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外国語の問題かライフスタイルか? 「何をした?」という質問に・・
- 外国語の教師が、受講生の回答について悩んでいます。
- 受講生は主に行動を回答し、在宅の場合は「何もしなかった」と回答します。
- 質問1では、多くの人が具体的な場所と活動を回答する傾向があります。
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既に、大要の回答がありますので欧州語に無い視点でお答え致します。 ご質問から農耕民族と狩猟民族の違いを想像してしまいました。 質問1:日本人が『行く』と答えるときに、定住の地(日常)から何処かへ 『行く』のですから既に全てを語ってしまっていると考える方が、残念ながら多いです。 甲骨文字で『行く』を見ますと、十字路の形の象形文字です。十字路ですから、まっすぐ行くか、右に左に曲がるかの選択を迫られているのです。つまり『○○へ行く(行った)』との返答に、あれは選択しないで、これを選択したことを言外に述べていると見て取れるのではないでしょうか。 単一民族(価値観の同一視)ですから、その先を述べなくても、聞き手は理解してくれると考えているのでしょう。ここで会話はプッツンしがちで、欧州でのサロンが生まれる土壌はなかなか培われないようです。 質問2:物理的に体を移動させなくとも、心(精神世界)は、縷々として飛び飛びしておりますので、そのほうが、ここ数日篠突く雨で降りみ降らずみで、籠める毎日となり、一層の充塞が図れます。
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- IXTYS
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65才の男性です。 昨日は病院のベットにいました。 今日は一日外泊許可が出て、帰宅しているのです。 昨日は手術後11日目で、トリレに12回、行き、お小水を合計2,386cc出しました。 まだ下血があり、苦痛もあります。 でも薄紙を剥ぐように健康になっていく実感があります。 入院してみてわかったこと。 大部屋ですが、お喋りな人ほど直りが早いかな。 病院の食事って本当にまずい。 これって早く退院させる為の深い配慮かなと、超善意の解釈をしています。 病院って入ってみると結構楽しい。 それと、手術の時、貴重な経験をしました。 白い捕虫網を持って、花園で蝶を追っかけていたら、ほっぺたを叩かれ、目が覚めました。 あれって『臨死体験』っていうんですよね。 あのまま次の世界に行けるのなら、恐い事でもないと思いましたよ。
お礼
ご回答をありがとうございました。 大変実のある答えで 週末何をした? の答えとしてこんな回答をくださる生徒さんがいたなら クラスの話題が膨らみますのに・・。 病院で調理師の仕事をしている友人がおり 彼女の名誉のためにいいますが 病院食は、予算だけでなく、 時間やカロリーや摂取栄養素や 逆に摂取不可食品など様々な厳しい条件の下に 料理されなければならない。 それを考えるととっても美味しいと思います。 暖かい朝食のために彼女はAM3時出勤です。 明るいおしゃべりな人ほど 体力も語学も向上しますよね。 私もそこそこ病弱でして、 何回かの入院体験やご先祖様に呼ばれる体験を しています。 死ぬのはそんなに怖いことではない、と私も 思いますが 逆に定まった時が来ないと勝手には死ねないとも 聞いています。 この世の宿題が終わらないと死ねないんだそうです。 退院はいつですか。 お元気になってくださいね。
面白いご質問に眼がとまりましたので、書かせていただきます。 私は日本人で欧州の幾つかの国で仕事をすることがありますが、 議論をしているときなど、論理の糸の根本的な違いを感じることがままあります。 たとえば、「パンとは何か説明して」という場合に、私は 「小麦を原料とした食べ物で、水と小麦等の穀物をまぜて、発酵させて焼いて、、、、」と 客観的な説明をしようとしますが、 ラテンの国ではそれでは全然良い答えになっていませんね。 彼らの場合は「食事の主食」と答える人がけっこうおります。 ご質問の、「昨日何をしたか?」