の長所を発揮できません。それに相手は圧倒的な物量を誇るソ連軍ですから、ただでさえ満身創痍のドイツ軍が攻勢に出てもすぐに丸め込まれてしまいます。 それに対し西部戦線では、連合軍はドイツに反攻の余力なし、とたかをくくり、部隊配置が東部戦線より希薄でした。そのため、東部戦線よりはいく分効果が期待できる、ということでドイツ軍は西部戦線への攻勢を選んだと思われます。 最後に勝算ですが、No1様の回答に同意です。局地的な勝利はありえたかもしれませんが、大局的には別にどうというものでもありません。連合軍がまた全力でかかってくれば敗退必至です。

keikaku
質問者

お礼

よくわかりました。ありがとうございました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.1

・バルジ(突出部)の戦いこと、「ラインの守り」作戦は、ドイツ軍に残された最後の予備兵力を磨り潰し、終戦を早めたのが、結果的な意義でしょうか。また、バルジ生き残りの戦力でハンガリー、ブダペシュトの解囲を目論んだものの、貴重な戦車部隊を泥湿地で立ち往生させてしまった「春の目覚め」作戦と並び、「勇ましさだけで作戦を立ててはいけない証明」という評価を、個人的にしています。 ・西部戦線では攻勢に出られるほどの戦力だったわけですが、東部戦線のソ連軍の優位は圧倒的で、20個師団を投入しても焼け石に水でした。その点ではヒトラーの判断は正しかったと思います。 ・連合軍の戦闘爆撃機が悪天候で飛べない間だけ、戦車で攻撃してしまおう、という作戦です。つまり、天候が回復したらオシマイ。勝算というのは、期間限定でならありえますが、最後には敗北が決定的でした。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
keikaku
質問者

お礼

よくわかりました。ありがとうございました。

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