>過去に後悔することがあれば、未来では、現在では同じことが起こらないように努力しなければならないと思います。
同じ事が起こるわけがない。事が起こるのは今だからです。同じ物が二つないのと同じです。時空が重複する。それは、例え概念上であっても同じです。概念にも次元の違いというのはあります。
ただ、学ぶということは重要でしょう。というより、それを目の当たりにすれば、嫌がおうにも学ばされます。個人の意思は、そう遠くまで届くものではありません。戦争が何回もあった。しかし、戦争はなくならないでしょう?
それは、その戦争が別々のできごとだからです。しかしこういう思考もありそう。戦争は人類社会の習慣だ。癖のようなものであるということです。
古い体制、習慣が、固着し、錆になったようなものと考えると、それを引きずり出し、人類の前に差し出す事で、人は気付けます。この根本により、我々は戦争を生活の一部として、特に意識する事なくしていた!という風にです。
歯ブラシをしない習慣がつくと虫歯になります。
虫歯になって、歯医者ばかり行ってても仕方がない。
歯ブラシをして、習慣を変える事で、虫歯は減っていきます。
食習慣をかえて、虫歯はやはり減ります。
食習慣とは、いつも何気に摂取しているものであり、それに注意を払うこと。
歯ブラシは、丁寧に、一本づつ時間をかける。うがいは頻繁に!
以前食べたものは、しっかりと人類社会の血に肉になっています。ただ、残りものは腐敗し、虫歯の原因になるので、食後にはうがいとはブラシが必要。
人類が食べてるのは、食物と、書物(意識体、ミーム)です。
意識習慣による戦争は、意識習慣を変える事でなくなります。
意識習慣は、思考パターンや、嗜好性、偏った意識体環境(教会の家に生まれるとか)など、色々です。
意識習慣というのは、精神活動により、ある程度コントロールできます。
自分達の住む意識体環境と、切に、共存か、闘争かという意識が現代は低すぎる。
自然と共存、闘争するようにです。
意識体がなければ、人間は生存できませんし、自然がなくても、生存できません。
☆未来と過去
未来、過去、現在
私たちがいるのは現在です。今というのは、はかれません。未来と過去の接点にあるものではない。接点を想定するなら、それは現代です。
今は、時の流れそのもののことです。つまり、時です。
人間は、いろいろなものに目を奪われるので、自分の立っている場所や、自分自身というものまで、「対象」として見る。
照準を合わして見る方法です。
しかし、全体を観るという方法もあります。意識体にあまり属さない生物は、おそらくこの方法で生きていると思います。
観るのに、目はいりません。照準がいらないからです。意識を、満たすというか。自分が海になったと想像してください。海は、海に起こるすべてのことを、すでにしてとらえています。
おなじようにして、意識を意識で満たすのです。
未来や、過去を意識するのは、照準を合わせて見る方法です。
今を意識するのは、観る方です。この観るほう、リアリティがあります。
お礼
ランチさん、ありがとうございます。 申し訳ございあせんが、時間切れです。 あなたたちといつまでも、すごしたかったのですが 何事にも限りはあります。 また、いつの日かあいましょう。