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「ルールはルールだ!」という言い分が、正しいと思えません
生徒に「なぜこんな校則があるんですか?」と聞かれたとき、 「ルールはルールだ!守れ!」と答える人がいますよね? 私は成人ですが、昔も今もこの言い分が納得できないんです。 ルールには、それができた理由や必然性があるはずです。 言い換えれば、必然性がないルールは存在価値がありません。 そもそも「理由もないのに人を縛る」という発想が、私の理解を超えています。 しかし世間には「文句があるのか!」「不満があるなら出てけ!」と、 説明もせずに怒鳴りつける方がいますよね? あるいは「はぁ?いい年して何を屁理屈言ってるんだ」と冷笑する人とか。 私はこういう反応に、非常に腹が立ちます。質問の答えになっていない… そこで質問です。 (1)「ルールにはとにかく従え。その正当性など関係ない」 (2)「理由や正当性がないものは、ルールである資格がない」 私は(2)を常識だと思うのですが、 (1)を常識だと思う人は、なぜそう思うのですか? 例えば(2)を常識だと思う人を、どう思われますか? 理由を説明できないことを他人に強制するとき、ためらいを感じません? また、こういうときの常套句として「社会に出れば、もっと理不尽なことがある」 「そのときに備えて訓練だ」と返す人が多いのも疑問です。 基本的に、世間にのさばる理不尽は、皆でなくすべきものではありませんか? 「理不尽に慣れろ」というのは「受け入れろ、抵抗するな」という意味ですよね? ちょうどアルハラ上司が「酒に慣れろ!」 というようなものではないですか? なぜ「理不尽を無くすため頑張ろう!」ではなく、 理不尽を容認・後押しするような台詞を、当然のように言うのでしょう?
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- chiyokunn
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まず基本からいいます。校則というものは、正しくは生徒心得といって生徒の心構えを書いたものです。 だから「うちの高校では髪を染めるような考えはダメで、一般の人が見て好印象を受けるような姿、知識、考え方を持ってください」と言っているようなもんです。 これは、溯ると昔の校内暴力が盛んやったときには、この校則をたてに悪いことをした生徒に対抗したという過去があります。(学校が校則以外で生徒を指導(処罰)することはできませんから) 心得なので、指導の厳しさや罰則などは学校によって違います。たぶん、昔に一度決められた校則はあまり変わっておらずに、停学などの罰則だけが生徒指導部の中で話し合う中で少しずつ変わっているだけです。 だから、ただ説明もせずに怒る先生というのは、基本的には何も考えていないというか、今までこの校則で上手くいっていたし、校則を守らせることで上手くいっていたので、守らせることを第一に考えているとだけだと思います。(ちなみに、うちの学校は生徒指導を甘くしたために教室や廊下でさえもタバコを吸う生徒が出てきています) あなたもその先生も校則を守らせるという目的は同じです。(何も怒らずに何もしない先生たちが多い私の周りからすれば、羨ましいぐらいです) ただ、方法が違うだけなので、生徒達の一生という大きな目で見れば生徒達にとってそんな先生の1人や2人はいてもいいのではないでしょうか?(何も言わない先生はいないほうがいいですが) 校則やルールや制度は、時代とともにしっかりと見直していくべきですが、それを行う・守らせる人にまで完全を求める考え方は行き過ぎですよ。人によって得手不得手はありますし、今まで怒っていた癖?というのもあります。小学校ではベテランの教師のほうが学級崩壊が起こるという例もあるので、本当は変化しつづけられる先生が理想なんですが、、、 私は、良い事はもちろんですが、例え悪い事、理不尽な事でさえも多く学生時代に経験したほうがいいと思っています。(理不尽な事を経験させた後のフォローは絶対に必要ですが) あなたは、普通の方よりも少し正しい答えを求め過ぎているような気がします。考え方を理解できないというか、理解しても意味のない人は大勢います。夫婦でさえも理解し合えないところがあるのですから(笑)回答は、考えてないか守らせようとしか考えていないかです。でも本当の回答は、同僚の考え方などを考えないことです。サッカーのチームメイトみたいなもので簡単には変わらないので、我が儘な人や下手な人、いろいろな人がいる中で、試合に勝つ(生徒をできるだけ成長させる)ことが一番です。 それでは、、、、ただ、私の環境からすれば、あなたの環境がとても羨ましいので、ご自分の環境をもう少しだけ良い意味で受け止められたほうがいいと思いますよ。
