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なぜ「説明」を「言い訳」ととらえられるのか?

カテ違いかもしれませんが、お願いします。 何かの不祥事の理由などを「説明」しても、それは「いい訳」だから潔くないとか、そんな風潮があると思うのですが、なぜこんな理不尽がまかり通っているのでしょうか。これではあまりに人生窮屈になってしまいそうです。なぜ個人の権利や事情がもっと尊重されないのでしょうか。

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  • usapy07
  • ベストアンサー率46% (931/1985)
回答No.6

私も仕事でミスをした時に、 ただひたすら平謝りしていたのですが、 「謝れば済むと思ってるのか?ちゃんと説明しろ!」 と言われて、どうしてそのような状況に陥ったのか経緯を話すと、 「言い訳はするな!」 と理不尽な追い討ちが来ました。 あんたが説明しろって言ったんじゃないの? とか思いましたが、とりあえず謝っておきました。 怒ってる人というのは相手をただ徹底的に追い詰めたいだけ なのではないのでしょうか?

noname#32495
質問者

お礼

出ましたね!究極の理不尽! これで、私の疑問は解消しました。 こういう極端な人間ばかりじゃないでしょうが、多かれ少なかれ潜在意識的に「説明」なんて受け付けるか!という狭量な傾向があるのでしょうね。 これはやはり、民族的な問題だと思います。

その他の回答 (7)

  • sinkyou
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回答No.8

何かを要求しているのにそれが達成されていないと言う結果をその人が満たされていないから起こるものという考え方が一つあります。 依頼したものがその人の満足した結果が得られなかった場合に起こることであると思います。 なぜそのような結果になったのかを聞く耳を持っていないと思います。 その方に東山紘久先生の「プロカウンセラーの聞く技術」を読んでいただきたいですね。聞くことの大切さが今の人には欠けています。その方だけではないですけれど…

noname#32495
質問者

お礼

もしかしたら、子供心理が根底にあるのかもしれないですね。不満足な結果に我慢することをせず、腹いせに当の相手を追い詰めるために「言い訳するな」の台詞が用意されている。様な気もします。これはもしかすると、死刑制度が存続していることとも連動するでしょうかね。

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.7

まぁもちろん言い方や言葉の使い方にもよるんですが、基本的には6番さんの言うとおり、その手のことを要求してくる場合は、叱責をするのが第一目的なので、何をしようとも結果は変わりません。 反省ぶりや今後の同種のミスをしないような注意点などを上手く相手に伝えることができれば多少はその叱責の内容が緩むことはあるかもしれませんが、結局のところ求めているのは反省でも謝罪でもないので何をしても結果は変わりません。まぁ良い解釈をすれば、そうやって理不尽ともいえる叱責を受けることがあるからこそ、単純な見落としだったり凡ミスには気をつけるべしということになるわけなんで、人生窮屈というよりは大人というのは仕事に対する責任は常につきまとうものなんです。

noname#32495
質問者

お礼

はい。結局社会意識というものから脱する方法はないということになるかと思います。 しかし、この社会意識は、人生を悲観的に追い詰める一要素である気がします。

  • m3o3m
  • ベストアンサー率32% (170/529)
回答No.5

たぶんどんな理由があろうとも、起こってしまった結果がすべてだという意見だと思います。 会社でもよくありますが、失敗しても理由はなんであれ、言い訳無用で迷惑をかけた事を詫びるのがよし、とされています。これらは議論不得手の日本民族的な風潮の表れなのではないかと私は思います。 そこに個人の権利や事情は不必要で、それが社会で起きた場合も屁理屈としか受け止めない風潮はある種ゴシップネタ好きの民族性とも受け止められます。

noname#32495
質問者

お礼

風潮、風習というのは強大な力を持っていますね。そういう流れで相手も自分もいるものなので、見えない強制力みたいなものに縛られているようです。 それにしても、このゴシップネタ好きというのは、民族の破滅につながる要素でしょう。

noname#36485
noname#36485
回答No.4

個人の権利や事情を尊重してあげられるほど余裕が無いからではないでしょうか。「説明」として理由を受け入れて、後になってそれが嘘だったと分かったとき、それを受け入れてしまった人が責任を取らなければなりません。 それと、最近マスコミ報道などで「言い訳が苦しい」「どうみてもおかしい」方々がたくさんいらっしゃるので、「こいつもそうなのでは」と思い込み、説明に矛盾点は無いか、どこかおかしい点は無いかと常に考えることによって、日常的に猜疑心が高まっているのではないでしょうか。 「信用」が振り込め詐欺などの心理詐欺において最も重要なファクターとなってますからね・・。人生が窮屈であっても、信頼を裏切られる事でのリスクの方が圧倒的に大きいのでしょう。

noname#32495
質問者

お礼

結局は、「世知辛い世」だからというところに落ち着いてしまうのでしょうかね。重くなりますよね…。だから、人は時分を閉ざして行って「これは言い訳としか扱ってもらえないだろうから…」という、自虐的な気分にもなっていくのしょうね。

  • kvm
  • ベストアンサー率19% (123/617)
回答No.3

>なぜ「説明」を「言い訳」ととらえられるのか? 設問の 意味がよくわかりませんが ある問題を提起します 例えば 男が得か 女が得か 結論は でないのですが 各自 相手を説得します(課題に対して説明します) 要するに 説得力が あるかないか なのです なければ それは言い訳と 解釈され あれば 説明と 解釈されるのではないのでしょうか 論争に対して 説得力があれば 成功ですが なければ 失敗です 7割ほどの 説得力があれば成功ではないでしょうか?

noname#32495
質問者

お礼

相手基準で「言い訳」になったり「説明」になったりするのでしょうか?それは納得いきません。「私」があまりにもなくなってしまいませんか。

  • sego
  • ベストアンサー率29% (371/1269)
回答No.2

失敗したとき、相手にその原因を説明するのを言い訳といい、事故調査委員会にたいして説明するのを説明といいます。事故がおこってしまった場合、今後の対策や対応方法、起こってしまった率直な原因が知りたいのに、細かい理由○○さんがこうしろといったからこうしましたなどは、相手に言った場合言い訳になりなります。

noname#32495
質問者

お礼

その「言い訳」が「説明」と言い換えてもいいんじゃないかと私の中の辞書は言っているのですが、やはりおかしいでしょうか。立派に不可抗力が成立しているか、不当に厳しいハイレヴェルな対応をできなかったので失敗しましたというのは、どうも「説明」でいい気がします。

  • MACHSHAKE
  • ベストアンサー率30% (1114/3601)
回答No.1

それはたいていの不祥事や事故などが事前に回避できる可能性があったの に見極められなかったか、見極めていても対処しなかった、という、 いわば人間の怠慢から起こったことが多いからでしょう。

noname#32495
質問者

お礼

そうですか。 しかし、どうもそういう「不祥事」ということだけではない気がするのです。不可抗力的な事情でなにか迷惑をかけたときに、「言い訳」はしないという風潮ってありませんか。なにかそれが釈然としないでいます。

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