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水銀や鉛が人体に有毒だと分かったのは、いつでしょうか?

水銀や鉛が人体に有毒だと分かったのは、いつの事なのでしょうか? ご存知の方、教えて下さい。m(__)m

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noname#21649
noname#21649
回答No.9

>鉛に変わる良い素材が無かったのでしょうか? なかったというのが現状です。鉛は現在でも国内の鉱山で十分確保できるはず(この情報は20年前。埋蔵量100年分との話) >当時でも、銅管や鉄管は作れましたよね? 作れるには作れますが.電線に使う需要が多くで配管にまわす余裕がなかったですし.鉄は機械製造(鋳物工業)に使われてますから.ほとんど不可能です。高温が必須で燃料に事欠いていました(日本の炭坑は20-30cmの狭い層を人力で掘っていた)ので。 出入りのブリキ職人(生きていれば120際程度)はパイプがほしかったのですがないのです。それで.ブリキ屑を鍛冶屋に持っていって鋳物で鉄パイプを作ってもらったそうです。ブリキ屑の売却代金が当時の私立大学の学費+小遣い(月1-2回芸者を呼んで...)をまかなえる額。 昭和のはじめのころのないようですから.鉄パイプがいかに高価なものであったかわかるでしょう。 >昔でも、鉄鉱石が沢山とれる国では、日本ほど、鉄の貴重性は無かったのでしょうか? 鉄を使うには高温が必要です。また.配管のように丸めるという技術は近年のものです。低温(300度程度)で.湯を人力で注ぎながら人力でパイプを引っ張っている(簡単に冷えるので可能)ことでいくらでも作れる鉛と異なり.高温(1000度程度)で機械で引っ張って(暑くて人が直接触れない)パイプを作る鉄との違いです。 >鉄は高かったのでしょうか? 鉄鉱石単体で考えるのではなく.鉄鉱石と石炭と消石灰(石灰石)の組み合わせで考えてください。 ヨーロッパの自然が破壊されたのは.製鉄に使う消石灰を木灰でまかなったためという説があります。日本では生産量が少ないですが3つとも存在しました。ですから急速に製鉄業が発展できたのです。

noname#24152
質問者

お礼

御回答有難うございます。<(_ _)> >当時の私立大学の学費 これは、入学から、卒業するまでの学費という事でしょうか? 昔は、鉄が、現在の金みたいな、物価だったという事なのでしょうか? >日本では生産量が少ないですが3つとも存在しました。ですから急速に製鉄業が発展できたのです。 当時から、三つの資源が豊富だった国と、そうでない国に、それぞれどんな国があるのか、興味が湧きました。やはり、植民地を沢山持っていたような、欧米の国は、これらの資源に困らないような国ばかりだったのでしょうか? 御回答有難うございました。<(_ _)>

その他の回答 (11)

noname#39684
noname#39684
回答No.1

経験的にはギリシャ時代です。 淋病の治療に水銀が用いられ、その中毒が記載されています。もちろん当時ではメカニズムはわかっていませんでしたが「水銀で淋病の治療を続けると神経の障害が出てくる」と言う内容の記述がギリシャ時代の書物に残っています。 鉛の中毒も同じくギリシャ時代にヒポクラテスの「鉛疝痛」の記述は有名です。紀元前400年前くらいです。 日本では江戸時代に芸者などの白粉に鉛が混ぜられていたので、中毒になることはその頃には知られていました。

noname#24152
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ギリシャ時代に水銀と鉛は健康に悪い事が分かっていたのですね。 それなのに、ローマ人は、鉛を水道管に使ったし、食器にも鉛を使ったし、ワインやシロップの貯蔵にも、鉛を使ったのですね。 http://www.shigaku.or.jp/World/namari1.htm 鉛が、液体に溶け出す事までは、分からなかったという事なのでしょうか? ところで、現在では、ローマ帝国が滅んだ理由の一つに鉛が数えられる位なのに、日本が近代において、水道管に鉛を使用したのは、どういう事なのでしょうか? ローマ帝国が滅んだ理由の一つに鉛が数えられる事が、日本で知られるようになったのは、いつ頃なのでしょうか? 回答ありがとうございました。<(_ _)>

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