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慶長遣欧使節がローマに行った理由
伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節はスペイン領メキシコとの通商開拓のために、まずメキシコの国王と会いますよね。その後、なぜ(1)ローマ教皇に会いに欧州までいくのですか?(2)スペイン国王には会わなかったのですか?メキシコとの通商開拓が目的なら、欧州までいく理由がないと思い、(1)(2)の質問です。教えてください。
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彼らの目的は、スペイン(当時のイスパニア)との通商を行う約束を取り付けることです。ですから、メキシコを経由してスペインに上陸しています。 確かにローマ教皇へ宛てた手紙には、メキシコとの貿易を望む内容が記されていますが、ご質問にもあるように、その頃のメキシコはスペイン領ですから、貿易を行うにはスペイン本国の了解が必要です。 又、政宗が欲していたのは、スペインの海軍力と経済力ですから、メキシコとのみの交渉はあまり意味はないでしょう。 しかしながら当時の日本の情勢やソテロと対立する勢力からの情報により、折衝が不調に終わります。 そのため支倉常長らは、カトリックの総本山のあるローマへと向かい、そちらからの力添えを期待したのです。 http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/hasekura/hase_02.html
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>メキシコとの通商開拓が目的なら、欧州までいく理由がないと思い、 当時メキシコはスペインの植民地で、支配下にありましたから、本国に行かないと話がつかなかったのでは?? #1さんご紹介のサイトの年表にも、「スペイン領メキシコのアカプルコ港に着く。」とあります。。 メキシコが独立を果たしたのは19世紀になってからです。 詳しくは知らないのですが、#1さんご紹介のサイトを拝読しますと、メキシコ⇒スペイン国王に会ったけど色よい返事をもらえず⇒ローマ教皇に助力を求めに、ということみたいですね。 スペインはカトリックの国ですし、当時ローマ教皇は今より俗世間に対して権力がありましたから、影響力に期待したのでしょう。