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記憶のメカニズム
最近、テレビで現代病として「物忘れ」が増えていると言っていた。具体的には人の顔は覚えているが、名前を覚えられないというものでした。これを聞いた時に私は映像を目でみたときのほうが、言葉を聞いただけよりも記憶に残るということなのかな?と思ったのですが、実際にそうなのだとしたら詳しくその理由を知りたいです。今日、図書館に行って調べてみようと思ったのですが、あいにく閉まっていて調べることができませんでした。是非教えて下さい。
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人間は、視覚に特化した存在だという事。 例: (1)視覚(目で見る)から情報が入力される。 (2)情報は、視神経処理ルートに入る。 (3)また左右の視神経が交差する地点で、高次の分野にも情報が伝わる。 高次の分野では、過去の情報(言語・学習情報など)が、視覚入力情報に近い情報との、比較・類推を行いつつ、視覚野にもその処理過程を伝える。 (4)視覚野での処理を受けながら(色の認知野・形の認知野など40以上(?))、同時平行的に高次の処理分野からフィードバックの形で伝わる情報が複合して進行する。 (5)最終的に、視覚野での処理(視覚面での最終処理)と高次(記憶・言語・状況など)の処理で最終結果としての答つまり、見たものは何か?を認知する。 以上の(5)で、見たものは何か?の回答に、「テレビに映ってる人間の顔」までは出るが、「名前が出ない」状態は:言語野の名前の記憶と情報マッチに該当する情報出ず。(名前の記憶のシナプスと視覚情報のシナプスで結合出来ず。つまり電気化学的に信号流れず。) といったところでは、不足でしょうが、上記は例えば「猫のシッポ」だけが家具から出てるのを見た場合、視覚野処理と同時に「猫を飼ってる。飼い猫のしっぽの記憶」との高次野とのやり取りがある、と言う事。じゃなきゃ、猫のシッポと認識出来ないでしょう。結果で「猫のシッポに似たモップ」と出ても実は「猫のシッポ」だったら、これは誤認でしょう。 そして、猫のシッポは何万も情報は無い。かつ「相貌認識」(膨大な人の顔のみ担当。顔の相貌認識をして記憶野に送ってる。一生の間にどれだけ顔を見るか?)のと「言語記憶野」の結合がルートが薄ければ(頻繁に、或は最近結合経験が行われて無ければ)「顔」は知ってるが、名前が出て来ない」状況になると思います。 最後に「記憶野」とは、間違った表現です。記憶してる物質自体もかなり絞られて解明されてますが、素人のオシャベリはこの辺で。 参考物件として:基本の基本2冊とチョット変わった2冊 脳と心の地形図―思考・感情・意識の深淵に向かって/リタ カーター (著)/ Rita Carter (原著)/ 藤井 留美 (翻訳)/ 養老 孟司 (その他)/ (¥2,400/原書房 /ISBN:4562032707 ) 唯脳論 /ちくま学芸文庫/養老 孟司 (著)/ (¥880/筑摩書房 /ISBN: 4480084398) 脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか/茂木 健一郎 (著)/ (¥3,200/日経サイエンス社/ISBN: 4532520576) 脳と心の正体―神経生物学者の視点から 科学のとびら/平野 丈夫 (著)/ (¥1,200/東京化学同人/ISBN: 4807912801)