ですが、 「銀座で買い物をした」は求心的で、自分について語る姿勢が整い、 「欲しかったCDを買ったあと、Tシャツと靴を見に何件か周った」と続きますが、 「銀座に買い物に行った」はやや自分の身体感覚から距離をおき、 「それは~のためである」という説明調で詳細を伝えることになるだろうと思います。 これは語族語系を問わず、前者の考え方しゃべり方をする方と、 後者の考え方しゃべり方をする方がいると私は思います。 比較的教養の高い人々に、やや後者の傾向が見られるように感じております。 これは、「私」の意思や願望や気持ちを伝えようという姿勢が少ないためと思われます。 語学教育の場では、この「私」主体に相手に伝えるという押しのコミュニケーションを、 日本人に教える必要があるかもしれません。 つまり、メンタリティもひっくるめて教えなくては 本当の使えるコミュニケーション能力は育ちにくいと思いますから。 「週末の出来事」を尋ねるような質問からぐっと歩み寄り、 「あなたのことに興味があり、あなたのことを知りたいから、あなたのことを話して。たとえば週末は」 というアプローチが必要ではないでしょうか。 それに、「家にいましたから特に何も」と答えてからが、 実は本当の会話の詰めどころで、 ライフスタイルや生活美学や家族風景や生い立ちなどがここから会話の舞台にあがることもしょっちゅうです。 私はこの答え自体が良くないとは思いません。 どこの国の方もまあたいていの週末については、つまらなそうにこう答えるでしょう。 これをフーンとほうっておかないことが、 「あなたへの興味」を示し、「私に興味を持って」を押し出し、 日本人にない会話センスをはぐくむかと思います。
お礼
なるほど、大変興味深い回答をありがとうございました。 アプローチの度合がむずかしいと感じています。 あんまり私的なことを根堀葉掘り聞かれていやだ、と 過去にはすねてしまった方もいらっしゃり、 事実「語学教育新理論」や「教授法」などでは 学習者のプライバシーに入り込みすぎないことを セオリーのように教えられました。 メンタリティもひっくるめた 使えるコミュニケーション能力。。。。 日本人にない会話センス。。。。 本当ですね、勉強になりました。
- Michelina
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質問文だけを読むのと、回答に対するコメントを読むのとでは質問の意図が2つに分かれているような気がします。日本人はこの話題で会話が出来ないのか、という疑問とその質問を使っての語学教育に対する疑問と。 もし語学教室で「週末に何をしたか」という話題で口を切り、それを元に会話レッスンをしたいが上手くいかない、ということでしたら、生徒にその意志は伝わっているのかどうか疑問に感じます。 生徒にしてみれば、何で大して答えようもない質問を毎回するのだろうと思っているのかもしれません。 先生が事前に「この質問はあくまでも会話を広げていくための質問だから、実際に週末何をしたか正確に答える必要はない。会話を進める、という目的で作り話をしても構わないから、面白く展開していくようにしよう」と明確に伝えたらそういう問題は起こらないと思うのですが・・・。 私が始めて英語学校へ入ったときイギリス人の先生がそういう感じで授業を始めていました。生徒の中には先生の意図を汲めず「別に何もしなかった」で終わらせてしまうのもいましたし、目的を承知の上で脚色しながら答える人もいました。汲めない人には伝えなければ理解できないような気がします。 それを伝えたうえで尚同じ回答しか戻ってこないとしたら、もっと奇抜な話題を選択されたほうが面白おかしく話を展開できるのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >もっと奇抜な話題 そうなんです。私としては、教室活動として個人のプライベートを洗い出すようなことに発展させたくないので 実はこういう話題は好みではない。 全くの架空のゲームのようなものを用意して 会話練習にしたいんです。 しかし、現実離れしていると話せないし、練習の意義もない、と 感じる方々から 週末の話題をしたい、と希望がでました。 現実の話題にすれば「話しようがない」 非現実の話題は「考えられない」 簡単なテーマだと「うまくなれない」 むずかしくすると「旅先でちょっと話したいだけだから むずかしいことは要らない」 主婦のおばさまたちって、とことんわがままだなぁと 難しさを感じてます。
補足