- Ama430
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日本の中にいると、このような理不尽を理不尽と感じない方が多々いらっしゃるように思われてなりません。 ご指摘の通り 学校の中では ルールの正当性を問わず 指導者に従順であることを 無条件に求められる場面が まだまだ多いと思います。 「儒教」はご存じですね。 韓国は日本よりさらに儒教色が強いと思いますが 「年長の者に従う」「目上の者に従う」という教えは 支配する側にとって、大変都合の良い理屈です。 「正当性は関係ない」としておけば どんな理不尽なルールも作り放題です。 発達段階に応じてルールの正当性を教えることは 教員の重要な仕事と思います。 実際に、そういうスタンスで 我流でなく 先人の経験に裏打ちされた指導理論を学んだ上で 取り組んでいる先生方は少数ながらいらっしゃいますし 高圧的にならないからといって 混乱が起きるということはありません。 そういう指導理論や教育実践の蓄積をご存じない方々が 「蟻の一穴から堤防が壊れる」とおっしゃるのは 完全な恐怖政治など 現代の学校教育に持ち込むのは不可能であるということを お考えでないからではないでしょうか。 校内へのお菓子の持ち込みに対して厳しい指導を行い 指導された生徒が自殺に至る事件がありました。 部外者に詳細が不明ということを割り引いても いえ 詳細が不明だからこそ 「指導はまちがってないがそうなることはある」 という先生らしき書き込みが ネットに多数寄せられる状況などを見ると 根本的な方向性を 教育者自身が自己点検する必要を 強く感じます。 そういう分類は嫌いですが 教員は「勝ち組」なのでしょう。 「自分は理不尽に耐えて勝利してきた」 「その勝利を守るには正当性で説得できないから威圧する」 こういう心理があるのではないかと 心配しているのです。
お礼
>>「正当性は関係ない」としておけば >>どんな理不尽なルールも作り放題です。 そう、まさにそう言いたかったんです。 現実にそんなことをする人間は、そういないでしょうが、 そういうシステムが存在することが、危険だということですよね。 ですが、多くの方の意見を聞いて、 自分なりに考えが変わってきたところもあります。 納得いくかどうかは別にして、 自分の常識が他人の常識でないことにも気づきました。 回答者さまも、最初の私のスタンスに近いようで、 心強く感じました。ありがとうございます。
- Dr_Hyper
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#12です。 お返事いただいたみたいですので、すこしだけ。 ルールや法は最終的には、そのルールを課せられたヒトが理解し解釈するモノだと思います。私が#12に書いたのもあなたが主観的だと書いていますが、そのとおりです。私の解釈を述べてしまいあなたには共感できなかったということなので、私の説明はあなたに適応しなかったということですね。突飛な発現ですがタイムリーなのでいうと、ヒトを殺してはいけないという、私にとって生まれてこの方疑うことのない非常に基本的なルールは、全世界に向けて発信されたノーベル平和賞の受賞式典で時には正当(戦争という意味で)である、と解釈され、名だたる著名人がスタンディングオベーションをしました。究極のところルールは自分で解釈しなければなりません。極端な例をだして申し訳ないです。ここではルールに対する説明責任についてなので戦争の議論は余談としておいておき、もとのもどすと結局のところ先生はどうやってその学生に教えるか、説明するかではなくて、自分なりに納得する方法を与えることだとおもいます。私の解釈では、あなたのやりかたと、同僚のどなっているやりかたは、その意味ではどちらも正しい方法です。一教師としてそのときに感じた指導方法をとったまでです。自分で考えろ。も、ちゃんと説明してやるから聞いていろ、考えてみろ。も有りだと思います。ルールは万人に分かるものというのはあるいみ甘えすぎで、分かるためにどりょくすべきもので、そのための教育ですよね。
お礼
>>私の解釈では、あなたのやりかたと、同僚のどなっているやりかたは、その意味ではどちらも正しい方法です…… なるほど、「分かるために努力すべきもの」ですか。 そうした発想はありませんでした。 生徒も教師も感情的になっているので、 そういう考えがあることには双方とも気づきにくいですね。 ともすれば「屁理屈」や「机上の空論」とも言われる、 こんな議論に付き合ってくださって、ありがとうございました!
