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サッカーを応援する気持ち
サッカーを応援する気持ちがわかりません。私自身あまりサッカーに興味が無いというのがいけないのですが、それにしても応援する人が熱狂的になりすぎているような気がします。日本が負けて、泣きまくってる人を見ると不思議でしょうがないです。愛国心みたいなものでしょうか?私は愛国心が無いのでよくわかりません。国民が熱狂する理由を教えてください。 ちなみにサッカー批判や、応援する人を批判する意味ではないので、よろしくお願いします。
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◇ サッカーや野球などを応援するのは、チームや選手に自分を投影させるためではないかと思います。 「勝つ」ということは相手より優れているということの実証になりますから、そのチームを応援することによって自分が他者より優れているという疑似体験をすることができると言っても良いのではないでしょうか。 自分を投影させるためなので、なるべく共通点があった方が現実感があるわけで、どうしても地元のファンが多いということになるのでしょう。 そうでなければ、自分の好きな選手がいるチームというパターンになりそうです。 外国で活躍する日本人選手の情報が、その所属する外国チームの試合内容や勝敗よりも重んじられて放映されたりするのもその一端と言えるように思います。 「愛国心」というのも似たようなものでして、なぜ「国」という範囲に限定した「愛」がそれほど尊いのか不思議ですね。 単に「人を愛する心」ではいけないのか、という疑問が湧くのが筋の通った思考形態だろうと思います。 愛というものの形の一つ、という見方もありますが、実際は「ひとつ」ではなく「全て」あるいは「最優先」の愛と認識してしまうことが多いのが実際のところであって、意図的に「愛国心」を強調しようとするのは恐らく本質を外す方向にいくだろうと思われます。 ちょっと脱線してしまったようで、失礼しました。 本題に戻します。 ◇ 今開催中のワールドカップは国対抗のサッカーのオリンピックみたいなものなので、熱狂度も高くなります。 この応援は他国より自国が優れているはずだ、すなわち自分は他者より優れているはずだという【動かぬ証拠】を求める作業ですからあそこまで熱狂できるのだと思います。 ただし、先にも述べましたが投影する相手に「なるべく似たような条件」がなければ現実感が薄れます。 「条件」と言っても、「サッカーが好き」程度のことで十分なわけですが、興味の無い人が熱狂できないのもまたしごく当然なわけです。 他者より劣っていたいと思う人はいませんから、この「投影」を適度に行ないそのような感情の発散を行なうのはごく正常な行動と言えるでしょう。 選手達は皆「自分の替わりに闘って勝とうと必死でプレイしている」という感情が投影です。 ですから一緒になって闘うことができるし、勝てば嬉し涙、負ければ悔し涙も出るということになります。 絶対的なアイデンティティを確立している人は稀ですから、このような状況は誰でも大なり小なり経験すると思います。(サッカーに限らず) まとめとしては、 「何か似たような条件を持つ人」「自分の好きな人」の行動を通して、自分の可能性がまだあるということを「目に見える形」で証明したい(たとえ投影であろうと錯覚であろうと)ということのように思います。 私もワールドカップは録画しますし、日本戦で感じた胃の痛くなるような歯がゆさがまだ抜け切れていません。
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- hiro0164
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みんなで同じことをすると一体感を感じるというか、意識が繋がるというか、そういう傾向があるように感じます。 それ自体は、必ずしも悪いことではないのですが、悪い方に働いた場合、「みんなと同じようにしないといけない」とか、多数と違う行動をすると「なんだ、あいつは?」みたいな脅迫的な感情も生まれるのではないかと思います。みんなと同じように出来ない人やしたくない人は、あの応援の輪には加わりません。結果的に同じような人が集まって、あの熱狂に繋がっているだけのような気がします。我々は、それを見せられているだけ。本当は、静かに応援している人もいます。 「愛国心」によるものかですが、本来なら、「愛国心」によるかを判断するには、「愛国心」を定義しないといけないと思います。 ただ、それは本題から離れるし、非常に難しいのでやめます。 個人的には・・・、 日本を応援するのは「愛国心(的)」。 熱狂するのは、「愛国心」ではなく、「ファッション的」 と、思います。
お礼
ありがとうございます。そうですね。みんなと同じようにという気持ちですね。「ファッション的」ですか。それだったらわざわざ日本だけを応援しなくてもよい気がしますね。ブラジルでもイングランドでも、人気のある国を応援したくなるような気がします。少なからず日本が好きだから応援したいという気持ちもあると思います。