今回の質問はとりあえず 外国語学習の場で週末の行動を聞かれ どうして「どこどこへ行った」という回答しか 出ないのか、 それが自然に感じる受講生と 不自然に感じる私(教師)の差は 言語学習上の問題なのか、 ライフスタイルなどの文化的な問題なのか、 ということなんです。
>最近、奇異に感じ始めたのですが どの受講生も一様に 「○○へ行きました」という回答方式なんです。 それはもう、一番簡単な答え方ですからね・・・・ 私もそれは言いたくなります。 Ayer fui al cine con mi amigo. とか何とか。 先生に何を訊かれているかは分かっても、自分の側は単純なことしか言えませんから。 >しかし、家にいた人は なぜか皆さん、 「何もしませんでした」 という回答。 特別なことはしなかった、という意味では? 英語でも「家でゴロゴロする」みたいな言い回しがあったような気がします。覚えていないんですけど。 (これは英語表記の文法テキストにありました。英語ネイティブが書いた本です) 質問にどう答えるか、質問者の思惑と回答者の反応が一致しないことは何語でもあると思います。 先生が何を求めているのか生徒の側が理解していないのでは? 家にいたなら、「それで、家で何をしましたか?」とつっこんであげたら、喋る練習になるのではないでしょうか。 それと、私も日本育ちの日本語人間なので思うのですが、日本語思考していると外国語らしく喋れないことがあります。 習いに来ていても習熟度に個人差がありますので、得意な人から見ると「何やってるんだかな」と思うような生徒も混じっているでしょうし。 「ただ“どこそこへ行った”でなく、できるだけ答え方のバリエーションを増やしなさい」とか、もう少し水を向けてあげてはいかがでしょうか。 というか、外国語を習う生徒の側としては例を挙げたりして、何をどうやればいいのか、解りやすくしていただけると有り難いです。 もちろん、受け身なだけの生徒が上達しにくいのは知っています。勝手に余分なことを覚えてくるぐらいのほうが望ましいですよね。 あと、あれですね、もし日本語で表現力がそもそも欠けていると、外国語以前の問題でしょうね。
お礼
そもそもは 「過去形の会話練習になるから週末の行動などを聞いてくれ」と 生徒さん側からの希望で始めたことなので >先生が何を求めているのか >生徒の側が理解していない ということはないと思うんです。 例を挙げたり何をどうやればいいのか 解りやすく水を向けても 恥らうように笑って 「べつになにも・・」で黙り込んじゃう人もいます >日本語思考していると外国語らしく喋れない >日本語で表現力がそもそも欠けている 確かにそこが一番の問題ですね ご回答ありがとうございました
- machirda
- ベストアンサー率57% (634/1101)
参考になるかわからないのですが、ロシア語講師の者です。 私の経験上、やはり質問者さまと同じように、「○○に行きました」という表現をされることが多いです。 なぜかと考えてみたのですが、いくつか理由があるように思います。 (1)日本人は出かけるなどしたときは、「行った」ことに重点を置き、「そこで何をしたか」については重要視しない。 これは私もそうなのですが、単に遊びに行っただけだと、わざわざ具体的に何をしたかまでは言わないです。つまり「先月ハワイに行きました」だけで、日本人は「遊びに行ったんだな」と汲み取るのだと思います。どこか行ったときに「観光」としか答えないのは、日本は「どこどこへ行って何々を見て・・・」と事細かに言う文化ではないからかもしれません。自慢しているみたい、と言うのが理由のようです。 家にいた場合も同じです。日本語では日常的なことはいちいち口にせず、何か特別なことがあった場合にのみ情報を伝える、という傾向があるように思います。 「読書とかTVとか料理とか園芸とか爪きり」とは、日常であり、あえて言う必要性を感じないのだと思います。 (2)答え方がわからない(単語がわからない) わからないからこそ勉強に来ているのですが、グループ学習だと「間違ったことを言うのが恥ずかしい」という気持ちになる人が多いです。だからあえて無難な答えをしてしまうんです。留学していたとき、授業中で発言しないのはやっぱり日本人でしたね~。 間違うのを怖れるのは語学の上達にはよくないんですけどね。
お礼