- fxq11011
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問題をすり替えている気がします、貴方がやりたいことはそういう対応をした特定の個人、又は同様の対応をする人への攻撃と感じます、そのために自分の正当性を装うためにこのような問題提起の仕方になっている気がします、上記、「同様の対応をする人」から見た貴方(貴方と同様の考えの人?)【私は貴方を知りません】はどんな風に写るのでしょうか、ルールに関する考え方以外の人間関係がひそんでいるようにも思います、いずれにしてもどちらの人も社会の一員です、存在の否定はできません。 かの治安維持法も「悪法も法なり」と言われたようですが、言ったのはどんな立場のひとだったでしょうか、貴方と同様の人とは思いません、またハッキリ「悪法」といっている以上、貴方が反発する様な人たちとも思えません、ことわざに「長いものには巻かれろ」と言うのがありますが、正しい【正しい・・の定義も必要ですが】とは思いませんが時と場合によっては生活の知恵の一つかと思います、いわゆる神の存在に等しい人間なんていません、貴方は神ですか?という思いがします、神に勝とうなんて思いません貴方の相手も同じ思いだったかも。
お礼
>>問題をすり替えている気がします。 攻撃ととられるのは承知していました。 ただ、実際にキライな教員がいて、 その人への攻撃というわけではないんです。 たとえ普段は仲良くやっている同僚でも、 そうして生徒に怒鳴っている姿を見ると、冷めてしまうんですね。 その教員が、誰であっても。 そうした怒鳴り声や、そのときになされる説明(というか、説明の無さ)を聞くと、イラっとするんです。 口にした人間が誰であろうと、 そうした台詞そのものに、私は嫌悪感を感じるようです。 ただ、生活の知恵という言い分には、うなずけました。 どうもありがとうございます。
- chiyokunn
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>(1)を常識だと思う人は、なぜそう思うのですか? 全ての校則の理由を知っている先生なんていないですし、なぜその校則ができたのかの理由も書いて残っていません。よって、何人もの先生がそのルールの正当性を考えずに、当たり前のように従わせようとするだけだと思います。 >(2)を常識だと思う人を、どう思われますか? それは、かなり無理がありますねー。そのルールがあることによっての有効性の比較検討ができないですし、時代によっても有効だった、そして有効になるかもしれないという可能性もありますし、、、 生徒が「なぜ?」と思うことを説明することは確かに大切なときがあります。しかし、「そんなことも分からないのかー!」と怒ることが有効な生徒もいてることは確かです。私なら、生徒が真剣に考えて分からないことは答えたいですが、何も考えずに「なんでこんなことをしやなあかんのー・・・」とか「めんどくさい、なんで勉強しやなあかんのー・・・」などの質問には答えたくはありません。怒ったり常識だと思う先生がいても別にいいんではないかなー?と思います。 >世間にのさばる理不尽は、皆でなくすべきものではありませんか? なくせるものは無くしたいですが、多くのエネルギーを使っても無くならないことが多いので、その理不尽差によりますねー。人種差別でさえ膨大な時間とエネルギーを使って、未だに解決できていない問題ですから、、、 >「理不尽に慣れろ」というのは「受け入れろ、抵抗するな」という意味ですよね? 私は、抵抗するなという意味ではなく、理不尽なことがあってもそれをできるだけ避けるようにしたほうがいいと、要領良く動けという意味だと思いますよ。(先生の言い方によるが) >アルハラ上司が「酒に慣れろ!」というようなものではないですか? それは、飛躍しすぎのような気がします。