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教皇と皇帝(天皇)は同等の権威

よく教皇と皇帝(天皇)は同等の権威があると良く聞きますが、私はナポレオンとカール大帝がローマ教皇から皇帝の位を贈られたので皇帝よりも教皇の方が各上を受けたのですが実際はどうなのですか 西ヨーロッパの皇帝位は歴史的にもローマ教皇が与えていた事を考えると 皇帝よりも教皇の方が各上ではないのですが 皇帝と教皇が同等の権威と主張する人は あたかも征夷大将軍と天皇が同格の地位と主張するのに等しいのでは? 中央アフリカの皇帝に即位したボカサも本当はローマ教皇に戴冠してもらいたかったそうなので 教皇が皇帝よりも格上という考えは 近年も有効だと思うのですが

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  • gib45
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回答No.2

皇帝と王は名称に違いで大差はないと思いますよ。 帝国など国力が大きい国が帝国を名乗っていますがね。 王=国の統治者 帝王=帝国の統治者という解釈でしょうか。 下記コピペ >帝国(ていこく、英語: Empire、ラテン語: Imperium、中国語: 帝國)は、複数のより小さな国や民族などを含めた広大な領域を統治する国家のこと[1]。語句に「帝」という字が入るが、帝政とは限らず、王制、寡頭制、共和制などの場合も含まれる。また国家が「帝国」を国号として公式に使用する場合、国号ではないが通称として使用する場合、歴史的または比喩的に「帝国」と他称される場合などがある。 さて、天皇ですが皇帝と同義ではありません。 天皇は神の子孫という概念の元、当時の中国などの影響を受けたと考えられていますね。 >なお、「天皇」(てんのう、すめらみこと、すめろき)という名称は、7世紀後半に在位した第40代・天武天皇の頃に、それまでの「大王」(おおきみ)に代わって用いられ始めたと考えられている。また冷泉天皇(在位967–969年)以後、光格天皇(在位1791–1817年)の時に諡号が復活するまで、安徳天皇を唯一の例外として、天皇号は生前も死後も正式には用いられなかった。例えば後水尾天皇や明正天皇は崩御後「後水尾院」「明正院」と呼ばれ、これらを一律に「後水尾天皇」「明正天皇」とすべて置き換えたのは明治維新後のことである[1]。 さて、教皇と天皇を同列とするのは天皇が日本国内の神を統べているからですね。 つまり、最古の歴史を持ち、日本歴史の根幹となる日本の教皇と言える存在が天皇ではないでしょうか。 質問者さんが天皇をどのようにお考えかは文面から把握しにくいですが、一般に言われる皇帝とは別物と考えます。 >あたかも征夷大将軍と天皇が同格の地位と主張するのに等しいのでは? 国の歴史の大半は統治者、外部の侵略等によりその歴史は終わっています。 中国などは4000年の歴史を持つと言われますが国際的には1949年の新興国です。 もし征夷大将軍などが同格であったとすれば、現在の日本は存在しないことになります。 >中央アフリカの皇帝に即位したボカサも本当はローマ教皇に戴冠してもらいたかったそうなので 教皇が皇帝よりも格上という考えは 近年も有効だと思うのですが この部分に強く言いたかったのですが、これは各人の自由ではありませんか? 敵対信仰でもない限りは多くの世界中の人は他の人が信仰するのを強制、差別などしません。 初詣にいくのに有名人がそこの神社にお参りしたからそこの神社のほうが格上だと主張するようなものです。

love_pet2
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

その他の回答 (1)

  • Tacosan
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回答No.1

一応確認だけど, 「ローマ教皇」の地位自体が視点によって異なるということは前提にしていいんだよね?

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