そうですか、言語学習上の問題というより やはりライフスタイルの問題なんですね。 「行った」ことを重視し 日常は伝えない。 その上、教室内でも間違いを恐れ発話しない。 ・・・日本人のスタイルは語学上達をはばむもの ばかりですね。 言語が違っても同業の方のお話が聞けて嬉しかったです。ご回答ありがとうございます。
- Mu-tsu-ki
- ベストアンサー率39% (25/64)
こんにちは。わたしの場合、ですが、 質問1:どこかへ出かけた場合、「どこ(場所)で、何をしていた」と、答えると 思いますが、「誰(人)のコンサートに行った」という場合は、わざわざ「コンサートに 行って、音楽を聴いた」とは言わないだろうと思うので、行動内容によると 思います。でも、基本的にはchako3chakoさんと一緒です。 質問2:「何もしなかった」というのは、「特に話すほど特別なことはしなかった。 家でごろごろして過ごしちゃった」ということではないでしょうか。 わたしも、「うーん、特に何もしなかった」と言うことがありますが、実際には ネットサーフィンしてたり、テレビ見たり、犬の散歩に行ったりしてます。 ただ、あえて話すほど、面白い事はしなかったよ。という感じで、何も しなかった。と言ってしまう事があります。 思ったのは、「どこへ行った」で済ませてしまう人は、英語に自身がないから、 というのと、人前で発言するのが恥ずかしい、といったような思いが あるのではないでしょうか。アメリカで語学学校に行っていた時、毎週 月曜日に「先週末何をした?」と先生に聞かれるのに、最初の頃は、毎週 「Nothing special」と答えてたので…。 多分、話題になるようなことはあったけど、人前で言うのは恥ずかしい(特に英語で)って いう思いと、それを詳しく表現するだけの語学力がないから、というのが 生徒さんの思いではないかなー。と、過去を思い出してみました。
お礼
私が教えているのは英語ではないんです。 その意味では、ちょい珍しい言語をともに学ぶ仲間の 集う教室なので 人前で恥ずかしい・・という気持ちはないと思っていたのですが。 語学力がないから学びに来ているのだと思うのですが 生徒さん側は違う思惑があるのでしょうか。。。 ご回答ありがとうございました。
- jayoosan
- ベストアンサー率28% (929/3259)
ライフスタイルか国民性、ではないでしょうか。 1. 家にいたときは、「家にいた」だけでしょうか。外国人にこの質問をされたときは、 nothing special. same as usual. と答えることが多いです。 ただ、実際には週末は資格試験勉強と外国語に数時間時間をいつもさいているので、意識的にやっていることはあるのですが、どこかへ出かけない限り毎週同じなので、やはり「いつもと同じ、あいかわらずさ」ですね。 2. ありません ところで私はビーチとまぶしい太陽が大好きなので、20代の頃から1人旅でも友人とでも、内外問わずビーチや島へ頻繁に旅行をしていました。沖縄はほぼ毎年いっていた時期もありますし、めずらしいところでは小笠原の父島なんてのもあるんですが(日本人の顔じゃない日本人がいますよ)、行く前によく日本人の同僚などに聞かれたのは、「毎年島やビーチへ行って、なにするの?」でした。 私は「何もしない時間をすごしにいくんだよ」とか「ぼーっとしにいくんだよ」と答えるのですが、それを聞いた相手はなにかピンとこないようです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私は日本人で、英語ではない欧州語の教師です。 普通の挨拶の時に、 毎週同じことはあえて言わない、というのはよくあることですね。 しかし、 語学教室の場で日本人教師がわざわざ 学習言語で聞いてくる、という場では 当然「学び」のための話題・・とわかっているはず なんですけどね。 教師にあてられて聞かれること自体がイヤなのかも しれませんね。 「ぼーっとする」なんていう動詞もあるので そういう動詞を使って練習したいけど、無理なのかも。
お礼
はぁー!! 実におもしろい切り口の回答をありがとうございます。 感心しました。 >定住の地(日常)から何処かへ『行く』のですから >既に全てを語ってしまっている なるほどぉ。 >述べなくても、聞き手は理解してくれると >考えているのでしょう なぁるほどー。 そうなんですよね。会話レッスンが盛り上がらなくて ほとほと困っているのですが 語らずとも分かり合えると信じている民族性のゆえんでしたか。