極端にいうと、学校でのことが全て正しいことが行われ、きちんと説明されていたとすると、その後の就職した会社でしっかりと役に立つのでしょうか? ちょっとしたことでも正しいことや説明などを求める人が多くなったり、窮屈で自分で納得しないと動けないという人も出たりするかもしれないので、会社としてはめんどくさいダメ社員が増える可能性が高くなると思います。多少の理不尽なことも見ているほうがいいと思うのですが、、、 人を変えることは難しいです。よって、怒る先生のことを考えるよりも現実的に自分ができることだけを考えたほうがいいですよ。それに、あなたが生徒の質問に説明しない先生は理不尽なことをしていると思うのなら、その先生たち一人ひとりを説得してますか?職会などできちんと説明していくことを案件として出しているのでしょうか?理不尽なことを言う先輩の先生や保護者がいたら、適当に聞き流すのではなく、理不尽な考えがなくなるまで話すのでしょうか? まあ私にしては怒ろうか、説明しようが、小さなことで、どうでもいいことです。そんなことよりも、もっとあなた自身が努力して幸せになっている姿を、勉強して役に立ったことなどを生徒に見せてあげることがあなたにとっても生徒にとっても一番良いことだと思います。
お礼
>>そのルールがあることによっての有効性の比較検討ができないですし 回答を読ませていただいて、 ひょっとして私は近視眼的かもと思えてきました。 何十年にもわたる組織のいきさつより、 目の前の生徒の訴えの方が優先だ、と思っていたからです。 おっしゃるような、大きな視点が必要なのかもしれません。 また、確かにダラダラと文句だけを言う生徒は、一喝したくなりますね。 >>人種差別でさえ これもなるほどと思いました。 ただ、要領よく動くのも大切ですが、しかし 「避けて通れないが、理不尽はやはりよくない」 という視点も忘れてはいけないとは思います。 そうした意思が、少しずつでも人種差別を減らしてきたのですから。 他の先生に関しては、「彼らを変えたい」というよりも、 「彼らは何を考えているんだろう?」という趣旨の質問ですので… どうもありがとうございました。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
#7です。 お礼欄を拝見しましたが… ルールを適用しようとする“(警察的役割の)教師”と、ルールを作り、また廃止をする役割の“(立法・司法的な役割の)教師”(ただし校則は一教師の独断では決められないので、教師といっても複数であり、またルール設立当初は居たが、現在はいない教師も含む)をまとめて“教師”と呼べば、そうなります。 法律だって“大人”が作り、“大人”が運用していると言えば、“大人”が独裁的に支配しているイメージを与えますよね? というわけで、ひと括りに教師、教師というのはナシでお願いします。 >教師の意にそわないルールは作られないし、 >生徒が何を言っても、教師の意に沿わない改正案は却下される。 >それでいて、正当性の説明はいっさい無い。 質問者さまは生徒会などに携わったことはありますか? 生徒個人ならともかくとして、生徒会の決議として校則の改正が提案されたのなら、少なくとも教師側も“正当性の説明はいっさい無い”というのは、ありえないと思うのですが… 中学レベルの生徒会ですら、顧問、職員会からの説明はありました。 (もちろん#6様の回答にあるように、相手の“正当性”が納得できないことはありますけどね) ただ最終的に教師(職員会なり校長)が決定権を持つのは仕方のないことです。 どんな組織(学校、会社、国)でも、責任を持つ最高の意思決定機関にルールの作成・変更・廃止をする権利はありますからね。 (もちろんその際は然るべき方法で、説明責任が発生しますが) 無責任の人間(たち)がルールを変えると、どうなるかは明らかですからね。