- m41
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本当のサッカーファンは少ないと思いますよ W杯の事を言っているという事で ただの御祭り好き&マスコミに踊らされてる人が多いと言う事でしょ ゴールデンで野球は放送するけどサッカーはしないですもの
お礼
ありがとうございます。そうですね。ほとんど「ただの御祭り好き&マスコミに踊らされてる」ですね。ただしそこまで、影響に弱い人が多いと思うと悲しくなりますね。 もっと自分というものをもって生きて欲しいものですね。
- bluerose08
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こんにちは。 私はサッカー好きで、良く試合を見に行きます。 多分、teimpuo様は『日本代表』のサッカーの応援のことを『熱狂的』と言われているのだと思いますが、Jリーグの試合を見た事がありますでしょうか? 日本代表の応援は『数』は凄いかもしれませんが、Jリーグのクラブチームの応援に比べたら全然です。 私は応援しているチームの試合があれば毎週見に行きます。 場所が遠く、飛行機や新幹線に乗らないと行けない所でも行きます。(時間の都合が合わずに行けない事もありますが、出来るだけ行く時間を作るように努力しています。) Jリーグは1年間で何十試合もあるので、1試合見に行ったからって何が変わる訳ではありません。 しかし、チームを愛する心が私を動かしどんな場所でも応援しに行きたいと思わせるのです。 優勝したときは本当に嬉しいですし、1試合負けただけでも泣きたい位、悔しく思ったりします。 『日本への愛国心』が応援させるのではなく、『日本代表が好き』だから皆が熱くなるのではないでしょうか? (街で騒いでる若者を見ても愛国心があるとは思えないです・・・。) 日本の若者はマスコミに踊らされている気がします。 バレーボールやWBCも皆、応援してますが『愛国心』ではない気がします。
お礼
ありがとうございます。Jリーグのことはほとんど知りません。回答者様はサッカー好きな人なんですね。チームを愛する気持ちですか。すごいですね。私にとってはチームを好きになることも無いと思います。 日本代表が好きだから、ですかね。それにしても一般の人がそこまで日本代表を好きになれるって、そうとうな魅力を秘めているんですね。 マスコミに踊らされてるというのはよくわかります。そういう若者はただ騒ぎたいだけなんでしょうね。W杯応援と愛国心は関係ないのかもしれないですね。
お礼
心理学的な回答をありがとうございます。そうですね。投影ですね。勝つことを疑似体験するというようなものでしょうかね。複雑な心理過程が入り込んで、そして熱狂するのだと思います。サッカーチームに自分との共通点を見出し、そして同一化して応援する。そして勝ったら、自らも勝ったような気になるのかもしれないですね。 特にW杯の場合、戦う相手は世界ですから、その中で優越したいという気持ちが膨らむのですね。共通点として、サッカー好きで十分なんですか。それは驚きです。もっと複雑な思いがあると思っていました。何しろサッカーは人気のあるスポーツのようですね。 う~ん、回答見ながら感心しまくっています。適度に投影を行いながら、発散させるですね。まさにその通りだと思います。鋭い指摘だと思います。人間というのはどうしても他者に勝利したり、優越したいのだと思います。 ただし、そこまで優越したというのは、コンプレックスの裏返しだという点では危険ですね。諸外国に対し、劣等感を抱くが故に優越したくなる。優越しなければ気がすまないのかもしれませんね。オリンピックでもなんでも、日本人はとことん優越したがりますね。喜びを通り越して、憎しみや怒りまで発散させますから。そこまで劣等感を持っているのだと思います。コンプレックスの塊のような気になりますね(回答者様のことではないので、誤解のないように)。 劣等感から生まれる衝動には余裕というものがありません。いつも焦っています。 時々、人間というのは優越することが唯一の喜びのように思えてなりません。 そういう人たちというのは、劣等意識を持ってる人であると思います。諸外国に対し。 日本は戦争に負けて以来、好戦的ナショナリズムは消えたかもしれません。戦争をしようとは思わなくなったかもしれません。しかし、オリンピックでこれほど騒ぎ、W杯でこれほど騒ぎ喜ぶ。なぜそこまで団結するのか。劣等意識の裏返しのような気がしてなりません。 その昔、政治家が自国民の不満をいかに外に向けるかということに力を入れてきました。なぜそこまで成功に執着するのか。日本人は国際環境の中で劣等感を持ってる国民だからです。それがゆえに優越することが唯一の満足となっていると思います。 一等国であることに執着し、喜びを感じてきました。日本の高度成長はそのおかげかもしれません。