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サンピン呼ばわり

暴れん坊将軍で韮山の岡引が徳田をサンピンとバカにしてましたがいくら旗本のごくつぶしでも岡引風情がバカにできたのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • buchi-dog
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回答No.3

No2の者です。 江戸時代、大小を二本帯刀できるのは武士だけですが、刀を一本だけ差すのは平民でも特に咎められなかったようです。 ですので、平民が刀を一本だけ差して歩いている状況は十分にあり、平民の無礼に怒って刀を抜いた武士が返り討ちに遭うこと、刀を打ち落とされて辱めを受ける可能性は十分ありました。 武士だけが刀を持ち、平民は皆丸腰ということではありません。

その他の回答 (3)

noname#113190
noname#113190
回答No.4

#2さんがご指摘のように、江戸時代の前期であれば、些細な理由で武士が町人を切って捨てることも可能で、水戸の黄門様も若い頃に、同輩と刀論議で後に引けなくなり、荒れ寺の軒下にいる乞食を引きずり出して試し切りしたという事件を起こします。 さすがに黄門様は人格者ですから、罪も無い人間を切り殺すことに良心の痛みを覚えて、この同輩とは絶縁し、以後は慎むようになりますが、人格者の黄門様がこうですから、一般の武士は推して知るべしで、5代将軍綱吉の頃までは、切り捨て御免も普通ですから、岡引が武士に絡めば切り殺されますが、綱吉以降は余程の覚悟がないと武士も町人を切れなくなりました。 例えば、(史実かどうかは不明ですが)明石藩15代藩主松平斉宣は参勤交代の途中、尾張領内で行列を横切った猟師の子供を無礼打ちして通り過ぎます。 これに怒った尾張藩は、以降明石藩の行列通過を断るようになり、已む無くこそこそと通過せざる得なくなったとか。 町人も武士の本質を知っていますから、江戸中期には内心は馬鹿にしていたのでしょう。 徳田も貧乏旗本の三男坊という触れ込みですから、岡引も切ればお家がどうなるか・・・という意味で、言っていることかと。 下層の旗本は、召し使っている下男下女よりも手元不如意ということも珍しくなく、暮れには商人に頭を下げて借金をしますので。

mersess
質問者

お礼

事例まで挙げていただきありがとうございます。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.2

江戸時代の身分制度はそれほど厳格なものではなく、武士が平民に土下座や絶対服従を要求できたり、斬捨て御免の特権を恣に行使できるような状況ではなかったようです。 武士が平民相手に刀を抜き、相手を斬れずに辱めを受けることがあれば、「武士の名誉を損なった」ことになり大変な事態になったので、そのような事態を避けるためヤクザ者の前を通るのを武士が避けた、なんていう話もあります。 一方、旗本の当主は、外出時には常時従者がいたはずです。従者がいる歴々の武士を、平民に過ぎない岡引が「馬鹿にできる」はずはありません。これは、役職についていない旗本であっても同様です。 「旗本の部屋住み」の場合は、供は連れずに外出したでしょう。カネがなかったり腕に自信がなければ、屈強でカネを持つ岡引がいれば、ぞんざいな扱いを受けることもあったかもしれません。この辺は、現代とさほど変わらないと思われます。

mersess
質問者

お礼

あったかもと言うことですね、どうもありがとうございます。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

無論 無礼討ちの対象になります。 まぁテレビドラマですから。

mersess
質問者

お礼

ありがとうございます。

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