お礼
そう、そこなんです。説明責任なんです。 納得いくにせよ、いかないにせよ、何らかの説明はあるべきですよね。 私が言いたかったことを、的確についてくださって ありがとうございます。 >>中学レベルの生徒会ですら、顧問、職員会からの説明はありました。 そういうものですか? 私の出身校では、生徒会活動そのものが活発ではなかったし、 いま勤めている学校では、ほぼ教員の言うなりです。 私の見た例が、偏っているのかもしれませんね。 >>どんな組織(学校、会社、国)でも、責任を持つ最高の意思決定機関にルールの作成・変更・廃止をする権利はありますからね。 これはまぁ、分かるのですが、そのことを 「当然だろう!」「文句を言うな!」と高圧的に出るのはいかがなものかと… 三権分立のように、権力を分散するのが本当なのだから、 せめて 「組織を維持するには、これしか方法がないんです。すみません、すみません」 くらいの態度でいるべきだと感じるんですけどね(笑)
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
No.5の回答者ですが、 お礼を書く欄にそういうことしか書かれないということは、私と論戦をしたいということですね。 もしも説明を尽くして生徒達を説得するとすれば、 本当の理由を隠して、いかにも建て前のような嘘を言うとか、生徒のレベルに合わせないで難しい言葉を並べて、慌てふためくこともなく途中で口ごもることもなく、圧倒するしかありません。 弁護士、政治家、会社の取締役がやる手法と同じです。 今度は参考になりましたか? では。
お礼
>>私と論戦をしたいということですね。 誤解を招いて申し訳ありません。 投稿したあと、お礼を書き忘れたことに気づきました。 気分を害されるのももっともです。謝罪させてください… その上で、あれは純粋な疑問として受け取ってもらえませんか? ちなみに私は、説明のとき、本当の理由を隠すべきだと思いません。 No.17さんへのお礼を読んでいただきたいのですが、 私は生徒に説明するとき、すべてを包み隠さず述べております。 それでも、メチャクチャな混乱は起こりません。 「そういう理由じゃ、仕方ないか」 「ふ~ん、先生にもそれなりに言い分はあるんだ」 「ま、話を聞いてもらってスッキリしたし」という感じです。 だから、「子供には余計なことを知らせないでおこう」 という意見には、賛同しかねるのです。 なんというか……子供をみくびりすぎではないかと。 また「私は私服でも問題など起こさない」という生徒の意見は、 真剣に検討する価値があるとは思えませんか? どうも先生方には、「服装を規制したい」という欲求が先にあり、 何が何でもその結論にもっていきたいように見えます。 ゆえに反対意見を言われると面倒だから、 生徒に説明すらしない……そのスタンスは「逃げ」でしょう? 「ふむ、確かに私服でも問題は起きなさそうだ」というふうに、 話合いによっては、そういう結論もありだと思うんです。 最初から結論ありきでは、健全な決定とはいえないでしょう。 繰り返しますが、これは論戦ではなく、 ただふと浮かんだ疑問なので、お気を悪くされないことを祈ります。
- disease
- ベストアンサー率18% (1239/6707)
へ理屈ばかり言ってると将来負け組になりますよ。 教師も人間です。 全員に完全のケアを行うのは不可能ですし、このようなへ理屈を言ってくる生徒に一から全て説明するほど暇じゃないんです。 子供の時は想像力が少なく、バカなことを真剣に悩むものです。 もし、自分が教師で生徒がこんなことを言ってきたらどう思うか考えたことはありますか? 「なぜ勉強するのか?」「勉強して一流企業に入っても不幸になる可能性がある」なんてことを考えてると何も考えず勉強してるやつに負けものです。
お礼
どうも私を、生徒だと勘違いされているようですね。 私は現職の教員なんですが…… >>もし、自分が教師で生徒がこんなことを言ってきたらどう思うか考えたことはありますか? 「もし」どころか、しょっちゅう言われます。 私も彼らの疑問に共感するので、 だからこうして、考えているんですけどね。 「なぜ勉強するのか?」は私も長年考え続けてきました。 最近、納得できる説を見つけたので、生徒にも紹介しています。 生徒の反応は、 「納得いくかどうかは別として、先生の言い分はわかる」 「勉強する理由を、理屈にそって説明されたのは始めてだ」 「他の先生は嫌がる話題なのに、自分から話しだすなんて変な先生だ」 と、おおむね好意的なようです。 私は、こうした根源的な疑問に答えるのも、仕事のうちだと思います。 実際、生徒は「逃げずに話に付き合ってくれた」というだけで、 相手を信頼し、好意をよせるものです。 ゆえに私は、怒鳴るばかりで説明をしない教員に対し、 「そんなやり方でいいの?」と思うのです。 しかし職場でおおっぴらに言うわけにもいかず、 ここで皆さんの反応を聞いてみたいと、そういうわけです。 こんな私は、負け組予備軍なのでしょうか?
- de_tteiu
- ベストアンサー率37% (71/189)
私は校則がゆるい小中高を出ましたが… 靴下の色についてはともかく、髪の色については “華美な服装や華美な化粧をするには中高生には早すぎるというコンセンサスがあるから” です(おそらく教師もそのようなことを言っているはずですが) 髪を染めている生徒は不良に思われる… それが日本の現実でしょう 何せ、未だに就活生は髪を黒くしているお国柄ですから 質問については(2)です ただ正当性についてはそのコミュニティによって変わってきますので評価しづらい点ではあります(ちなみに私は服装の校則については理由も正当性もあると考えています) >基本的に、世間にのさばる理不尽は、皆でなくすべきものではありませんか? Yesであり、Noですね この世の中は、人々が多かれ少なかれ“理不尽なこと”を受け入れなければ回っていきません >なぜ「理不尽を無くすため頑張ろう!」ではなく、 理不尽を容認・後押しするような台詞を、当然のように言うのでしょう? ルール(理不尽)に異を唱えることは犠牲を伴うからです あなたは権利を主張し、現にここで自らの意見を自由に述べていますが、このようなことができるようになったのも先人の犠牲ゆえです(だいぶ美化されていますが) 皆、自分が犠牲になるのは嫌なわけです だから、“靴下の色/髪型の自由がない”程度の理不尽なら我慢しろというわけです 所詮、人間なんてそんなものですよ
お礼
なるほど、いずれもよく分かる話です。 特に最後の文章は……身もふたもないですが、真理ですね(笑) どうもありがとうございました。
- jikokenno
- ベストアンサー率27% (23/83)
誰かの理不尽をなくしたら 新たな理不尽が生まれることが多いのでしょう。 禅問答のようです。 相手に問題提起を取り上げてもらえるような 提案力が身に付くと良いですね。
お礼
そうですね。 面識もない私を心配していただき、ありがとうございます。
お礼
>>本当は変化しつづけられる先生が理想なんですが、、、 これはよく言われますね。教員以外の職場でも聞きますし。 >>でも本当の回答は、同僚の考え方などを考えないことです。 これもよく言われますね。 私はずっと「なんでだろう?」と思っていたのですが、 なるほど、こういうときに使う発想なのですね。 >>あなたの環境がとても羨ましいので、 これは自分でも痛感します。 以前、指導困難校に勤めていたときは、 誰も注意すらしなかったですね(すると罵声が返ってくるから)。 そういう校風がストレスで仕方なかった覚えがあります。 確かに、贅沢になっていたのかもしれません。 気づかせていただき、ありがとうございました。